同じ人?

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

実は私たちは瞬間瞬間生まれ変わっている…というようなことをバシャールの本で読みましたが、ピダハンにとってはそれは普通のことのようで…?ちなみにカピオイアイとは精霊の呼び名だそうです。

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 またピダハンは時折わたしのことも話している。夜わたしが川で水浴して出てくると、「これは川に入って行ったのと同じ人間か?それともカピオイアイなのか?」と言い合っているのである。
 川に入った前後で同じか違うかをピダハンが議論しているのを聞いたとき、わたしはヘラクレイトスの問答を思いだした。時間の経過によって物質の本質は変化していくのか思索したヘラクレイトスは、まったく同じ川に人が二度にわたって足を踏み入れることができるかと問うた。初めに川に入ったときの水はもうそこにはない。岸も水流で形が変わっている。だからまったく同じということはできない。となるとわたしたちはどうやら違う川に入っているようだ。しかしそれは必ずしも満足のいく結論とは言えない。たしかに同じ川なのだ。では、ある事物や人間がいまこの瞬間と一分前とで同一であるというのはどういうことなのか。いまの自分とよちよち歩きのころの自分とが同じ人間であるとどうして言えるのか。体内にある細胞は全部入れ替わっている。考え方も変わっている。ピダハンでは、人は人生の区切りごとに同じ人間でなくなる。精霊から名前をもらう、ということが精霊を見ると時々あるが、そうなるとその人はかつてのその人とまったく同じ人物ではなくなるのだ。
 ・・・コーホイビイーイヒーアイのところに行き、いつものように言葉の勉強をしてもらおうとしたとき、頼んでも返事がなかったことがある。そこでわたしはもう一度呼びかけた。・・・それでも返事がない。そこで今度は、どうして口をきいてくれないのか尋ねた。すると彼は「おれに話しかけてるのか?おれの名前はティアーアパハイだ。コーホイはここにはいない。おれは以前コーホイと呼ばれていたが、そいつは行ってしまって、いまここにはティアーアパハイがいる」と答えた。
 だから、川に入ったわたしが違う人間になって出てくるとピダハンが考えるのも不思議はない。