「空」について

現代語訳 般若心経 (ちくま新書 (615))
今度は「空」について…

P43
 「空」の原語は「シューニャ」というのですが、本来は「何もない状態」を意味するほかに、数字の「ゼロ」も意味します。
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 ここでは、今申し上げた「自性」という固定的実体がない、全ては関係性のなかで変化しつづけている、ということを「シューニャター」(空性)と表現したのです。
 つまり「空」が「シューニャ」、そのような実相の特質が「空性」、「シューニャター」ですね。
 全ては時々刻々変化しつづける関係性のなかの出来事、ということですが、簡単にこれを「仮和合」と云うこともありますよね。無数の縁が仮に和合して現象した、という見方です。世尊はそれこそが宇宙(梵)の実相であると徹見され、その全体性を、「空」と表現されたのです。
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 「全体」とは、常に部分の総和以上のなにかですし、仏教ではその「全体性」のほうを先に見つめ、そしてそこに溶け込みつつ関係している「個」を認識しました。それゆえ、「色不異空」という見方になるのです。
 ひとたび「空」がわかれば、山も赤い服も、みな単独で自立した実体ではないと納得できることでしょう。