魔法のはなし

大好きな、ニューヨークの魔法シリーズの最新刊を読みました。
泣きたくなるほど愛おしい ニューヨークの魔法のはなし

どのエッセイも、内側からじーんとあたたまるお話でした(*^_^*)
ゆっくり美味しく味わいたい一冊です。
一部を引用するのが難しいので、だいぶ長くなりますが、1つだけご紹介したいと思います。

P124
 ふうせん男は、これで生計を立てているはずなのに、お金はいらないと言っている。 
 いいのさ。あとで十倍になって、自分に返ってくるもんさ。どうせ、別れた妻に取られちゃうんだけどね、と言って、愉快そうに大声で笑った。
 いつから、ふうせん細工をしているの?
 六年前だよ、と答えると、彼は自分の人生について語り出した。
 ふうせん細工を始めるまで、三十年ほどシェフとして働いていた。結婚していたが、妻とはうまくいかなくなり、別れた。
 ある日、脳卒中を起こし、右半身が麻痺した。右目が失明し、右耳が聞こえなくなった。
 彼にそう言われて、初めて気がついた。ふうせんを縛るときなど、たしかに右手がぎこちない。
 でも、一日じゅう、家にいて、テレビドラマを見ている人生なんてまっぴらだ。子どもたちにふうせんでいろいろなものを作ってやれたら、って前から思っていたから、やろうって決めたんだ。これは立派なアートとみなされているんだよ。
 本やDVDを買い込んで、ふうせん細工について勉強した。今は障害者手当と手品とこれで、何とか生活しているという。ときには病院に呼ばれて、彼のような不随の患者たちに、ふうせん細工を教えている。
 私と話しながらも、一瞬たりとも手を休めず、ふうせんを膨らませたり、縛ったり、ねじったりしている。
 私と話していると、よう、元気か?と彼の友だちが声をかけてきた。
 I'm still standing.とふうせん男が答える。
 まだ、自分の足で立ってるよ。なんとかやっているよ、ということだ。
 でも養育費の支払いで、かつかつなんだ。
 養育費はそりゃ必要だけど、最近の制度はひでえよな、と友だちが同情する。
 Hey,I'm still standing.とふうせん男は同じことばを繰り返す。
・・・
 彼は今も言語や作業療法理学療法を受けている。ときどき、次のことばが出てこない。そのたびに、ごめんな、うまく話せないんだよ、と私にわびる。
 そして、そのたびに私が、声をかける。
 Take your time.
 いいのよ、ゆっくりで。
 私も何か作ってほしくなったが、そのあと、予定があったので、持ち歩きたくなかった。翌日はセントラルパークにいるという。
 朝は雨が降るみたいだけど、雨なんか降ったって、子どもたちは元気に遊ぶのさ。
 久しぶりに少し暖かくなるようで、私たちもセントラルパークを散歩しようと思っていた。
 彼がいる場所を確認し、明日、私もあなたに何か作ってもらうわ、と言って立ち去ろうとすると、ちょっと待って、と彼が呼び止めた。
 I have something special for you today.
 今日、君にあげたい、とっておきのものがあるんだ。
 彼は地下鉄の通路の柱に歩み寄った。そこには、ネオンサインのようにかけられている、大きなふうせんのオブジェがあった。それを取り外すと、私に差し出した。
 一本一本が異なる色のふうせんで作られた、白い雲の上にかかる虹だった。
 これを、私に?
 そうさ。Nise...meeting...(会えて…うれしい…)。
 彼は少し苦しそうに、とぎれとぎれに、そして、ひと言ひと言、ゆっくりと絞るように、ことばを吐き出した。私と話しすぎて疲れたのかもしれない。
 ごめんよ。It was a...pleasure...meeting...you both...(君たちふたりに…会えて…うれし…かった…)and you...enjoy...the rest...of...your day...(今日…このあとも…楽しんで…)Sayonara.(サヨナラ)。
 赤、橙、黄、緑、青、紫。虹は六色だった。虹の色の数は、地域や時代によって違うといわれる。ふつう、日本では七色、アメリカでは六色だが、二色や三色のところもある。虹の色が違うように、人の人生もそれぞれだ。
・・・
 私は胸にふうせんを抱えたまま、夫とふたり、地下鉄に乗った。乗客たちは虹を見て、ほほ笑み、声をかけてくる。
・・・
・・・通りすがりの人たちも、虹に気づくと笑みがこぼれる。
 That's great! That's cool!
・・・
 帰りの地下鉄のホームで、若い女の人がケタケタ笑いながら、近寄ってきた。
 すごいわね。それ、どこで手に入れたの?写真を撮らせて。
・・・
 地下鉄を降り、長い上りのエスカレーターに乗る。すれ違う下りのエスカレーターから、六十歳くらいのサラリーマン風の男の人が、こちらに向かって叫ぶ。
 Hey,somebody got a rainbow!
 おーい、レインボーを持ってるやつがいるよ。
 ふうせんは、こんなにも多くの人を笑顔にした。
 It will come back to me tenfold.
 喜びは十倍になって、自分に返ってくる。
 ふうせん男のことばを思い出す。