他人の家

他人の家

「プリズム」に続いて、作者初の短編集という「他人の家」を読みました。

 また作者の言葉と訳者あとがきを書きとめておきたいと思います。

 

P237

 私たちは異様な時代を生きている。感染症が蔓延する世の中、すべての人々の行動や考え方が同じでなくてはならないという、画一性に向かう動きが一層、人々を大きく呑み込みつつあるように思う。いわゆる世間の風潮から、少しでも考えが外れようものなら受け入れようとしない大衆が、そうではない人々に服従と謝罪を懲らしめのように強要する。

 ここでの「大衆」とは、すでに実体のない怪物に近いものだ。狙い定めた瞬間に無力な個人へと砕け散ってしまうか、団結すれば図体を巨大に膨らませていくという点で。この怪物は、正義をまとった非理性とニセモノの道徳を武器としてかざし、決して鏡を見ようとしないために、逆に標的にした誰かを怪物に仕立てあげ、打ち負かされなくては気が済まないのだ。

 怪物のターゲットにならない方法は、じっと口をつぐんで意見を言わないことだけだ。世の中の風向きが変わるまで、悲しいことに大多数の人は沈黙で身を守り、不条理から目を逸らす。怪物から自らを守るのは仕方がないとしても、自分と他人をじっくり見つめるという行為をなおざりにすることがないようにしよう。そうすれば、自分の宇宙がそうであるように、他人の宇宙の中にも、さまざまな動作原理があるということに気づくことができるから。怪物にならないためだけでなく、誰かと真の意味で通じ合うためにも、たった一人の自分として完全に存在するためにも、他人への視線は、静かな眼差しであるべきだ。文学の行為が、他人の家を、評価することではなく、垣間見る行為だとすれば、本の役目は明らかだ。

 本は、私たちを大衆から市民へ、観衆から読者へと導いてくれる。

 もちろん、この本は恥ずかしながら、そんな大それたことができるような大層な本ではない。それでも、この本のタイトルが差し出したものを、ときどきでも読者のみなさんが胸に抱いてくれたなら、作家冥利に尽きる。

 

P265

 ソン・ウォンピョン作品の魅力の一つに、その豊かな語彙力を自由自在に軽やかに駆使し、独特の表現を随所に織り交ぜながらも、見事に明快さを生み出している点が挙げられる。どんな文章を書きたいかという質問に対し、著者はオンライン書店のインタビューでこんなふうに答えている。「正確な文章を書きたいんです。辞書的な意味ではなく、あくまでも主観的な正確性という意味での。独創的でありながらぴたりと合うような。型にはまっていないのに極めて明らかだというような。独創性と明確さは一見、合致しなそうな単語だけれども、運よく二つがうまく合わされば、優雅でシンプルな結果が生まれるのです」。著者の作品を翻訳してみると深く頷かされる言葉だ。ソン・ウォンピョンはその優れた筆力で、私たちに問いかける。他人に、社会に、自分自身に、つねにどんな視線を向けているのか、と。