なんとなくしか知らなかったことを、知ることができました。
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実家の父から久しぶりに電話がかかってきたのは、2019年。36歳になっていた。1歳下の弟が、知能検査を受け、発達障害だと診断されたとのことだった。立花さん自身も、自分が発達障害やADD(注意欠陥障害)かもしれないと思っていたため、一度検査を受けてみることにした。
・・・その結果、全般的なIQ(知能指数)が平均を大きく超える137だった。・・・
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驚いた。臨床心理士からは「発達障害の可能性はほぼない。単に知能が世の中の人より高いだけの健常者ですね」と言われた。立花さんはそれまで、自分の生きづらさは発達障害のせいだ、となんとなく思っていたが、それは間違っていたことがはっきりした。この時、初めて自分の特性が何なのかを知りたい、と思った。
結果を知人に言うと、「ギフテッドじゃん」と言われた。初めて聞く言葉だった。「ギフテッド」に関する専門書を片っ端から読んでみた。
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立花さんは言う。「私は、自分のことを『天才』とは思いません。ただIQが高いという個性があるのだということがわかりました。そのせいで、これまで息苦しさや孤独を抱えていたのだと理解できて本当に良かったです」。
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さて、立花さんのトークを収録した朝日新聞ポッドキャストは、22年12月上旬に配信された。「同級生と話が合わない」「なじめたことは一度もない」「授業はクソつまらない」。そんな立花さんの率直な語りぶりが、多くのリスナーの好評を得た。
収録の終盤、司会者が立花さんに「自分の経験を踏まえ、どんな世の中になればいいと思うか」と聞いた。
「ほっといてほしいですね」
即答だった。立花さんが生きやすさを感じたタイミングは、高校生になって行動範囲が広がったり、社会人になって使えるお金が増えたりするなど、自分で選択できることが増えた時だったという。
「子どものころは大人の見守りは当然必要だと思いますけど、普通と違うからと枠にはめようとしたり、周りの子どもと比較したりするのは、やめてほしいですね。ましてや、ギフテッドだから才能をのばさないといけないとか、才能を見過ごしてはもったいない、といった考えは大きなお世話です。その人が、その人らしく生きられるような社会になることが大事なのだと思います」
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少年は、都内に住む小学4年のユウ君(10)。毎日、母(42)と2人でこの公園や近くの河川敷で、野鳥観察をしている。・・・
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・・・苦悩を、母は打ち明けてくれた。
「息子は、目や耳の感覚がとても敏感です。自宅でさえ休める場所ではありません。できるだけ人が少なく自然が多いところで時間を過ごそうとして始めたのが野鳥観察でした」
「学校はどうしていますか?」と私が聞くと、母の顔は少し曇り、それでも不安を振り切るように言った。
「今はもう学校に行かせなければ、という思いはありません。にぎやかな学校は、とても居づらい場所なんです。私がそれに気づいてあげるのも遅くて、息子はだいぶ苦しみました」
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小2の3学期が始まる日だったという。
始業式のその日もふだん通り学校へ行った。持って帰ってきたのは、その月の目標を書くカード。そこにユウ君は「自分がつらくならないようにすること」と書いていた。
驚いて母が聞くと、ユウ君は「音が痛くてつらい」と言った。・・・
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母子で保健室登校を始めたある日、突然ユウ君が「痛い、痛い」と涙目で訴え出した。母は音や刺激は何も感じなかった。ユウ君が「誰かが外でボールをやっている」と言うので、母が保健室のドアを開けて校庭を見た。すると、上級生たちが体育の授業を始めるところで、ボールをバウンドさせたり、投げ合ったりしていた。保健室の中からは、その様子を見ることはできない。なのにユウ君は「針が刺さるような痛み」を感じると言った。母は愕然とした。
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耳だけではない。目の独特な見え方も、母はユウ君が学校に行かなくなってから初めて聞かされた。
「文字が見えていないんだけど……」
自宅で学習していると、ユウ君がポツリと言った。・・・くわしく聞くと、教科書の一つ一つの文字が、顕微鏡で見るように拡大表示されて見えると言った。
教科書を開いて何が見えるかを母が聞くと、「まるい点々がたくさん」と言った。印刷された文字はインクの無数の点々が集合して見える仕組みであり、その点々が見えているのだという。
「どうやって文字を読んでいるの」。母が聞くと、ユウ君は「見えた部分を、ジグソーパズルのように高速で組み立てている」と答えた。・・・
・・・もしかしてずっとつらかったの?母がそう聞くと、ユウ君はうなずいた。「もうがんばりたくない」と言い、さめざめと泣いたという。
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もう一つ、ユウ君には不思議な感覚がある。・・・
近くの物が見えていないのに、どのようにぶつからずに歩いたり野球のボールをつかんだりしていたのかと聞いた。するとユウ君は「波が伝わる」と言った。「ボールから波が伝わってくるでしょ。それで何とか」と。
「自転車に乗るのは?」と聞くと、「自分から出る波が、周りの物から出る波をキャッチし、世界が一瞬だけ透明のようになる」。それによって、あいまいだが周りに何があるかわかり、大まかな空間把握をしているのだという。
ただ、この波も強くなると「たたかれたり刺されたりするような痛み」を感じるという。
しかし、波と言われても、母にはもちろん理解できなかった。「みんな波の感覚はなくて、痛みも感じていないよ」と伝えると、ユウ君は落ち込み、泣いた。ユウ君は、みんながそうした感覚を持ち、痛みを我慢するのが当たり前だと考えていたのだという。母は落ち込んだ。学校でも、電車内でも、自宅でも、そんなつらい状況をずっと我慢していたなんて。気づくことができず、母は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ある日、ユウ君は自宅にあった渦巻き形のランチョンマットを抱きしめていた。「ぐるぐるがいい」と言った。また、自宅にある天然の水晶を持ってみると、楽な感覚になるとも母に言った。水晶の結晶構造はらせん状であることが知られている。お守りにして持ち歩いているという。
母は言う。
「息子は同じ世界に生きているけど全然違う世界を見ています。とにかく受け入れて、ゆっくりと歩んでいくしかないと思っています」
そんなユウ君が脚光を浴びる出来事が、22年3月にあった。
ユウ君が描いた鳥の絵が、日本の企業などが企画したデジタルアートのコンペティションで、金賞を受賞したのだ。・・・最高額の賞金1万ドルが贈られ、オークションにも出品され落札されたという。
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・・・ユウ君は、受賞時のコメントでこう自分を紹介した。
<ぼくの目は、みんなと同じようには見えていなくて、とても狭い範囲しかわかりません。自分の絵も、全部は見えなくて、一部分だけ見えます>
<小さいものは、とてもよく見えるので、ずっと遠くの方を飛んでいる鳥を見るのが好きです>
賞金は、ユウ君の意向で、国外の難民を支援する団体や、障害やケアが必要な子どもの支援団体、ネパールで視覚障害者を支援している団体などに寄付しているという。「息子のカメラを買うお金ぐらいは残してもいいと思っていて、話し合い中です」と母は笑いながら教えてくれた。
公園での取材から1ヵ月ほどたった22年11月。ユウ君は、視覚発達の専門医による視野の検査を受けた。視野が5度しかないことがわかったという。医師は、一般的に人の視野は180度~200度あると言い、なぜそんな狭い視野で歩いたり物をつかんだりできているのか不思議がったという。
ユウ君と初めて会った時、母に手伝ってもらいながら話してくれた言葉を私は思い出す。
「これまで、一生懸命みんなに合わせちゃっていて、なぜ自分がそんなに疲れてしまうのか、わからずいろいろつらかったです。僕の努力と我慢が足りないと思っていました。でも今は、鳥を観察したり、絵や漫画を描いたりして、心の中を表現したりできることが楽しいです」