宇宙の配慮

すべてはここに始まりここに帰る エドガー・ケイシーの超リーディング

 おカネのことだけを考え続けるのは偶像崇拝である、というのを読んで、ほんとだ(笑)と思いました。

 

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光田 リーディングは、「金も銀も、丘に憩う牛や家畜も、全て主のものである」という言い方をよくします。おカネのことだけを考え続けるのは偶像崇拝である、とも言います。・・・

 実際にエドガー・ケイシーの生活は、苦労はしていますけれども、それで飢えてひもじい思いをするとか、惨めな思いをするようなことはなかった。

 有名なエピソードがあって、エドガー・ケイシーは中年期に、それまで住んでいたケンタッキー州からバージニアビーチに引っ越すわけです。バージニアビーチはそのころは寂れた漁村ですから、ほんの数軒しか家がなかった。しかも、引っ越した時期が秋の終わりぐらいだったそうです。エドガー・ケイシーは、おカネもなかった。小さい子どもが2人いたわけですけれども、温暖なところから寒い土地に来たので、着るものもない。子どもたちが「お父さん、寒いよ」と言い始める。最初は、新聞紙を丸めて自分の服の中に入れてみたりして暖をとるんですけれども、それでも追いつかなくなった。

 そのときにエドガー・ケイシーはひざまずいて、「子どもたちが寒がっております。どうぞ私たちが十分生きていけるようにお計らいください」と主にお祈りをするのです。そうすると、その日の夕方、自分の家のドアをノックする人がいます。誰だろうと思ってあけてみると、日本で言うと電話会社の人だった。「実は近くで電柱の取りかえ作業をしているんです。古い電柱が要らなくなって、処分に困っているので、よかったらお宅の薪に使ってくださいませんか」と。既に薪の大きさに切って持ってこられたのです。エドガー・ケイシーが「寒いです」とお願いすると、宇宙がただちに配慮して、与えてくださる。

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 エドガー・ケイシーの人生を見ていると、経済も実際には神の配慮の上で動いていると思わざるを得ませんね。私もそう信じているので、なくなったらなくなったときだけれども、少なくとも自分が生きるべき人生を生きていて、神が望まれるような生き方をしている限りは、特別に飢えるような、あるいはみすぼらしい、世間の人から後ろ指を指されるような生き方にはならないだろうとは思ってます。時々断食

するぐらいの経済的困窮は味わうかもしれませんが、気にしていない(笑)。それはきっとほどよい断食になると思っています。

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 ・・・エドガー・ケイシーのすてきな言葉に、「あなたがたのプロジェクトの土台は、祈りでなければならない」というものがあります。プロジェクトの土台は祈りなんですよ。祈りのないプロジェクトは、結局は成功しない。美しい言葉ですね。