おばあちゃんたちの言葉、たくさん印象に残りました。
P162
「彩」を始めてみると、葉っぱを扱う仕事は、おばあちゃんたちにはもってこいだった。軽くて扱いやすいし、きれい。それに、数センチ単位で大きさをそろえてパックに詰める作業は根気が要る。若い人よりもおばあちゃんに向いていて、手際もよほどいい。
おばあちゃんたちの頭の中に、山の自然や葉っぱに関するノウハウがいっぱい詰まっていたことも大きかった。
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「彩」が売れて、自分の稼ぎができたことを、おばあちゃんたちはごっつい喜んでくれた。
「横石さんや、男の人には分からんわ。自分で稼いで、自分で使えるこのうれしさっていうのは言葉にできん」
「自分の子や孫に、自分のお金として使える喜びは、男の人には分からん」
そんなふうに話しては、めちゃめちゃうれしそうだった。
P165
これまで独自にやってきた中で、「気」を育てることは、最も大きな成果を挙げたと思う。・・・人と自分の間に信頼関係を築いて、「やる気を育てる」「その気にさせる」という実践法なのだ。
農協時代、私はしょっちゅう職員のみんなに無理を言って出荷作業をしてもらっていた。終業時刻が来ても、商品の入ったパレットを山のように積んで作業をお願いした。
「あと15分だけやって!儲けになるからやって!」
こんな調子で毎日仕事をしてもらった。みんなは「しゃあないな」と言いながらも、やればやっただけ儲かるので手伝ってくれ、また、それが面白かったと言ってくれた。
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「気」を育てることの積み重ねで、農協全体の売り上げはずっと伸びてきた。逆に「気」を育てる人間がいなくなってから売り上げが急落していったことは、第5章(122ページ)で説明したとおりだ。
それがまた、新たな心配のタネだと言う人もいる。
「ほらいま、上勝町は怖いんでよ。これだけ視察で人が来て、マスコミでも取り上げられてすごい評判やけど、実は風を回す人間が一人おらんようになったら、いっぺんにあかんようになる。だから、ある意味では、すごい怖いな」
現在、彩部会長を務める西谷吉雄さんも、将来を見据えて言う。
「いまはまだ農家が、行政や『いろどり』(会社)に頼り過ぎとると思うんよ。自分の責任で自発的にやってみる気持ちが欠けとる気がする」
そう言って、自らパソコンで資料を作り、自発的に勉強会などを開いてくれている。
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こうして「気」を育ててきた影響からか、上勝のおばあちゃんたちは実に元気だ。80代の人でも、朝から晩まで仕事をしている。出しているごみを見れば分かるが、栄養ドリンクをすっごい飲んでいる。
「病は気からと昔から言うだろ。80も過ぎたら、ほらみんな体のどこかは痛いところがある。ほんでも朝起きて、今日はこれやりたいと思うことがあったら、からだの痛さは消えて、苦にならんでよ。なにもせんでええって言われるんが一番つらい」
P193
「彩」を始める前、上勝のお年寄りはすることがなくて、毎日のように診療所やデイサービスに行っていた。病院でみんないつも顔を合わせ、誰かが来ていないと心配する。
「あの人、病気とちがう?」
それがいまでは、「忙しいて、病気になるひまがないんよ」と毎日笑顔働いている。
TBSの『中居正広の金曜日のスマたちへ』に出演した働き者の針木ツネコさんは、デイサービスの誘いの電話もすぐに断ってしまうという。
「忙しけん行けんのよ、注文来とるけんな」
出番と評価、人を元気にするには、このことが本当に大切だ。若者から高齢者まで、一人ひとり地域の中で自分の出番があり、働いて評価され、社会とつながっていると感じられれば、働くのはとても楽しいことになる。
「世界中探したって、こんな楽しい仕事ないでよ」
あるおばあちゃんの言葉だ。誰でも、自分が自分であることがうれしいのだ。
P203
「ほんまにこれは生きがいじゃあ、死ぬまでやめれんわぁ」
こんなふうに話す「彩」のおばあちゃんは多い。いったい何歳まで続けるつもりなのか。みんなこの仕事が生きがいになって、頭も体も若返ってきている。
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「彩」農家の中には、大病を患っても、大きな悲しみに直面しても、葉っぱの仕事を続けることが心と体のリハビリにつながり、元気を取り戻している人も少なくない。
進行性の脊髄の難病にかかってしまったある人は、それでも「彩」を生きがいにして、「運動にもなるし、できるうちはがんばりたい」と、何十種類ものつまものを出荷している。
脳梗塞で倒れ、脚に少し麻痺が残ったというある人も「何ていうても、軽いのがええわ。きれいなものを作る仕事やけん、気持ちもええな」と、毎年のように新品種の苗木を植えてチャレンジしている。
骨盤を悪くし、重いものが持てなくなったある人は、「病院のリハビリに行くより気が晴れる」と、草を抜いたり、葉っぱの手入れに余念がない。
頭に腫瘍ができて、一時は歩くことすらできなくなった人もいる。その人は手術後、早く、「彩」の仕事に戻りたい一心で短期間で退院し、静養もそこそこに仕事を始めた。それがリハビリになったのか、じきに一人で歩けるようになって医者も驚いたという。
突然の病で子どもが亡くなり、家にひきこもって泣き暮らしていた人もいる。心配した近所の人が、ちょっとでも「彩」をしたら気がまぎれるからと励まし、葉っぱの作業をするうちに少しずつ立ち直ることができたという。
高齢者に「自分ができる仕事」という生きがいを持ってもらうことは、これからの高齢化社会に欠かせない大きなキーポイントだろう。
P212
自分が社会の役に立つということが、どんなにうれしいことか。このことを「彩」事業を通じて、おばあちゃんたちから教えてもらった。
事業の成長とともに、最近では「息子が帰ってきてくれることが何よりもうれしい」と涙を浮かべるおばあちゃんの姿が見られるようになって、これは私の人生最高の喜びである。
この事業の成功は、もちろん私ひとりでできたものではなく、多くの人が応援してくださったことによるものだ。本当にありがとうと感謝の言葉を捧げたい。