知ってるだけで、誰かを傷つけずに済むので、こういう本ありがたいなと思いました。
P77
「自分としては競技は競技、性は性と割りきって取り組んでいました。それでも、意識しないところで僕がゲイであることが、芸術性の表現の部分でよい演技ができなかった理由だったのかも、と思い返すときもあります」
男女が組んで競技をするペアやアイスダンスは、男女の機微の表現が芸術性の高さにつながるときがある。その場合、演技中は選手同士が一種の疑似恋愛のような状態になることも大切。特にアイスダンスは、ペアよりも芸術性がさらに重視される種目なのだ。その点でゲイである冬馬は、演技をとことん追求しても、男女―すなわちヘテロセクシャル(恋愛や性的欲求の対象が異性の人)でシスジェンダー(出生時に割り当てられた性別と性自認が一致する人)の異性同士―による心から湧き上がる恋愛の感情表現をするには限界があった、ということである。
「だから、たまに考えるんですよ。カップル種目で同性と組めないかなって。・・・男子同士であれば、今までのフィギュアにはない、ダイナミックでアクロバティックな技だって生まれそう」
・・・
実は取材から少し時間が経過した二〇二二年一二月、カナダではフィギュアスケートにおけるカップル種目の出場ルールが、「男女」から性別を問わない「二人」に変更された。つまり、同性同士でも出場が可能になった。理由はもちろん「性の多様性の尊重」である。冬馬の願う世界は、もう一部が現実になっている。
P188
「MtFがアスリートとして女性のカテゴリーに出場する。それについて批判の声が上がることは理解できます。個人的には、生まれた性別を間違えただけなのに、かわいそうだな、認めてあげてほしいって思うけど。ただ、〝数字〟で勝負するスポーツでは難しい点があるのも確か」
だから、プロレスは楽しい。
「プロレスって性別が関係ない〝ネオ無差別〟みたいなところがあるんですよ」
・・・
エチカは、トランスジェンダーに対する世間の反応を冷静に受け止めている。・・・
「こちらの権利を強く主張すると、相手をトランス嫌いにさせてしまうんじゃないかって。こっちの印象を上げて、『私たちも普通なんだよ』と思ってもらうことが大切というか」
・・・
「今は場面によって、ジェンダーはデジタルに切り分けないといけないこともあると思います。たとえば公衆浴場なら、男・女の二つ。あるいは、手術した男・女を合わせての四つ。でも実際のジェンダーって、アナログというかグラデーションになっているのも確かなんです。FtMで男が好きとか、シス男性で女装が好きとか。いきなりそこまで細かく分ける対応を社会に求めるのは現実的ではないし、いつまでもLGBTQが社会に溶け込めない原因になりかねない。というか、私だって勉強が追いつきません(笑)。だから、私たちがどうしても歩み寄らなければならない限界もあることを認める必要がある。陸上や競泳など数字で結果を出すタイプのスポーツも、そのひとつかもしれません」
この言葉を裏返せば、だからこそエチカは〝ネオ無差別〟なプロレスに深く引き込まれたようにも感じる。
二〇二四年に入り、コツコツと働いて費用を貯めたエチカは性別適合手術を行った。・・・同年秋の復帰を目指し、戸籍も女性に変更する予定だ。これで心も体も女性になれる。喜びしかないが、ひとつだけ女子プロレスラーとしては肝に銘じていることがあるという。
「早く手術をしたかったのは事実なんですけど、名実ともに女性になれることで、自分の内面の弱さも克服できると期待しすぎてはいけないというか……。手術さえすれば完全に女性になれると思うのは、いわばガワだけに頼っていることじゃないですか。身体だけではなく自分も心から女性であると自信をもって生きていけるようじゃないと、本物ではないし、お客さんを魅了できないと思っています。声援を送ってくれるお客さんの存在は本当にありがたいですし、うれしい。だけど、『本心はどうなんだろう?』と疑ってしまう子どもの私が、まだいるんですよ」
・・・
「私がこれまで歩んできた人生を知って、救われる人もいると思うんです。自分の性別や生き方に悩んでいる人、要は昔の私のような人はまだたくさんいると思う。そういった人がプロレスを通して私を知り、自分なりの正解や道を見つけてくれたら、すごくうれしい。私もそうだったけど、『自分はヘンな人間なんじゃないか』という思いって、人によっては死にたいという気持ちにつながりかねない。私がそれを少しでも食い止められるくらい、影響力を持てるようになれたら……」
・・・
「今が一番楽しいし、自由なんですよ。だから私は、もっと素敵な女、カッコいいプロレスラーになりたい。『もともと男?そんなの関係ないじゃん』とたくさんの人にいわれる魅力的なプロレスラーに。そのためには何でもする覚悟ですよ」