ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた

ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた

 いろいろな問題に、こんなふうに取り組んでいる人たちがいるんだなと、初めて知ることが多かったです。

 

P196

 本書は、毎日新聞の文化面で2020年4月から2022年3月にわたって連載された「斎藤幸平の分岐点ニッポン」を書籍化したものである。・・・

 この連載の思い出は「大変だった」に尽きる。連載の開始がコロナ禍と重なってしまい、緊急事態宣言下での取材には、移動や取材方法で多くの制限がかかり続けたからだ。普段の思想研究は部屋に閉じ籠って、テクストと向き合う必要があるからこそ、「現場に行く」ことをテーマとした連載の話をもらったときはとても嬉しかったが、「現場に行く」ことがこれほど大変になるとは、まったく想像もしていなかった。

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 今でもよく覚えているが、・・・この新企画の話を聞いたとき、これは逃してはならない勉強の機会だと思った。それは二つの意味で、私が当時感じていた課題に深く関係する提案だったからである。

 一つ目の理由は、自分の研究に関係している。大学に入って以降、自分がカール・マルクスの思想をずっと研究し、ポスト資本主義の可能性について考えてきた背景には、資本主義が生み出す貧困や環境破壊に対する怒りがあった。だから、古典を研究する時にも、理論は単に机上のものではありえなかったし、反貧困運動や反原発運動にも関与してきた。けれども、社会には労働問題や環境問題以外にもジェンダーや人種差別など数多くの問題があり、それらは複雑に絡み合っている。にもかかわらず、様々な理由をつけてそうした多様な問題について学ぶことを怠ってきたことに、限界を感じていたのだ。・・・これまで自分が十分に関心を払ってこなかった問題を学ぶきっかけにしようと決意した。

 また、その際には、日本の現場を直接見たいと願っていた。これが二つ目の理由である。高校を卒業してから大阪市大に30歳で就職するまで、私はずっと海外に留学していた。そのため、自分が知っている興味深い社会運動についての事例も欧米を中心としたものになりがちだった。・・・日本で新しい社会の萌芽を育てていくためには、まず日本の現場をしっかりと自分の目で見て、そこから考えなければいけないと感じていたのだ。・・・

 

P46

「各人が経営者として考え、行動する」。豊岡市林業を営む「ネクストグリーン但馬」(NGT)・・・

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 もっと自由で、持続可能な働き方はないのか。そう期待して訪れたのがNGTだった。なぜならNGTは普通の企業ではない、労働者協同組合「ワーカーズコープ」の一員だからだ。

 労働者協同組合とは、労働者たちが自ら出資・経営し、自由で対等な働き方の実現を目指す「協同組合」である。・・・

 協同組合に社長はいないので、どんな仕事をするか、作業や役割分担も自分たちで決める。金儲け主義でもない。労働者のため、地域のため、自然のための「よい仕事」をするのだ。

 NGTのメンバーは「ワーカーズコープ 但馬地域福祉事業所」の組合員。事業所の始まりは09年、当初の活動内容は若者就労支援だったそうだ。・・・

 その後、事業が拡大するなかで13年に発足したNGTは現在、30~50代の男女5人。林業に興味がある、山が好き、など加入した理由はそれぞれだ。・・・

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 5人は朝8時過ぎから山に入り、夕方5時ごろまで作業を行う。天気が悪ければ、事務所で木工品を作るか、休みにして代わりに土日に働くことも。蜂蜜を作ったり、梅やドクダミを育てたり、他分野への挑戦も欠かさない。「やりたいことを気軽に提案し、採算がとれるかわからない段階でも「ちょっとやってみよう」と進められる。仕事の自由度は高い」・・・仲間と話し合いながら実験と失敗を繰り返し、地域に必要で役立つ仕事を自分たちで掘り起こしていく。

「ここに来るまでは管理されて働くことしか知らなかった。自分で仕事を一から仕立て、実行する。他人任せにするのではなく、みんなで責任を持つ。話し合いは面倒で、時間もかかるが、やりがいがある」。・・・

 

P85

 私たちの社会は電気がなければ何もできない。・・・原発事故があったのに、依然として、電気の「コスト」について驚くほど無知で、無関心なままである。

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 この悪循環を変えるにはどうしたらいいのだろうか?ヒントを探して訪れたのは、奈良県生駒市だ。案内してくれた楠正志さんは、電機メーカーを定年退職後、自分が生駒市民として、街のために何もしてこなかったことを反省したという。・・・

 そこで、自分たちで再エネ電力をまかなう市民電力を仲間たちと計画し、13年に社団法人「市民エネルギー生駒」を設立した。発電のための太陽光パネル設置費用は2000万円近くになったという。楠さんらは粘り強く説明会を開いて市民から出費を募った。すると当初は懐疑的だった人たちも説得され、状況は好転。目標金額に達したどころか、1号機の成功もあり、その後も大人気で、2020年6月の時点では4号機まである(その後、2021年に5号機が完成)。

 ・・・生駒市は、この取り組みをきっかけに14年、国の「環境モデル都市」に認定された。・・・

 ・・・私はここに持続可能な街作りに向けての一つの希望を見つけた気がした。「環境」・「経済」・「社会」のシナジー効果だ。・・・ただ消費するだけの「お客様」から、電力や地域の活力を生み出す「市民」に。これこそ、新自由主義が推し進めてきた「民営化」から脱却する「市民営化」への大転換ではないか。

 

P179

 私が環境問題と資本主義の関係を深く考えるきっかけとなったのは、大学院生のとき東日本大震災の際に福島で起きた原発事故だった。以来ずっと、福島を取材したいと思っていた。そして、その際の現地案内は、いわき市在住の地域活動家、小松理虔さんにお願いしようと決めていた。

 一度訪れただけで、大仰に福島を語るのはおこがましいという意見もあるだろう。だが、語ることを「真の」当事者のみに限定すれば、大多数の人は考えることもしなくなる。小松さんは、「事を共にする」というゆるい関わりに根ざした「共時者」という言葉を提案し、みなが「共時者」として、例えばきっかけは「福島で酒を飲みたい」という動機でもいいから、福島について思いを馳せ、考えてほしいと訴える。そんな小松さんの『新復興論』を読み、ずっと話を伺いたかったのだ。

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 小松さんのガイドで見えてきたのは、失われた歴史である。いわき市には当然、石炭が出る前から人は住んでいて、小規模の漁業や農業を中心とした地域の豊かな伝統や文化があったはずだ。だが、今や近代化以前の歴史はごっそり切り捨てられている。残っているのは、東京から押しつけられた近代化以降の記憶なのである。

 この近代史観が復興にも影を落としていると小松さんは話してくれた。この地において、「復興のイメージは近代化の豊かさと切り離せない」のだと。その結果の一つが、震災後の大型ショッピングモールや巨大な港の建設なのだろう。・・・もっと別の未来のあり方を語ることは、果たしてできないのだろうか?