ジェフリー・S・アイリッシュさん

漂泊人からの便り (南日本ブックス)
「漂泊人からの便り」という本を読みました。
著者のジェフリー・S・アイリッシュさんはカリフォルニアで生まれ、もう日本に20年以上住んでいる…しかも住んでいるのが鹿児島の限界集落という方です。
こちらで紹介されています→http://www.sotokoto.net/jp/interview/?id=27
牛の見張り小屋だった建物をきれいにして(とはいえ普通に家の中にヘビなど登場してますが ・_・;)、大地に根差した暮らしをされています。
そんな日々のエッセイが綴られた一冊。読んでいると気分がとても落ち着きます。
日本語をこんなに自在に操れることも驚きです。

たとえば…

P220
家族
 この前、勝目で豆腐を作っている大ちゃん一家と、大隅半島までキャンプに行ってきた。山川から朝一番の根占行きのフェリーに乗ると、七歳のジュンと四歳のユイはデッキの上を走り回っていた。
 この日は田代町の小さな山を途中まで車で走り、残りを頂上まで歩くつもりだった。が、県道から林道に入ってすぐ、葦が道を狭め、タイヤが大きな石ころに捕らえられそうになった。車を置いて歩き出すと、ちょっと行ったところに川の涼しい声が聞こえてくる。これは一番深いところで四十センチしかない、岩の間を転がってくる小さなせせらぎ。それでも私は泳ぎたい。私がパンツ一枚で入ると、ジュンもユイも川の端でシャツをアゴや鼻に引っかけながら一生懸命脱ごうとしている。三人でしばらくバタバタして、ユイの唇が紫色になったころ、みんなで沢を上り始めた。川のくねりのその向こうを何となく見たくて、またその更に向こうに魅かれて、風景を捲りながら上り続ける。私はユイを抱っこして、岩から岩へと跳ぶ。猿の親子のように。先に上っているお父さんの大ちゃんもいつの間にかパンツ姿になっている。
 この日の午後はまた車で移動して、田代と佐多の町境に立つ稲尾山を歩いた。今度は登山道のある沢をその源まで登る。ジュンは後ろから追ってくる熊に食べられないようにと先頭に。山の上、どこかの火山が昔吹き出した巨岩に腰を下ろす。ここは流れる雲と照葉樹の森が一望できる。ポツンポツン立ったり倒れたりの、枯れ木の骸骨が次の世代へと命を渡す。この山を歩いていると、何かがいつもと違って感じられる。後になって、この何かに気付く。ゴミが一つも落ちていなかったということに。
 この日の晩のキャンプは、錦江湾を見下ろす「さたでいランド」で二つのテントを張る。お母さんのマユミが親子どんぶりを作るそばで子供たちはゾウリを奪い合っての喧嘩。
 広い空の下で仲間と食べる、飯盒で炊いたご飯は格別においしい。ジュンが「雲に乗って狼がやってくる」という、私の一言をまだ少し怖がりながら寝袋に入る。
 次の日は佐多岬まで。ユイを背負って、青木牧場からいつも眺めている大隅の先っぽを初めて歩く。灯台の足元や東海岸によってくる波の兄弟は、カリフォルニアの海岸、自分の生まれ故郷にまで行くと思うと、この海の顔に親しみを感じる。帰りは雨が降ったりやんだりの花瀬川。畳石を渡り、そのひとつのプールに頭から飛び込む。すると怖いもの知らずのユイも頭からドボン。飛び込んでは顔をつけたまま私に向かって泳ぐユイは、また岩に登り、ドボンの繰り返し。川に下りてくるマユミも服を着たまま、うれしそうに飛び込む。
 たった三十六時間の旅が終わって、自分の家に帰る時、半分ほっとして半分寂しい。夕暮れの中、屋根に上がると開聞岳の影の遠い向こうに、佐多岬灯台がピカッと、今までよりちょっとだけ温かく光る。