ダライ・ラマさまとよしもとばななさんの対談本「小さないじわるを消すだけで」を読みました。
とてもよかったので、ご紹介です(^^)
P33(よしもとばななさんのお話)
あるときから、私は人ひとりひとりを機械の一部、歯車ではなく、細胞のひとつと考えるといいのではないか?と思うようになりました。
人間ひとりひとりが細胞で、みんなで大きな「人類」という人間を作っているのだと思うと、いろんなことがよくわかるようになります。
髪の毛の細胞の人、お尻の細胞の人、まぶたの人、唇の人、心臓の人、各部位の人にそれぞれ不満があり、それぞれの自負心があります。
自分の部署でない機能に対して憧れを抱いたり、ねたんだり、自分の部署の仕事をおろそかにしたり、それも全てそんなふうに説明できると思います。
お尻の人には頭の人のことがよくわからないくらい遠いが、確実につながっている、そんなところもよく理解できるように思います。
それから異様な罪をおかしたり、人を殺すことに心底喜びを覚えるような人たちに関しては、がん細胞のような異形の細胞だととらえると、しっくりきます。
だとすると、その細胞全部が集まった人間という存在をひとつにつなぎとめているもの、それこそが魂と呼ばれるものであり、特定の宗教ではなく、生命への畏怖心を呼び覚ます、大きなものを思う時の感覚ではないでしょうか。
目の前の人を自分の一部だと思うことができれば、その弱さを理解することも、人を攻撃することはすなわち自分に対する攻撃だといこともわかり、相手に対する怒りもなくなるはずです。
・・・
今ここにいるみんながひとつの体を作っている、不思議な、そして今しかない今世の私たちです。細胞は毎日少しずつ入れ替わっているので、今のこのみんなといられるのは今だけなんです。
だれもが生きにくく、だれもが孤独を感じています。
だからこそ、自分を知り、他者を思いやり、ただ生き抜くことで、人生を楽しみ、全うできることを願います。
そうしていきましょう。
P52(ダライ・ラマさまのお話)
困難に直面しても、愛と慈悲の心は大切です。知人のチベットの僧侶は、1959年から18年間、中国の収容所に入り、強制労働を強いられてきました。
1980年代前半に、インドで再会することができたとき、「辛いことはありませんでしたか、危機を感じたことはありませんでしたか」と聞いてみました。
私はもちろん命の危険があったという話が聞けるものだと思っていました。
彼の答は違いました。
「中国の役人たちに対して、自分の慈悲の心を失ってしまう危険を感じた」というのです。敵である中国の収容所の役人たちに対して、慈悲の心を維持していたというのです。
彼の心は鎮まっており、人柄は大変穏やかでした。今恐らく93歳くらいですが、今でも心は非常に透明で、明らかです。
P58(ダライ・ラマさまのお話)
・・・本当にきつい、厳しい状況に直面したとき、私たちは現実というものを受け入れざるを得なくなります。
私は自分自身をより現実的なものの見方をする人間に変え、より広い視野に立って物事を考えられるようになりました。
そのような意味において、私は中国共産党、当局の方々に心から感謝しております。もし私が難民としてインドに亡命せず、ずっとラサに居続けたならば、外見は聖者のふりをして、心の中では何の大した変化もなく、そのまま留まっていたのではないかと思うのです。・・・
・・・毎日多くの人に会い、その人の意見を聞き、背景を想像し理解しようとする態度が、私たちを高めてくれます。