人種は愉快なジグソーパズル

人種は愉快なジグソーパズル (14歳の世渡り術)

 大切なことを、わかりやすく書いてくれていました。

 

P22

「お待たせ!」

 通りに自転車を停めた彼女が右手を挙げて、カフェに入ってきました。

「カオちゃん(わたしの実名はかおり)元気だった?」

「うん、絶好調。美枝ちゃんは?」

 わたしは立ち上がって、彼女とハグをしながら、再会を喜び合います。

 しばらくのあいだ、互いの近況報告などをし合ったあと、ふと思いついて、彼女に取材を試みてみました。

「あれは、二十年くらい前だったかなぁ。マンハッタンを『ここは、私の町だ』と思ったって言ってたよね。実際に暮らしてみて、その思いは、どう変化したのか。変化はないのか。良かったら、教えてくれる?今ね、十四歳くらいの、日本の若い人たちに向けて、作品を書いているの。その参考にしたいから」

 彼女は、答えてくれました。

 以下、ふたりの会話です。

「この町のいちばん大きな魅力はね、まわりを気にする必要がないってことかな。つまり、生き方や考え方や働き方に、自由があるってこと。だからと言って、好き勝手に何をしてもいいってことではなくて、自由があるからこそ、自分で責任を持って行動しなさいってことなんだけどね」

「そういう自由は、日本には、なかったってこと?」

「少なくとも私の場合は、なかったね。日本では、みんなが同じ考え方をしなくてはならない、っていうような暗黙のルールというか、押し付けみたいなものがあって、ちょっとでも外れていると『自分がおかしいのかもしれない』って、思わされるような、そんな不自由さを感じていた。アメリカでは、不自由さや、生きにくさを感じることがない。これは、実際に住み始めてから今までずっと、そう感じてる」

「なるほど。日本にはない自由がアメリカにはある。その理由は、なんだと思う?」

「日本は一応、単一民族から成り立っているとされている国。アメリカは、ありとあらゆる国から、いろんな文化や宗教や生活習慣を背景に持った人たちが集まって、成り立っている国。だから、人と人は『違う』っていうことがベースになっている。違っているのが当たり前。これがアメリカの『自由』の根源にあるから。だから私も、まわりが自分をどう思うのか、どう見られているのか、気にしないで生きていけるんだと思う」

 違っているのが当たり前。

 いい言葉だなと思いました。

 当たり前のことなのに、日本で生まれ育ったわたしたちは、それを忘れて、人と同じじゃないといけないんだと、思わず知らずのうちに考えている。あるいは、そう考えるように仕向けられている。そんな気がします。

 ・・・

 違っているのが当たり前。

 その違いのひとつが人種なんだな、と、わたしは彼女の話を聞きながら、大きくうなずきました。

 人種の違いは、当たり前。

 日本人だって、本当はそうなのです。<単一民族><日本人の血>なんて言われているけれど、元をたどっていけば、朝鮮半島からやってきた人たちも大勢いるわけだし、韓国系の人もいれば、中国系、台湾系、モンゴル系もいるはずです。今の日本にも、外国籍の両親(どちらかが外国籍というケースもあるでしょう)のもとに、日本で生まれ育った人もいます。

 ・・・

 マンハッタンでは、いろいろな人種の人たちが肩を並べて暮らしているから、人種のるつぼと、かつては呼ばれていましたけれど、金属類がどろどろに溶けるるつぼ、ではなくて、野菜類がさくさく共存するサラダボウルの方がよりふさわしい。そう考える人たちが増えてきました。

 マンハッタンはmelting potではなくて、カラフルなsalad bowl―。

「いただきまーす!」

 わたしと友人は、ひとつのサラダボウルを仲良く分け合って、食べました。

 

P82

 コロナ禍のさなかに、日本の友人知人からよく、こんなメールが届きました。

「そっちでは、アジア人へのヘイトクライムが増えていると聞いたけど、だいじょうぶ?身辺に気をつけてね」

 最初に受け取ったときには、こんな返事を書きました。

「ええっ?ヘイトクライム?そんなもの、まったくないけど」

 ヘイトクライムーhate crimeとは、文字どおり、憎しみ(ヘイト)から引き起こされる犯罪(クライム)です。

 言いかえると、特定の民族、宗教、人種、性的志向、障害などに対する偏見から生まれる暴力。

 ロドニー・キング事件も、ジョージ・フロイド事件もヘイトクライムです。

 新型コロナウィルスが中国で発生したことを受けて、アメリカ国内では、アジア人に対するヘイトクライムが頻発している。なんてことは、しかし本当に、まったくなかったのです。少なくとも、わたしのまわりでは。

 もちろん、わたしがその対象になるなんて、そんな兆候も気配もなかった。

 それなのに、アメリカ人やアメリカ在住の日本人の友人や知人からも、そういった発言は聞かれないのに、なぜか、日本からは、やかましいほどに聞こえてきます。

「気をつけてね。心配してるよ。被害に遭わないようにね」

 誰もがわたしのことを心配してくれている。

 心配してもらえるのはありがたいことだし、感謝しないといけないわけですが、ヘイト、ヘイト、心配、心配と、耳に胼胝ができるほど聞かされていると、なんとはなしに「そうか、わたしって、そういった犯罪の対象になっているのか」と、不安になり、暗い気持ちになってくるではありませんか。

 わたしは普段、ニュース記事はほとんど読まないのですが(だって、いい加減な報道も多いし、読んだら必ず気分が落ちこむような書かれ方をしていることが多いですから)思い立ってリサーチしてみたところ、確かに、起こっていました、こんな事件が。

 ニューヨークシティの地下鉄内で、アジア系の男性が突然、刃物で顔を切り付けられる。ジョージア州アトランタでは、白人男性が「すべてのアジア人を殺す」と言って、マッサージ店で働く八人(アジア人は六人)を殺害してる。

 わあ、怖いなぁ、と思いました。

 気をつけないと、とも思いました。

 気をつけるって、でも、いったい何を、どうやって?

 たとえば、散歩しているときに、向かいから歩いてくる人が「もしもわたしを殺そうとしたら……」と考えて、それを避けるために、なんらかの行動を起こす?

 でも、それって、どんな行動?

 わたしもナイフか何かを持って、いざというときのために武装しておく?

 ぐるぐる考えているうちに、はっと気づいたのです。

 ヘイトから生まれるヘイトクライムによって、生まれるものは、新たなヘイトだけなんじゃないか、と。

 ヘイトを恐れる。

 わたしも殺されるかもしれないと、まわりの人を疑う。

 わたしの心のなかにも憎しみが生まれる。

 このような憎悪の悪循環に陥らないためにも、マスコミの過剰な報道や、記事中で踊っている扇情的な見出しなどを、うのみにしてはいけないな、と、思いました。

 なぜなら、日本人の友人知人は、日本のマスコミ報道でこれらの事件を知って、わたしのことを心配してくれたからです。

 先の二件の犯罪の背景には、単なるアジア人へのヘイトだけじゃなくて、そのほかにもさまざまな要素がからんでいたはずです。

 それなのに、いとも簡単に、これはアジア人へのヘイトクライムである、と結論づけて、話をまとめてしまうことこそ、危険なのではないでしょうか。

 コロナ禍によって、それまで自由にできていた、さまざまな行動に制約がかかり、人々の心のなかには、いらいらや不満や不平や不安が渦巻いていました。

 それらの発散の捌け口と「コロナは中国で発生した。よって、これはアジア人の責任である」という憎しみが、ぴたりと重なってしまった、ということなのでしょう。

 一方で、こういった恐怖や憎悪を鎮めるどころか、逆に煽り立てているのは、一部のマスコミの報道ではないでしょうか。あくまでも一部ですけれど。

 記事としておもしろく、刺激的にするために、過剰な報道になっていないか。

 日本からの過剰な「心配しています」は、わたしに「日本のマスコミ、だいじょうぶかな。アメリカの実態をちゃんと取材して書いてくれているのかな」という疑問を喚起してくれたのでした。

 

P89

「今、どんな作品を書いているの」

 ある日、グレンに訊かれて、

「黒人と白人の対立について、原稿を書いている」

 と、答えたわたしに、彼がこんなことを言いました。

「黒人と白人の対立よりも、もっと根深い人種問題について、しっかりと書いてほしいものだね」

「えっ、それって、どんな問題」

「決まってるじゃない。ジューに対する差別と偏見だよ。世界中で、大昔から、最もひどい差別を受けてきたのはジューなんだからね。今だって、そうなんだから」

 ジューとは、日本語に訳すとユダヤ人。

 そうか、ユダヤ人差別って、そんなにひどいものなのか。

「今だって?アメリカで?」

 灯台下暗しとはこのこと。四分の一、ユダヤ系であるグレンがそこまで言うのだから、これは信じないわけにはいきません。

「そうだよ、アメリカにおけるジュー差別だよ」

 ・・・

 ・・・成長していくにつれて、彼は自分がユダヤ系であること、そして、ユダヤ人は差別されている、ということを強く意識するようになっていきます。

 わたしがそのことを目の当たりにしたのは、渡米したばかりのころ、彼のお母さんと、お母さんの友人夫妻とわたしたちの五人で、いっしょに食事をしていたときのこと。

 何気ない世間話の途中で、夫妻の妻の方がこんなことを言ったのです。

「今や、アメリカの金融業界、映画業界は、すっかり、頭のいいジューに牛耳られているわね」

 グレンの顔色がさぁーっと変わったのがわかりました。

 お母さんの顔色には特に変化はなく、グレンもこの発言に対して反論を述べたわけではなかったのですが、みんなと別れて、わたしとふたりになったとき、彼は言いました。

「あの人はユダヤ人差別主義者だとわかった。以後、付き合うのをやめる」

 ユダヤ人は頭がいい。賢い。金融関係に強い。弁護士や医師になっている人も多い。

 誉め言葉のようにも聞こえますが、グレンにとっては、これこそが差別発言だと思えるそうです。

「弁護士や医師が多いのは、長いあいだ、一般企業から締め出されていたせいなんだ。自分の身を守るためには、個人資産を増やしておかなくてはならない。だからお金関係にも強くなる。ただ頭がいいだけじゃないんだ。ユダヤ人差別の根は深い。それを知らない人が多すぎる」

 ・・・

 人種というのは、全体主義国家や、権力を握ろうとしている政治家たちにとって、国民を支配するための格好の道具になってしまいます。

 ヘイトも同じです。

 わたしたちは、もっと賢くならなくては。

 人種差別や特定の人種を批判することによって、陰で得をして、ほくそ笑んでいるのは誰なのか。