[図説]ポケットと人の文化史

[図説]ポケットと人の文化史

 けっこうボリュームがあったので、読んだというより見たというページが結構ありましたが(;^_^A、ポケットがそんな大層なことになっていたとは、驚きがたくさんありました。

 訳者あとがきに、こんな内容です、とまとまっていたので、それから先に書きとめておきたいと思います。

 

P260

 ポケットを取りあげた本書の翻訳の仕事が舞いこんできた年は、新年早々空港の滑走路で航空機が炎上するという大きな事故があり、緊急脱出した乗客たちはさいわい全員無事ではあったものの、非難時に荷物を持たないよう指示があったため、事故後、テレビのインタビューに答える乗客の中には、「家のカギさえない」と途方に暮れた顔の人もいた。

 わたしはたまたまそのおよそ一週間後に同じ空港を利用することになっていたので、他人事とはとても思えず、自分ならどうだろうと考えてみると、着ていく予定のコートにはポケットがあるが、セーターとスカートにはポケットがなく、コートを着ないで脱出した場合には、携帯電話はおろか財布さえしまう場所がないのにはたと気がついた。

 ・・・

 著者のハンナ・カールソンはかつての勤務先で避難訓練があったときにまさしくそんな体験をしている。〝ただちに避難を〟という指示に従って身ひとつでビルの外まで出たが、携帯電話も持っていなかったため、それが訓練なのか、実際に緊急事態なのかをたしかめるすべもなく、通りで途方に暮れるのだ。

 ところが同じようにオフィスから退避してきた男性たちは、スーツのポケットに携帯電話と財布が入っており(おそらくキャッシュカードと地下鉄のICカードも)、携帯電話をチェックしてほどなくどこかへ移動してしまう。

 このようにポケットがひとつでもあるのとないのとでは、いざというときの備えに大きな差が出てくることをカールソンは身をもって知ることになる。しかもポケットのあるなしには性差があり、男性服にはほぼ必ずついているのに、女性服の場合は運頼みで、フォーマルな服ほどポケットがついていない。

 ではなぜこのような現状になったのかを、本書はポケットの歴史を振り返って紐解いていく。そもそもポケットは服についているものではなく、独立した袋を腰などにぶらさげていたこと、ブリーチズ(王子様のはくカボチャパンツのようなハーフパンツ)にシーツなどの家財を詰めていた例もあったこと、ポケットに手を入れるしぐさの意味、ポケットの中身が語ること、一九三〇年代にH・G・ウェルズが思い描いた未来服にはポケットがなかったこととその理由などなど。

 本書はポケットという切り口ひとつから、服とファッションだけでなく、人の行動、性差、偏見、犯罪、文学、映画などに関して幅広い考察を展開していく。・・・

 

P137

 一九三七年、ファッションイベントのプロモーターで『ハーパーズバザー』誌の編集者ダイアナ・ヴリーランドは、ハンドバッグをすべて廃止させると宣言した。・・・このときヴリーランドが着ていたシックなシャネルのシャツは内側に複数のポケットがあり、彼女はそこに口紅、頬紅、おしろい、櫛、タバコ、それに現金を入れていた。ヴリーランドは「古くさいハンドバッグ」は邪魔だとさんざん文句をつけたあと、ハンドバッグを一掃する計画を発表し、丸ごと一号使って「ポケットでできることの大特集」を組むよう提案する。必要なものを「男性みたいに」持ち運べるだけでなく、適せつな場所に物をしまえば、ポケットでシルエットが改善されるではないか。・・・そしてバッグを持ち運ぶことから解放されれば、身のこなしも足取りも軽くなる。「ハンドバッグほど女性の歩みを制限するものはないわ」と彼女は言いはなった。

 ・・・その後ヴリーランドは正気を失ったのかと編集長に注意される。バッグメーカーからの広告収入を危険にさらすことのできるファッション雑誌など存在しないのだ。とはいえ、のちに『ハーパーズバザー』誌のファッションページは「なんでもしまえるポケット」を一貫して全面的に称賛した。一九四〇年、注目すべきトレンドの記事では、「ポケットが熱い―巻きスカートについた巨大ポケット、シャツジャケットの深いポケット、イブニングスカートの内ポケット、ショートパンツの平べったいヒップポケット」とポケットを礼賛。自身はデザイナーではないヴリーランドは、数々の女性デザイナーを積極的に支援し、それには実用的な既製服、カジュアルウェア(最終的にはスラックスも)を生みだしたアメリカのスポーツウェアデザイナーも含まれた。・・・

 

P143

 ・・・一九四〇年、『ライフ』誌の記事は女性服に再登場した「ポーチ並みに大きい」ポケットを嘲り、兵士、猟師、郵便配達員、整備士、少年、そしてその父親たちはみな、多くのポケットを使っていると主張した。男性で独占されているこの職業リストがほのめかすように、男性は行動し、労働する。彼らが着る服はその多様な活動を反映し、それに備えるためのものでなければならない。女性はファッションに命じられたら「ポケットを身に着ける」が、女性がポケットを活用するとは「誰も予期していない」。

 これがポケット問題の核心だろう。片方の性別だけが機能的な衣服を必要とするのは、それを活用し、求めているとされるのが片方の性別だけだからだ。女性の居場所と、女性に期待される限定的な社会的および経済的貢献にまつわる実に古い考えは、いまだわたしたちとともにあり、わたしたちが作り、着ることに同意する衣服に反映されている。・・・ブルマーのポケットに女性たちはピストル、タイヤのパンク修理用のゴム、それに「女性参政権論者(サフラジスト)の演説」を「こっそりしまっている」。携帯できるものが増えるほど、より自由にふるまえる。「サフラジストのスーツにはポケットが大量に」あるという報道も、女性が隠し持てる必需品の数々がどんどん増えるのを社会が不安視していたことを示唆するものだ。・・・

 

P148

 では、ポケットを失った男性はどう感じるのか。二〇一七年、オンラインマガジン『バズフィード』の編集者がこの実験を決行。職場の男性四人に服のポケットを縫い閉じてもらった。はじめてポケットのないズボンをはく体験はちょっとした驚きになった四人は社員証と財布を忘れただけでなく、テイクアウトの食事を注文してオフィスへ持って帰るのにもひと苦労した。「ストレスが溜まってまいったよ」とひとりは昼には音をあげた。「ランチに行くのにも財布と鍵類を手で持たなきゃいけないし、置き忘れそうでずっと気にかかる」。ひとりは携帯電話を手に持ったままトイレで用を足す方法がわからなかった。骨の折れる一日が終わる頃には、四人の男性全員が、女性のポケットは不充分で不公平だと認めた。ひとりはこの体験を、電気が発明されているのに闇の中での生活を強いられるようなものだと語った。

 

P249

 新たなテクノロジーの成功でウェアラブルの使用頻度は高まり、習慣化する。これがテクノロジストたちがよりどころとする未来像だ。仕事で勝ち残るには、出勤途中にまでメッセージや電話をチェックしなければならないのかとグーグルは自問しなかったらしい。オフィスに到着するまで待てばいいだけではないだろうか?つねに連絡が取れる状態であるよう期待されること、社会学シェリー・タークルがつねに「つながっている」文化と呼ぶ状態に反発し、つながりを断つことを可能にするデザインが登場しはじめている。二〇一九年、ニューヨーク市に拠点を置くブランド、ジ・アライバルズは、ポリエステル、銅、ニッケルを胸ポケットの裏地に混合したウィンターパーカーを発表。・・・スマートフォンの電波とGPS信号をさえぎった。・・・共同創業者のジェフ・ジョンソンは説明する。「ほかのすべてのものとのつながりを断つことで、アウトドアとふたたびつながることを可能にする解決案をわたしたちは思い描いています」。称賛すべき目標ではあるが、ここでも自分で作りだした不必要で複雑で資源頼みの解決案が提示されている、たんに携帯電話の電源を切ればいいだけなのでは?

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 だが身体化されたインターネットはわたしたちの想像より早く実現するかもしれない。二〇一八年、未来学者エイミー・ウェブは二〇三一年までにスマートフォンはなくなると予測、二〇二二年にも再度同じ予測をした。「いまのようにひとつのデバイスでできることは減っていきます」。アップル社はこれを裏づけるように、二〇三〇年代にはAR(拡張現実)コンタクトレンズiPhoneに取って替わると発表した。デジタルテクノロジーは「身近になり、全身に身に着けるようになるでしょう」とウェブは考える。彼女の予測は、ツールとはポータブルか、ウェアラブルか、それとも一体型かという議論を無意味にする。しかし自分のツールのコントロールを他者に委譲するとき、わたしたちはそれと引き換えにはるかに大きな問題を抱える。