ボブが教えてくれたこと

ボブが教えてくれたこと

 ボブちゃんの写真もすごくいい♪すてきな本でした。

 

P13

 ・・・振りかえってみると、ボブと出会う前の人生は本当にひどいものだった。およそ十年ものあいだ、ぼくは麻薬の常習者で、その上ホームレスでもあり、路上かホームレス用のシェルターで寝起きしていた。再起するチャンスを逃して瀬戸際の状態にあり、〝猫に九生あり〟ということわざになぞらえると、まさに九つめの人生を生きていた。そこにボブが現れ、助けてくれたおかげで、ぼくは逆境から這いあがることができたのだ。

 ・・・

 猫のことをこんなふうに言うなんてへんだし、ちょっと馬鹿みたいだと思われるかもしれないけれど、実際にぼくはボブから生きていく上でのヒントを与えられている。すわりこんでボブを見ているだけで心が湧きたってくるときもある。ボブのひとつひとつの仕草や振る舞い、世の中とのかかわり方やさまざまな状況への対処の仕方、それに毎日の暮らしぶりにまで、ぼくは魅了されっぱなしだ。ボブといっしょにいることで幾度となく目を見開かされる思いがしたし、前向きに考えることもできた。これまでの十年ちょっとのあいだ、ボブはぼくにとってまさしく師でありつづけてくれた。

 

P48

 ある夜、ウエスト・エンドの歩道で仕事をしていたときのこと。身なりのよいひとりの男性が地下鉄の出口から現われ、ぼくらのいる場所からほど近いところでプラカードを掲げた。

 そこにはこう書かれていた。〝神を信じよ〟

 ・・・

 男性は聖書の一節を読みあげて説教をはじめたが、彼の話に耳を傾ける人はほとんどいなかった。あからさまにののしる者はいたけれど。彼は怯みもせず、ぼくはその姿にちょっと感心した。心から信じているものがあるのだろうと。

 しばらく彼を眺めていて、ふと頭にひとつの問いが浮かんだ。

 じゃあ、ぼくは何を信じているのだろう?

 ぼんやり考えていると、ボブがにゃあと鳴いて「お腹がへった」と伝えてきた。ぼくはリュックサックのなかからおやつを取りだし、腰をかがめてボブに食べさせた。すっかり食べてからボブはぼくの手に頭をこすりつけ、静かに喉をごろごろ鳴らした。

 そのときふいに答えが見つかった。

「ぼくが信じているのはきみだ、ボブ」

 心からそう思えた。ボブは人生をやり直すきっかけや生きていく上での目的を与えてくれた。ものの見方も変えてくれた。おかげでぼくはそれまでの自分にはなかった充実した生活を手に入れた。

 ・・・ぼくらはみな心のよりどころを必要としている。

 

P75

 ボブはひとりで何時間でも楽しく過ごすことができる。たとえば、半日ずっと窓辺にすわって過ぎゆく世界を眺めたりしている。まえに住んでいたロンドン北部のアパートメントでは、流れる雲、降り注ぐ雨、道行く人びとや車を見つめていた。とにかく、目にするものすべてに心を奪われているようだ。新しい家に引っ越してからもそれは変わらず、庭を眺めては、外の世界に魅了されている。

 そういう姿を目にしていると、とてもシンプルなのに、じつは底知れぬほど奥深い何かをボブが見せてくれているような気がしてならない。多くの人が懸命に理解しようとしている何かを。荘子の有名な言葉に〝幸福とは幸福を求めて努力する必要のないこと〟というものがある。

 幸せはほかから与えられるものではない、という意味なのかもしれない。追いかけて得るものではなく、もともと自分たちのなかにあるのだと。

 どうやらボブはそのことを知っているらしい。

 

P82

 路上で暮らしを立てていたころはたくさんいやな思いをした。無視され、侮辱され、ときには唾を吐きかけられた。

 でも、ボブといっしょにいればいつでも笑みがこぼれた。おかしなことをやらかすボブや、バスのなかで丸くなって眠っているボブを見るときはとくにそうだった。ボブに元気づけられるたびに、ぼくはいつの世でも変わらぬひとつのことを思いだした。

 それは、毎日がいい日ばかりじゃないかもしれないけれど、どんな日でも何かしらいいことはある、ということ。

 

P84

 よく晴れた夏の日のこと。ボブはジレンマに陥っていた。開いた窓の桟にすわり、居間に射しこんでくる日の光を浴びて幸せな気分に浸っている一方で、窓のすぐ近くに植えられた花のまわりをぶんぶん飛んでいるハチが気になり、やっつけたくてたまらないみたいだった。

 しばらくのあいだ、ボブはどうしようかと考えていた。・・・けれど、〝敵〟はそれだけではなかった。

 もうひとつの敵は、窓の桟に置いてあるティッシュの箱だった。箱のせいで自分のスペースが狭くなって窮屈な上に、いちばん光があたる絶好の場所を占拠されていたのだ。

 ボブは一分かそこら、作戦を練っていた。外を飛ぶハチとすぐとなりのティッシュの箱を交互に見比べながら。さて、どうする?

 動きだしたとき、その姿にはもう迷いはなかった。さっと立ちあがり、前足で箱を桟から叩き落として念願のベストスポットをぶんどった。それからは日の光を独り占めして存分に日光浴を楽しんだ。ハチはすっかり忘れられていた。

 このことから、ぼくはまたひとつ教訓を学んだ。問題に直面した場合、自分でできることはやる、できないことは放っておく。なんとかできることに集中し、どうしようもないことは忘れる。そうすれば、生活はよりシンプルになり、楽しさも増す。

 

P126 

 猫は自然の移り変わりを敏感に察知する。そのメカニズムは人間にはとうてい計り知れない。天候の変化を嗅ぎとるし、季節ごとに食べ方や眠り方まで変わってくる。

 たとえば、冬になるとボブは何時間でもぶっとおしで眠りつづける。長い夜が近づきあたりが暗くなりはじめると、身体を丸めてまわりの世界をシャットアウトする。冬ごもりの季節の到来を知り、春に向けてエネルギーをためこみはじめるのだろう。

 春になれば、眠る時間も短くなるし、動きも活発になる。身体も季節の変化にあわせ、毛が生えかわる。また寒い季節がめぐってくれば毛の量が増えてくる。

 ぼくたちも自然のサイクルにもう少し意識を向ければ、大いなる恵みを享受できるのかもしれない。

 

P157

 ある雨の日、ぼくはボブといっしょに店の軒先で雨宿りをしていた。雨脚は激しく、雑誌が売れる見込みはゼロに近かった。

 そのとき、どこからともなく黄色いレインコートを着た、とても美しい黒髪の女性が近づいていた。

 話すアクセントから察するに、ロシアか、東欧の国から来た人のようだった。彼女はかがみこんで、ボブの首の後ろをやさしくなでた。彼女のブレスレットに目をやると、外国語の文字が刻まれていた。それはどういう意味ですか、とぼくは尋ねた。

 彼女は笑みを浮かべた。「これはエストニアのことわざよ。わたしはエストニアから来たの。意味は〝小さなことに感謝しない人は、大きなことにも感謝しない〟」

「ズバリ、的を射てますね」とぼくは笑みを返しながら言った。

 ぼくらは二、三分、雑談を交わした。それから彼女は二ポンドをさしだして雑誌を買い、最後にもう一度ボブをなで、「ありがとう」と言って立ち去ろうとした。

「こちらこそ、ありがとう」とぼくは答え、彼女と軽くハグを交わした。

 人とのふれあいのなかで、ほんの小さな行為が相手に大きな影響を与えるときがある。あの女性は雨のなかでボブをなで、雑誌を買い、ぼくと言葉を交わしてくれた。本人にとっては本当にささやかな行為だったろうし、時間にして数分の出来事だったけれど、ぼくはあの日いちばんの感動を覚えた。誰かを助けるために世界全体を変える必要はない。わずかな時間でその人の世界を変えられるときもあるのだから。