今日の偶然

世の中は偶然に満ちている (単行本)

 

 ほんとに偶然に満ちてます。

 

P150

十月十二日(火)

【偶】デザイナーの東幸見さんに電話したら、ベルも鳴らずに東さんが出てきて「あれ?」と言っている。向こうもちょうど電話を掛けたところで、番号を掛け終わったらいきなりこちらの声が出たんだという。どうであれ通じているからいいんだけど、何か音声がおかしい。双方が完全に同時に掛け合って、何か妙なつながり方をしたらしい。とにかくもう一度掛け直そうと電話を切った。向こうがまた掛けるかもしれないと思い、タイミングをちょっとずらして掛けると、またぴたりと同じことが起きている。またベルも鳴らずに「あれ?」と言っている。向こうも同じ考えでタイミングをずらしたようで、双方のずらし方がまたぴたりと同じだったのだろう。やはり音声がおかしい。ダメだ、もう一度掛け直そう、というのでまた電話を切る。こんどは充分にタイミングをずらして、さらにずらして、それで掛けてみたらやっとふつうの音声で通じた。

 ・・・

十一月十二日(金)

【偶】イギリス大使館内で催されるアスプレイのレセプションショウに行く。・・・そこを辞し、ではこのあと鮨でも食いましょうか、その前にちょっと仕事を片付けてくるからとY岡さんがいうので、近くのダイヤモンドホテルの喫茶室で家内と三十分ほど時間を潰した。コーヒーを飲み終わったころ、家内があれ?といって足もとの絨緞の上から小さな粒をつまみ上げた。顔がやけににこにこと輝いていて、これダイヤよ、といって私の掌に載せたのは本当に小さな粟粒くらいのものだけど、キラッと光っている。家内はバッグからルーペを出してのぞいている。宝石学校へ行って多少の知識はある。私もつられてたまに外で見たりするので、ふむふむ、たしかにこれはガラスじゃなくてダイヤだとわかった。ルーペでのぞくときっちりカッティングされて光も濃厚である。いままでの人生で、とくに子供時代を中心にいろんな物を拾ったが、ダイヤははじめてだ。ダイヤといったって指輪の中心石の周りに付いている屑ダイヤの一つで金額も知れたものだろうが、でもやはりダイヤを拾うなんて目出度い。

「そういえばここはダイヤモンドホテルね」

 と家内が気づいて、これには大笑いした。世の中にはいろんな冗談があるけど、偶然というのはときどき冗談を超える。

 

P281

 赤瀬川原平は観察の人だった。彼は、人並み外れた目玉の持ち主であり、何よりも見ることが大好きだった。目に入るものなら、古今東西の美術品であろうと、町中にある不可思議な物件であろうと、なんでもじっくり眺め、写真に撮り、心ゆくまで賞味していた。・・・

 さらに、好奇心旺盛な赤瀬川は、目に見えているものに限らず、日常生活で出会うさまざまな出来事や事柄にも注目し、観察し考察していった。そういう彼が、後半生において深い関心を抱き続けていたのが、「偶然」と「夢」だった。どちらも、人間が個人の意志でコントロールできないものだ。赤瀬川は、その不思議さの一端に触れたいと、偶然と夢を記録する日記を書き続けていた。

 偶然についてはユング心理学秋山さと子と対話して、『異次元が漏れる 偶然論講義』(朝日出版社・一九八三年六月)という本にまとめている。この対話について、赤瀬川は巻末に掲載されている「講義を受けて」という文章で、このように書いている。

「偶然というものはずいぶん人間的なものだということを、あらためて知らされた。偶然を偶然として見るのは、ほとんどが人間的な部分なのかもしれない。だけどそこから人間というのを削り取ったとしても残る偶然というのがあるはずだと思うのであり、それはやはり気になる問題である。

 ・・・

 偶然はその後も私の身の回りで、さまざまな顔を見せて蠢いている」