自由?

京都の壁 (京都しあわせ倶楽部)

この阪大の先生の話、気楽でいいなと(笑)。

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 実際に京大の教壇に立ったこともありますが、東大に比べるとすごく楽でした。なぜかと言うと、東大とは雰囲気が全然違ったからです。
 東大は、学生が「先生、そんなことを言っていいのですか」というような大学。つまり、世間に「東大はこうでなければならない」という基準のようなものがあって、それを学生自身も自覚しているわけです。実学と常識を学ぶのが東大。東大ではなにしろ法学部がトップですから。世間というものを前提として受け入れなければならないので、とんでもないことを考えてはいけないのです。
 たとえば、私が赤ちょうちんで飲んでいたとします。学生がそれを見たら、「先生、こんなところで酒を飲んでいいのですか」と言います。そこには「日本の最高学府である東大の教授ともあろう者が、安い居酒屋で飲んでいていいのか!」という気持ちがあるわけです。どこで飲もうと私の勝手です。
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 京大が楽だったのは、そういった「ともあろう者が」がなかったからです。学生の反応も先生の雰囲気も、とても自由でした。世間から落ちこぼれた変わり者も受け入れてくれるところでした。
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 たとえ話で、京大は次男という話をよくしていました。東大が長男で、京大が次男。で、阪大は三男だからどうでもいいと(笑)。
 文部科学省は東大が何かをすると、よその国立大学が同じことをやっても文句が言えなくなるので、東大に何かの許可を出す際は非常に慎重になりました。国立大学のいわば判例になってしまうからです。京大はその点で楽でした。
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 ちなみに、三男の阪大ですごいと思ったことがあります。文科省から科学研究費をもらうためには申請をしなければならないのですが、私はあまりもらいたくありませんでした。なぜかというと、研究が終わった後に報告書を書かなければならない。これがとても面倒なのです。そうしたら、阪大の教授は何と言ったか。「報告書なんか出さなければいいんですよ」。「出さないと始末書でしょ?どうするの?」と聞いたら、「始末書のほうが、はるかに短くて楽です」と(笑)。阪大でないと、こんなことは思いつきません。