「降参のススメ」がおもしろかったので、「すべての『思い込み』から自由になる生き方」も読んでみました。
こちらもとってもよかったです(^^)
また一部ご紹介したいと思います。
P113
多くの人は、悟ると人は自我(エゴ)がなくなると勘違いしているけれど、そんなことはありません。だって、自我は人間の一部なんですから。肉体と同時に与えられているものなんですから。
釈迦にも自我はあったんです。仏教家は認めないだろうけれども。
自我がなかったら、この世で人とコミュニケーションも取れません。自我は、この世を生きていくために必要な「乗り物」なんです。
そして自我がある以上、ぼくたちはみんな、関係という幻想に入っていかざるを得ません。逆に言うと、自我がなければ、この世のゲームを味わえないんです。
自我は、いけないものじゃない。ただ、それに振り回されないで、上手に乗りこなす力を身につければいいだけ。
P121
「悟りたい」という人がいても、自分の中に「悟ったら、こういう人になるだろう」といったイメージがあると、実はそれがものすごく悟るのを妨げてしまう。
その自分なりのイメージを追いかけて、そうなろうとしてしまうから。
でも事実は、悟りとは「理想像」になることではなく、「あるがままの自分自身」になること。
それ以上でも、以下でもない。「いいも悪いもなく、自分はこうなんだ」という全面的な承認、性欲も何もかも、プラスもマイナスも含めて、全面的ないまの自分に対する肯定―それが悟りの副産物です。
P153
「あるがままの自分でOK」になってくると、「私はもう○○は嫌なので、やめました」という感覚が自然に出てきます。
だから、悟った人は天衣無縫の自由人になっていきます。
それによって、生活が犠牲になるか?
といったら、そんなことは起きません。
なぜって、知性が欠落したわけじゃないから。社会常識もちゃんとあるし。
「それまでの自分」は自分で、ちゃんと持っている。戻ろうと思えば、いつでもそこに戻れるんです。ただ、そうではない価値観、理解といったものが一緒に備わっているだけです。
朝10時には会社に着いてタイムカードを押さなければ、社内評価が下がると、悟ってもわかっている(笑)。だから、悟ってからも10時に行って押すんです。
ただし、本人がそれをやりたければ、「この会社にいることが自分にとってよい」と感じていれば、です。