私、日本に住んでいます

私,日本に住んでいます (岩波ジュニア新書)

 橋を架けるイメージ、いいな、持っていたいなと思いました。

 

Pⅶ

 多様な文化のなかで暮らし、考え方や生活習慣の違いに困惑したり戸惑わされたりするのは、私にとって初めての経験ではありません。

 私は、スリランカに生まれました。父はタミル人、母はシンハリ人です。

 つまり、私は複雑で微妙な環境のもとで、ずっと育ってきました。二つの言葉の子守歌を聴きながら眠り、父と一緒にキリスト教の教会に行き、母と一緒に仏教のお寺に行くというような日々でした。

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 異なる価値観や考え方のなかで生きていくためのもっともよい方法は、互いの似たもの、共通項を見つけることです。

 二つの文化のもとで育った私にとっては、それを身につけることが重要でした。幼い頃から異なる価値観や考え方を、自分のなかで一つにすることを学びました。

 異なるものを結びつけるということは、混沌とした状況を乗り越える橋を見つけるようなものです。この二つの文化を結びつけるために川の両端から始まって中央で一つになるような「橋を架ける」ことをイメージするようになりました。橋は、異なる地域に住む人を結びつけます。橋を架けるということは、多様なあり方を認めるための基盤となるのです。橋を架けることによって、別の世界への道が開けていくのです。

 これが、多様性の本質です。多様性とは、両者を壊すものではなく、結びつけるものなのです。

 

P71 

 ボクは、日本を代表するエンターテイメント企業のひとつ、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑い芸人です。生まれはオーストラリアのパース。

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 今までの芸人修行で学んだことは、そうだなあ、その時々に適切な行動をすることかな。

 ボクは大金を手にしたわけやない。お金がないから友達のアパートに転がり込んで押し入れに居候させてもらってたことも。ご飯を食べさせてもらうかわりにトイレ掃除をしたりして。

 でもお金はなくても、そのときにやるべきことをやり、目的を持つこと。そしてたとえ大変なことがあっても夢を実現するためにあらゆるチャンスを逃さないこと。それが大事やと思う。

 そんなことをずっとやってたら、ボクはなんとか稼げるようになった。そして、一番思ったのは、お金も、人生も、「どれほどあるか」というよりも、「どれだけオモロイ使い方をしているか」―常にそんなことを考えていると、最高にリッチな人生を送れると思うで!

 

P115

 アンドリューさんは若手実力派のゴスペルシンガーとしていま、注目を集めています。

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 アンドリューさんはアフリカ南部のジンバブエに生まれました。・・・

 彼は幼いときに母国を離れ、家族とともにアメリカに移住しました。そして、その後、日本に住み、大学で勉強するかたわら、ゴスペルシンガーとして活躍するようになりました。・・・

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 アンドリューさんによると、西洋の教会とアフリカ系の教会には少し違いがあるそうです。彼の教会では、礼拝する人たちは、まるでショーのように歌ったり踊ったりします。歌いながら神の教えを学ぶのです。アンドリューさんは、それがバランス感覚なんだと言います。

「ひとつの方向だけではなく、常に周りを見まわして新しい道を見つけていく、生きていくうえでそういう感覚が必要ですね」

 新しいことを学んだり、理解していくためには、相互に対話をすることが一番よい方法だとアンドリューさんは言います。

「生徒に一方的に指示を出して、生徒にその通りにさせるような教え方であってはいけないと思います。生徒が主体的に考え、自分で問いかけ、答えを見つけ出すことが真の学びになるのです」

 

P129

 イエ・ミン・テッさんは一五歳のときに母国ミャンマーを離れて母と姉とともに日本にやってきました。・・・

 彼の父はミャンマー民主化運動の活動家で、彼がまだ幼かった九〇年代半ばに、母国にいられなくなって海外へ亡命しました。

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 イエ・ミンさんたちが日本に来た日、長く会うことのできなかった父が成田空港で自分たちのことを待っていてくれました。そしてついに再会できたのです。

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 イエ・ミンさんは日本の学校に通うなかでミャンマーの学校との違いを感じました。ミャンマーの学校では教師が非常に厳格で、生徒たちは質問をすることもできず、授業では教師の言葉をすべてノートに書き取るだけでした。

 一方、日本の学校では、自分の考えを発表することもできますし、他の生徒たちと共同でプロジェクトを行うこともできました。そんな学び方ができるということは本当に素晴らしいことだと思いました。

 ですから、日本の生徒がクラスで居眠りしていたり、授業中にスマホをいじってたりしているのを目にしたときなどには、「この日本の学校のすばらしさにきっと気づいていないんだろうな」と思うこともありました。