ひたすら耳を傾ける

セラピスト (新潮文庫) [ 最相 葉月 ]

「真っ直ぐにきちんと逃げずに話を聞く」、これがなかなか体力がいることなのですが、これからもがんばろうと思います(^^)

P66
 私が京都大学に居た時、こんなことがありました。大学院生ですから若い独身女性、ところが相談に来るのは60歳を超えた会社社長、彼女は「クライエントのほうがよほど人生経験が豊富なんだから、どうしたらいいか」と言うので、「教えるなどは全然する必要がない、真剣にその人の話を聞いたらいい」と言われて、彼女は真剣に話を聞くと、その社長はいろんな話をされ、そのうちに、「あなたのような若い人には会社の経営はなかなかわからないと思うが、会社の経営はどんなに難しいか」などと話されるのでそれを聞く。また次の週も来られる。ところが、人間はだれでもそうですが、勢いに乗って話しているとだんだん話が矛盾してきて前に言ったこととずいぶん違うことが出てきて、初めには「会社は少数精鋭でしなければいけない」と言っていたのが、次には「できない者も大切にすることが会社では一番大事だ」などと変わってきたので「この前は少数精鋭と言っておられましたが」と言うと「うーん」と考え込まれる。
 そういうふうに言っているうちに自分の考えの矛盾したところをまた考え直す。「この前はこう言ったが実際はこういう意味です」「調子に乗りすぎると人間はいい過ぎるが、本当はこうです」などと言い換えられるのをまた聞く。・・・これだけ真剣に聞いてくれ、真剣に聞いているから疑問が出たらそれをぶつけ、それがまた返ってくる。またぶつけるというのは、生きた人間として真剣に聞いているという、そのことによってその方は自分で自分の人生をいろいろ考えて行くということが起こるわけです。
 われわれ臨床心理士が社会の要請に応えてやることの根本にこのことがあるというふうに思います。「真っ直ぐにきちんと逃げずに話を聞く」ということ、これがなかなか社会の中で行われていない、これは家庭の中でも行われていない、会社の中でも行われていない、友人同士でも行われていない、それをわれわれはきちんとするということだと思います。(「基調講演 臨床心理士への社会的要請をめぐって」)