シャイでカシコい人

マツ☆キヨ

池田清彦さんがあとがきに書いていたマツコさん像がよかったです。

P185
 ・・・マツコさんに初めて会った人はだいたいそうだと思うが、私はまず体格にびっくりした。私は服装にはあまり関心がないらしく、女装をしていることはさして気にならなかった。それ以来、何度かテレビで一緒になって、マツコさんはとてもシャイでカシコい人だと思うようになってから体格のことも気にならなくなった。シャイでカシコい人は時にカゲキな事を口走るが、カゲキな発言の背後には相手を心底まで傷つけまいとする配慮が働いていて、マツコさんの発言はまさにそれなのであった。それで私はマツコさんが好きになった。私が最も嫌いなのは、マジメでバカな人、次に嫌いなのは単にバカな人なのだ。マジメでカシコい人は嫌いではないが、時に辟易するのであまり付き合いたくないのである。
 ・・・
 マツコさんはゲイで女装が好きなのだと言う。ゲイはどちらかというとマッチョな人が多く、女装癖のあるゲイはまれなのだとも。ゲイ自体がマイノリティであろうから、マツコさんはマイノリティの中のマイノリティなのだ。マイナスかけるマイナスはプラスになるが、マイノリティの中のマイノリティは超マイノリティになる他はない。
 対談して思ったのは、マツコさんのカシコさは、生まれつきもあるだろうが、自分の中の超マイノリティを自覚しているところから来ているのではないかということだ。バカなマイノリティはマジョリティをめざす運動に走りがちだが、マツコさんにはそういう気配が微塵もない。超マイノリティであるマツコさんは、自分のことを理解してくれ、などとヤワなことは言わない。人は自分のことだってよく分からないのに、他人のことなど分かるわけがないことをよく分かっている。話していて実にすがすがしい。
 こういう特殊な人が若いときに、色々と悩まなかったはずがないが、どこかで、自分のマイノリティさを堂々と主張はしても、それを他人に押しつけることはしないという形でふんぎりをつけたのだろう。マイノリティである自分からマジョリティの世間を見ると同時に、マジョリティの目で自分のマイノリティを見つめること。その中ぶらりに耐え続けること。シャイというのはたぶんそういう感性のことなのだ。