みんなの願い

死ぬための教養 (新潮新書)

これは、みんなの願いですね…。

P137
 松田道雄さんといえば、・・・有名な小児科医です。その松田先生が、『安楽に死にたい』(岩波書店)で「死」についてふれています。
 一九〇八年生まれの松田さんは、はじめにこう書きます。
「私は今年数え九十になりました。ありがたいことにまだ寝込まずにいます。そして仕事も続けています。・・・
 体力にかんしていえば、去年の夏から急に弱りました。何もしないでいても、全身がだるいのです。脚が弱くなって、立ち上がるのに何かにつかまりたくなります。・・・
 ものの考え方もかわってきました。
 それは死ぬのが近づいた気配をいつも感じることです。・・・この世に生まれる以前の状態にかえるのですから、それはこわくありません。こわいのは息をひきとる前に、病院でいろいろ苦しまなければならないことです。
 どうせ死ぬのなら楽に死にたい。痛みだの、息苦しさだの、動悸だのはごめんだ、安楽に死にたいと思うのです。それは年をとって弱った人間が、万人が万人願うところです。」
 これは、私の父が同じようなことをくりかえして言っておりました。母も「死ぬのはしかたがないけれど、死ぬ前にぼけたり、人に迷惑をかけたり苦しんだりするのが嫌だ」と言っています。このように日本の老人は、みな同じことを考えていると思われます。

P151
 ・・・西行の有名な、「願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ」という歌は、最も知られた歌ですけれども、ここには、いつごろどこでどういう具合に死ぬかという、日本人の理想が入っているわけですね。
 西行はなぜかくも尊敬されたか。これは私の意見ですが、この辞世の歌は、死ぬ七カ月前につくった歌なのです。そのころはまだ秋でありまして、とても花が咲くまで西行はもたないだろうと言われてました。ところが西行は、みんなに「明日死ぬ」と言われ続ける中、とにかくふんばって七カ月生き延びて、きちんとこの歌に合わせて死ぬわけです。それが見事だというので、藤原定家がこの歌を新古今集に取り上げた。つまり、この辞世の歌によって、西行は一躍超有名な歌人になったという側面があります。