ゆるして、ゆるされて

人情ヨーロッパ 人生、ゆるして、ゆるされて 中欧&東欧編

「純情ヨーロッパ」の続き、「人情ヨーロッパ」です。
副題の人生、ゆるして、ゆるされて、につながったエピソード、いまだに後遺症も残っている深刻なお話ですが、勇気をもらえました。
ボスニアで出会ったデイビッドさんは、子どもの頃に拷問で瀕死の状態になり、その後も色々とあったそうで…

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 デイビッドが真剣な顔で聞いてくる。
「てるこはなぜ、俺がボスを殺したときの精神状態が分かったんだ?」
「私が、自分自身に暴力をふるってきた人たちのことを、ゆるしたからだよ」
「親に虐待されたりしたのか?」
「いや、両親には愛されて育ったけど、小学校のとき、2人の教師から暴力を受けたんだ」
 デイビッドからこれ以上ない赤裸々な告白をされて、私に話せない過去などなかった。私は、今まで親しい数人にしか打ち明けたことのない過去を話し始めた。
「私はそのせいで、長い間、人間不信だったんだ。子どもの頃から元気キャラではあったけど、ときどき頭が割れそうな頭痛や、のたうち回るような腹痛があって、不眠症にもなったんだよ。でも、何度病院に行っても原因は分からなかった。今考えると、当時はまだ一般的じゃなかった、PTSDだったんだと思う。・・・」
 ・・・
「……てるこも大変だったんだな」
「私は戦争のない国で生まれ育ったから、デイビッドの壮絶な体験とは比べものにならないけど、私の子ども時代は平和ではなかったし、恐怖に満ちていたよ。・・・」
「……もう言うな」
 デイビッドがそう言って、私を力いっぱいハグしてくれる。同情だけはされたくないと思って生きてきたものの、デイビッドのハグは同情ではなく、苦しみを乗り越えて生きてきた同志に対する敬意の込もったハグだったので、私は自分の尊厳を失わずにいられた。
 私は、デイビッドに痛いぐらいハグされながら言った。
「デイビッド、私が今、泣いてるのは、哀しいからじゃないんだよ。この旅に出て初めて、生きてきてよかった、生まれてきてよかったって、心から思えたからなんだ。だから、これはうれし涙なんだよ」
 やせ我慢ではなく、嘘偽りない本心だった。私が今、流している涙は、恐怖や憎しみが蘇ったのではなく、恐怖や憎しみを抱いて生きてきたにもかかわらず、過去に囚われずに生きることができることになった喜びなのだ。
 ・・・
「辛いことがたくさんあったのに、てるこはよく曲がらず、ここまでこれたな」
「曲がりっぱなしだよ。子どもの頃は本当に、毎日死にたかったもの。自殺の方法が分からなかっただけで、方法さえ分かれば死んでたと思う。朝起きると、(あぁ、今日も死んでない、今日もまた生きなきゃいけないんだ……)の繰り返しで、毎朝、絶望したよ」
 ・・・
「私たち、よくここまで立ち直って更生できたね。子どもの頃のことを考えると、今こうやって、自分らしく生きられるようになったことが、本当に、奇跡だと思えるよ」
 ・・・
「生きるのが辛かった私は、ずっと"ゆるし"について考えていたんだけど、究極のことを言うと、『誰も悪くない』と思えてきたんだ」
「誰も……悪くない?」
 私は、黒澤明の映画『野良犬』で、三船敏郎演じる刑事が言った「世の中に悪人はいない、悪い環境があるだけだ」というセリフを思い出していた。
「つまり、『その人が"今のその人"になったのには、全部理由がある』ってこと」
 ・・・
 もちろん、どんなに辛いトラウマがあったとしても、それが人を殺してもいい理由にはならない。それでも究極を言えば、私とデイビッドとの違いは「私がデイビッドの家に生まれなかったこと」だけなんじゃないかと思えてくるのだ。
 ・・・
 デイビッドと話しているうちに、ふっと頭に浮かんだのは「私はあなたで、あなたは私である」という言葉だった。