エムナマエさん

オイドル絵っせい 人生、90歳からおもしろい! (新潮文庫)

エムナマエさんのこと、やなせたかしさんの本で読んで初めて知りました。
ネットで検索してみてみたら、夢の世界がそのままここに、という感じの絵でした→http://www.emunamae.com/emu-gallery/gallery1.htm

P303
 世の中には時々奇跡がおきる。人生というのは本当に不思議である。
 ぼくが全盲イラストレーターとして有名なエムナマエ君に逢ったのはエム君がまだ慶應大学に在学中であった。
 もちろん両眼の視力は健在であり、眼鏡もかけていなかった。ビートルズが大好きでギターを抱いて歌い、詩と絵と童話を愛する快活な若者だった。
 絵本作家を志望していてそれでぼくと知りあった。まだ学生だったけれど認められて前途洋々、順風満帆、光の中で輝いていた。
 突然の不幸がエム君をおそった。糖尿病で失明し人工透析を受けながら生きることになる。・・・
 それでもエム君は絶望しなかった。ワープロを叩いて童話をかき、そのうち手さぐりでイラストを描くようになった。盲人の画家はエム君の他にも多数いる。決して例外ではない。しかしエム君のようにキャラクターを連続して描ける人はいない。
 エム君は透析中に知りあったナースと結婚した。・・・エム君とよく結婚したものだ。「なぜですか」とぼくが聞くと、エム君の奥さんはあっけらかんと答えた。「私にないものをもっている人だから」、エム君の答えは「この人がいてくれると便利だから」であった。
 ・・・ぼくはエム君がなぜ眼が見えないのに絵が描けるのか不思議だったので一度密着取材をさせてもらった。原理はとても簡単だった。ボールペンを強く押しつけて描くと紙に凹んだ線条痕が残る。それを指でなぞりながら描く。その上にパステルで色をすりこんでいくのだ。原理は簡単だがもちろん眼の見えるぼくにはできない。どうしても眼にたよってしまう。エム君は見えないために形にとらわれずむしろ精神の部分のみで描いているために、かえって余計なものがそぎ落とされて子どもの絵のように純真な絵が描けた。
 そして一九九八年ニューヨークで奇跡がおきる。ニューヨークで開かれたエムナマエ展の終了寸前に会場を訪れた米国最大のベビー服メーカーの幹部が絵を見てビートルズジョン・レノンからふたりめの社外アーティストとしてエム君を採用した。・・・
「それでもエム君、やっぱり眼が見えた方がいいと思う時はあるだろう」
 エム君は微笑してぼくに答えた。
「今が一番いい。眼が見えた時見えなかったものが見える」