病の神様

病の神様―横尾忠則の超・病気克服術 (文春文庫)

偉大な芸術家は超人的というかなんというか…びっくり話が満載な本で、すごく面白かったです。
いくつかまた書きとめておきます。

P37
 一九七〇年一月のことだった。ぼくは広島の宮島へ行った。そこの神社でおみくじを引いた。なんと「凶」と出た。まさか年の始めにこんな札を入れているとはけしからん。お札には「交通事故に遭う」「東の方角に注意」とあった。翌日東京に帰るのになんだこりゃといいたい。
 帰京の次の日、ぼくは国立小劇場に文楽を観に行った。文楽を観るのは初めてである。拍子木が鳴っていよいよ幕が開くその瞬間、首筋に猛烈な激痛が走った。我慢できなくなったぼくは、席を立つなり劇場を飛び出し、目の前に止まっていたタクシーに乗って帰った。楽しみにしていた文楽のことなど頭の中からスコンと抜けてしまっていた。
 激痛をかかえたままタクシーが渋谷に来て、信号待ちをしていると、後ろから猛スピードで走って来た余所見運転の車がノーブレーキで追突してきた。ぼくが掛けていたサングラスが、スローモーションで助手席に飛んだ。車の天井からも床からも埃が立ち込めた。気がついたらぼくは運転席と後部座席の間に転がっていた。
 やがて「事故だ」という声があちこちでして人が集まってきた。
「あっ、動かない」
「死んでいるのでは」
 ぼくの様子について話し合っているヤジ馬の声が車の外から聞こえる。・・・
 やがて救急車が来て、ぼくは救急隊の手で支えられながら車に乗せられた。サイレンを鳴らし、マイクで前方の車に道をあけるように指示しながら走る救急車の中にいると、まるで王様にでもなったような気分で、思ったほど悪くない。・・・
「残念ながら死んでないよ」
 なんてアカンベーしたくなる。大橋の救急病院へ連れて行かれ、両手を左右に伸ばして片足で立つポーズをさせられたり、眼球を調べられたり、レントゲンを撮られたりした後、その夜は家に帰った。
 外傷はなかったが、ムチ打ち症という診断が出され、首に白い包帯を巻かれた。帰りのタクシーの中でハッと気づいたことがあった。宮島のおみくじのことだ。おみくじ通りになっているではないか。あの「凶」はデタラメではなかったのだ。こんな迷信は信じたくないが現実と一致している。それだけではない。その朝ぼくは不思議な夢を見ていたのだ。
 江戸時代である。ぼくはチョンマゲをした罪人のようだ。川原にずらっと並んだ罪人が縄をかけられたまま座らされている。今から斬首の刑にかけられるところだ。振り下ろされた刃でぼくの首はコロンと川原の石ころの上に落ちた。焼けるような感触が首に走る。暗い井戸のような穴に魂が落下して行く感覚に襲われる。
 と、次の瞬間、死んだ母が首に白い包帯を巻いたぼくの手を取って墓石屋に石碑をこしらえてもらうために向かう。まあざっとこんなシュールな夢であるが、夢の中の首に巻いた包帯がその日の夜、ぼくの肉体の首に巻かれていた。夢と現実の符合というと、出来過ぎかもしれないが、なにやら不思議なシンクロニシティを感じる。