共感したところ4

ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由

再びこの本に戻りまして、共感したところ、つづきです(^^)

P84
 ・・・ある時期、“ただめし券”を毎日使う人が現れたことがありました。「どんな人でも使ってほしい」という思いとは裏腹に、懐の小さい自分はヤキモキしてしまい、そんな自分を自覚するたびに「本当に自分はどうしようもない小さな人間だな」と自己嫌悪することもありました。
 前述したとおり、まかないさんの善意で貼られた“だめし券”が使われているだけなのですから、券が使われたとしても未来食堂の懐は痛みません。でも自分は、本当にケチなのでしょう、「また使ってるじゃん!」と心のどこかでいら立っていたのです。
 本当に困っている人であれば、毎日だって使っていいはずです。そして、(ここが大事なところなのですが)本当に困っていなくても、毎日だって使っていいはずです。なぜなら、その方が本当に困って使っているのかを問うことは本質ではないからです。
「本質?」と疑問に思われたかもしれません。“ただめし”の本質とは何なのでしょうか。私は『あなたを救います』というメッセージを送り続けることだと考えています。
「あなたは困っている」「あなたは困っていない」と人をふるいにかけるのではなく、ただ来た人を受け入れる、それこそが“ただめし”の本質だと考えています。・・・
 ・・・あるお客様は、来るたびに“ただめし券”を使っていました。・・・ある日、そのお客様が“ただめし券”を使わずに、自分でお金を支払ったのです!私は顔には出さないながらもとても感動したのですが、お金を使ったのはその一度だけで、その後また同じように“ただめし券”を使うようになりました。
 なんとも面白い話です。『ただめし券を使い続けていた人がある日を境に支払うようになった』というだけなら感動する話ですが、そうともならないところに、人間の愛嬌というか、所詮私ごときが伺い知れないこの世の豊かな多様性を感じました。
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 もちろん、困っている人が使ってほしいです。そのための券です。貼っていくまかないさんもそれをどこかで期待しているのだと思います。その気持ちは素晴らしいことですが、本当に必要なことは、感謝の気持ちも含めて何の“お返し”も期待しないこと、最後の100番目が“本当に困っている人”だとして、その前の99人がたとえ“使ったことをすぐに忘れてしまうような施しがいのない人”だとしても施しをする、そういう覚悟を決めることだと思います。
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 ・・・また、誰もが使いやすい形にした結果、本当に困っている人がそのことを明かさず使えるため、使いやすくもなるはずです。『困った人しか使えません』と限定してしまうと、本当に困っていても、使い辛くなってしまうのではないでしょうか。
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 ・・・私は個人的にこのあり方がとても気に入っています。施す側と施される側が直接対面しないようなあり方。“いつかの誰か”に思いを馳せながら券を貼り、“いつかの誰か”に感謝しながら券を剥がす。その想像力は、この世界をより豊かに彩ってくれます。