自分は自分でいたい

パリの国連で夢を食う。

ここも印象的でした。

P277
 私は自分の取るべき行動がわからなかった。
 教育の世界ではよく「貧しい人に金品を与えていても、その人を助けることにはならない。その人の自活の方法を教えよ」などといわれる。確かに、そうだろう。しかし、親子はそんな教科書上の理論を打ち消すように、圧倒的な存在感で、そこにいた。・・・
 ある夕方、私は二ユーロ硬貨をそっとコップに入れてみた。硬貨がリンと音を立てると、お母さんは小さな声で「メルシー」と言った。別の日は、たまたまカバンに入っていたバナナをコップの横に置いた。振り返ると、母は子にバナナの皮をむいてあげていた。私はできる範囲で、お金や食料をそっと置くようになった。
 しかし、行動の具体性と反比例するように、自分の中の混乱は深まった。私が何をしようとも、相変わらずお母さんはアスファルトに座り込み、男の子はお母さんにしっかりとしがみついている。このまま日々、二ユーロを入れ続けるのか、もっと増やせばいいのか、同僚にも頼むべきなのか。
 インド人の同僚たちと一緒にいる時に、また親子を見かけた。彼は二人をちらっと見ると「あれは本当の親子じゃないかもね。ああやって、ジプシーは子どもを借りてきて、商売してるのさ。インドと同じだよ」と言う。他の人も、「残念ながら、あれが手なんだよ。だから下手に何かをあげないほうがいいんだ」と頷いている。それじゃあ、あの人たちは国連が叫ぶ「救われるべき世界中の人」に入らないのか。私はますます混乱した。
 ある日、裏口を通るのをやめ、遠回りして正門から出入りするようになった。当時はなぜそんな行動を取ったのか、不可解だった。でも、今はわかる。たぶん情けない自分にいら立って、親子を見ないようにすることで思考をストップしたかったのだろう。しばらくすると親子はいなくなっていた。
 これは、もうだめだ、とはっきり感じた。私は、ここにいてはいけない。このままここにいたら、なりたかった自分とはますます遠ざかっていく。自分の足で歩くことを忘れて、あのケチな自分に戻ってしまう。その時、最後のドアが開いた。
 もう、行かないと。
 ただ自分に正直に生きたかった。政治的なかけひきや、大人の事情とは無関係に、やりたいと思うこと、行きたいと思う方角、一緒にいたいと思う人に向かい合いたい。私は自分が思う道を、自分の足で歩きたい。その時見えてくる世界は、どんな世界なのだろう。キャリアとか、ステップアップはどうでもいい。国連職員という肩書きや、難関を突破したという事実もいらない。
 それより、自分は自分でいたい。
 きっと、なんとかなる。次の仕事なんかなくても、未来は混沌としていても。それよりも、今は大きくなりつつある内なる声を無視する方が怖かった。・・・
 ・・・うまくいかなければ、その時考えればいい。だって、パリで生きるみんなが教えてくれた。
 人はどう生きることもできる。