好きの本質は異なる

プロ論。3

こちらは為末大さんのインタビューから。
あまりこういう視点から考えたことなかったなと、新鮮でした。

P138
 成功した方が不幸せになることもあるんです。世界大会のメダルを、私は長い競技人生をかけて取ろうと思っていました。ところが、大学卒業前に取れてしまったんです。もちろんうれしかった。世の中も熱狂的に支持してくれました。ところが、現実は厳しかった。1、2年で私の名前など忘れられてしまったんです。ショックでした。あれほどあこがれたメダルを取ったのに。
 会社に入って、生活は安定しました。でも、果たしてこのままで、かつてメダルの夢を追いかけたようにギラギラした気持ちでやっていけるかどうか疑問でした。競技人生には限りがあります。もっと自分を追い詰め、自分の力をいちばん発揮できる環境に身を置くことこそ大事ではないかと思うようになりました。
 幸せは精神的な満足感に大きく左右されると私は思っています。やりたくないことをやってお金持ちになるより、私はお金がなくてもやりたいことをやりたかった。死ぬときに、これをやり抜いたと胸を張りたいと思った。実際、人間なんてちっぽけな存在なんです。自分がいなくても社会は回るし、会社も回る。ならば思い通りに生きていこうと。
 辞めることを決めたときは、本当にすっきりしました。周りから見れば落ちこぼれです。もう守るものもない。メダリストとしての名声も忘れられて、会社という後ろ盾もなくなった。でも、ストンと元の場所に戻れたことが、私にとってはいちばん良かった。もう一度、ハングリーさを取り戻すことができたから。
 考えてみれば、短距離からハードルに転向したのは、勝ちたかったから。私は、勝つことが好きなんです。それが本質です。仕事選びでは、それを忘れてはいけない。
 スポーツが好きだからスポーツ関係の会社に行こうと考える人がいます。でも、スポーツの何が好きかは千差万別。選手のストイックさが好きなら、職人や作家を担当する編集者に向いているのかもしれない。短距離選手だって、次のレースまでの期間が好きな人、スタートが好きな人、ゴールが好きな人がいる。それぞれを分析すると、新しい技術を獲得した瞬間、始まる前の興奮、体現し終わった瞬間と、好きの本質は異なる。これを見極めることが、トレーニングでも第二の人生の選択でも重要になると思うんです。