不測の事態に強い

最後はなぜかうまくいくイタリア人

実際こんな中で仕事したら大変そうですが、なんかいいなと思ったりも。

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 まず第一に、予定表や打ち合わせ通りに物事が運ぶなどと考えるのはイタリアでは大きな間違いで、そんなのはあくまで努力目標のようなものでしかなく、不測の事態が起こることのほうが普通である(まさに「不測」の事態は「予想」できるという矛盾した状態だ)。慌てる必要はまったくないということだ。人生は常に不測の事態の連続で、そんなことにいちいち腹を立てること自体がおかしいという哲学?である。
 第二に、そのようなことがイタリア全体で常態化している限り、不測の事態に慌てるというのは愚の愚であり、どっしり構えて、解決策を見出すことに全力を尽くすほうがよほど大切であるということだ。そこでイライラしても何も生まないし、むしろ事態は悪化する。不測の事態を乗り越えたときによりよい仕事ができる準備をすることこそ、重要なのだ。
 そして第三に、どんな不測の事態が起こってもイタリア人は諦めずに、ほとんどの場合は最後になんとかする能力があるということである。子どものころから不測の事態に慣れきっている分、それに対する対応能力が破格に高いのだ。・・・
 その後本格的に仕事を始めるにつれて、私はイタリア的流儀の多くの洗礼を受け続けた。いわく、「約束に15分遅れるのは礼儀だ」「仕事の時間とプライベートな時間は厳密に分かれていない」「分業という概念が理解できない」等々。しかし、同時に、それらの一見とんでもなく思える行動規範の裏には、彼らなりのロジックがあり、非常にうまく機能している面もあるということがわかってきた。