わかるということ

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

 なかなかわかりづらい本の中に、「わかる」とはどういうことか書いてありました(笑)
 ちなみにここに出てくる「現実界」は直接認識できない世界で、私たちは「象徴界」を通して、「想像界」として認識できる、ということらしいです、おそらくたぶん。。。
 
P62
 ・・・ラカンは人間のこころを作り出しているシステムを三種類に分類したんだね。それが「現実界」「象徴界」「想像界」だ。
 ・・・ここで大事なことは、この三つの「界」には、どっちが深くてどっちが浅い、といった区別がないこと。普通に考えたら「現実界」が一番深層にある、と思われがちだけど、そうじゃないんだ。それは人間の視点から見た場合に、想像界がいちばん表面的に見える、という「見え方」の問題にすぎないんだね。
 ところで、象徴界をたんに「言葉の世界」と言い切れないのは、言葉には「意味」という、想像的なものがいつもまとわりついているからだ。ちょっとわかりにくいかな。「意味」というのは、現象の一番わかりやすい側面のことを指している。あることが「わかる」っていうのは、そのことについてイメージを持つことができるってことだ。つまり、意味はイメージ的な認識だから「想像的」なんだね。
 ところが象徴界というのは、正確には言葉じゃなくてシニフィアンの世界だ。そこには、必ずしも意味が伴うとは限らない。あるのは純粋に構造だけで、だからそこでの出来事も、意味じゃなくて構造にしたがって起こることになる。ここでいう「構造」っていうのは、実は無意識の構造でもあるんだね。そう、前に出てきたラカンの言葉、「無意識は言語として(のように)構造化されている」の「構造」だね。