色即是空に通じるのかと思いきや・・・

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

ほとんど終わりの方に、こう書いてあって、あらまと思いました。
はい、そう勘違いして読み進めていたのは私です(苦笑)
ラカンはわかろうとして読んではいけない、ということはわかりました(^_^;)

P232
 あ、それとついでに言えば、いままでのラカンの議論、この転移問題もふくめて、いきなり仏教の「空」論に結びつけたりするのはちょっとカンベンね。たしかに、物事に実体があることを否定していたり、ものとものとの関係(「縁起」ってやつだ)のほうを重視していたりと、一見ラカンと仏教は相性が良さそうに見える。そう、ちょうど「ラカン量子力学」の相性が良いようにね(実はそういうタイトルの本まである!)。
 でもねえ、今ここでくわしく話す余裕はないんだけど、「空」論からは、たとえば「性関係は存在しない」といった、ラカン的なフレーズは絶対に出てこないんだよね。むしろ「空」論は、男女の関係を含めて、一切の物事を関係性において理解しようとするだろう。そこでは性欲は、煩悩の一つではあるかもしれないけれど、人間にとっての特権的な属性ではなくなってしまう。常に「性」を人間という存在の基本とみなす精神分析の発想とは、いちばん最初の出発点からちがうわけだ。まあ、どっちをとるかは、やっぱり「好み」の問題なんだろうけどね。

 …そうなんですよね、好みの問題でいえば、私は精神分析はあんまり好みじゃない…だってなんだか厳しく感じるので…とはいえとても役に立つので、勉強しない訳にはいきませんが。それについてはこのように書かれていました。

P43
 ・・・でも、ここではっきりさせておくけど、僕が重視している「分析」の立場というのは、治療よりも理解と解釈に力点がおかれている。
 だから僕は、治療者としてはまったく分析はしないけど、患者理解や人間一般の理解においては、まだまだ分析の力は有効であると考えているってわけだ。実はこれ、僕ひとりだけの考え方じゃない。精神分析を大切に思っている日本の精神科医は、たぶん大半がそういう態度で治療をしていると思う。