「20代で隠居」という本を読んでみました。
共感するところが多かったです。
今こんな生活をされてるそうです。
P161
私の新しい部屋、愛すべきサンクチュアリは、駅から徒歩20分以上の陸の孤島です。
文明にやんわり見放されており、最寄にコンビニはありません。
住んでみるとこの不便さがまた、かわいいじゃありませんか。
携帯は、シェアハウスでは仕方なく持っていましたが、新しく引っ越した隠居先では固定電話とネット回線を引いたので速やかに解約。
だいたい、通話料が1分で40円なんて高すぎます。
連絡はPCメールと固定電話、あとはハガキや封書でもOK。
いつでもどこでも呼び出されないということは、やっぱり精神衛生上よろしいものである、と再確認しました。
仕事は基本的に週に2日入れるだけで、現在月収は10万円以下ですが、毎日フツーに楽しく暮らせています。
ふと、駅前で視覚障がい者の方を見かけて、近くのスーパーまで連れて行ってあげたり、ぎっくり腰の友人から電話があって、すぐに食材を買って駆けつけ、3食分ぐらいパパッと作ってあげたり、知り合いの外国人のために部屋探しを何日も手伝ったりすることが自然にできると、そんな余裕のある自分に驚きます。
杉並区で働きまくっていたときは、自分が生きていくのに精一杯で、困っている人なんてどうでもよかったし、完全に無視していましたから。
この生活にたどり着くまでに、上京してから足掛け3年ほどかかりました。
石の上にも3年という言葉がありますが、やっぱり社会のすみっこにも3年くらいひきこもってみないと、わからないことってあるんですね。
シェアハウスで知り合った友人のうち、何人かとは今でも親しく付き合っており、これは私の大切な財産になっていますし。
でもね、でもですね、あの上京したての頃の、ただ働いているだけで過ぎていったような殺伐とした日々は、やっぱり肯定する気にはなれません。
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そんな苦行をしていたら、具合が悪くなりそうです。
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だからもし、私が上京したときに、東京には郊外というエリアがあって、そこでは都心に比べて家賃がぐっと安いということを知っていたら、間違いなく、まっすぐに多摩地区に向かうでしょう。
やっぱり、つらい思いはせず、毎日楽しく暮らせるなら、そんなにいいことはないと思います。
著者の大原扁理さんのブログがありました→http://ameblo.jp/oharahenri/