テレポーテーションのしくみについて

時空を超えて生きる―潜象界と現象界をつなぐ

興味津々の、テレポーテーションのしくみについて書かれていたところです。
しくみをこのように言葉で説明することができるのもすごいことだな〜と思います。
・・・瞬間瞬間にいること、って、うーん、今のところまだできそうにないものの、とても興味があります(^^)

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 テレポーテーションをすると、帰りもテレポーテーションで帰れるかといえば、なぜかそうとはならずに、だいたいどこかを経由することになります。その土地で幾晩かお世話になったこともありましたが、最初は不審がられても、誠意を尽くせば受け入れてもらえるものです。
 私の場合、テレポーテーションができるからといって、それを移動手段に使うわけではありません。ふだんはちゃんと交通機関で移動していますし、外国に行くときはもちろんパスポートを持って飛行機に乗ります。テレポーテーションは、やる必要のあるときにやっています。
・・・
 テレポーテーションで大切なのは、瞬間瞬間にいることです。言葉上、「瞬間にいる」と表現しましたが、身体にいるかぎり、実際には、「今」よりも「少し過去」にいることになります。認識というのは、少し過去のもの、終わったものなので、「今」と思っている状態は、「少し過去」になります。
 その「今=少し過去」をつかまえるのをやめると、「今」がやってきます。今に入ろうとするのではなく、今がやってくるのです。今がつかめないことがわかると、手が放れます。何もしなくていいと思えることが、準備になります。
 そこから、思考、感情、肉体のセンターがかぎりなく一つになることが起きます。
 実は人間のボディの素材もエレメントでできています。自分の中のエレメントと外側の世界のエレメントがだんだん混ざりあい、限りなく同じ素材の感覚になると、世界の幻想性が現れてきます。瞬間瞬間に形を刻み、色を見せ、具体的になっては消え、また具体的になっては消えることを繰り返す、その幻想性はとても美しいものです。そして、エレメントと人間は同じであり、分離していたのは人間のマインドであることがわかると、人間のマインドに合わせて世界を作っていたエレメントは本来の状態に戻り、一元化します。そのとき、ものすごい渦が起こってきます。テレポーテーションはそこから始まります。
 この現象は、写真で考えるとわかりやすいかもしれません。
 写真は無数のドットからできていて、目を近づけすぎると色の集まりにしか見えませんが、適度な距離で見れば、たとえば人間なら人間の顔になり、知っている顔なら誰だかわかるようになります。・・・
 私たちはこの世界を見るとき、三次元の範囲で互いを認識しあっていますが、本当は素粒子のドットを見ています。・・・
「じゃあ、本当の私たちはどこにいるのだろう?」
 そのとき、「あ、偏在しているんだ」ということをいろいろなレベルで意識が了解すると、この身体を結びつけている力も一緒になって飛ぶことができるのです。