自分なりの・・・

暮らしのさじ加減―ていねいでゆっくりな自分にちょうどいい生活 (講談社+α文庫)

「暮らしのさじ加減」という本を読みました(本ばっかり読んでますね 笑)
きのうご紹介した「覚悟の決め方」とは対極のような本ですが、どちらの考え方も好きです(^^)
いいな、と思ったところです↓

P161
「今日死んでも悔いはないくらい、力の限り生きよう」
と、人はよく言う。
 でもだいたいの場合、今日は死なない。人生は明日も、あさっても、その次の日も、延々と続く。今日と同じ退屈さで。今日と同じ平凡さで。
 力の限り生きることは、この私だって、できないことじゃない。もし本当に明日死んでしまうとわかっているのなら。問題は、この人生がいつまで続くのか、だれも答えを教えてくれないことなのだ。
 三日後に死ぬとわかったら、三日間全力投球できるかもしれない。一週間でもまあ、何とか頑張れるだろう。
 でもそれが、半年後とか、三年後とか、ことによると三五年一〇ヵ月後などと言われても、きっと私は困ってしまう。
 そんなダラダラ続く毎日を、全速で走りぬくことなんて、できるわけがない。
 だからいつからか、こう考えるようになった。
 今日はたぶん死なないだろう。明日もきっと死なない。だけど絶対いつかは死ぬんだし、それはしょうがないこと。だいたい私のことだから、何をやっていようと中途半端に終わることは間違いない。
 でも、それでいいや。今日やるべき範囲の中でだけ、まあまあ一生懸命やろう。
 今日出そうと思っていたハガキを、出す。
「燃えるゴミの日」だったら、それも出す。
 仕事も、力尽きるまでなんて毎日はできないので、とりあえずキリのいいところまでやっておこう。
・・・
 今日やるべきことが、ずるずる明日にずれ込んでしまう私。でも、明日できるからと思っていると、明日はなかったりして。
 だからせめて、
「とりあえず、今日やれるところまでやった!」
 と、気分よくぐっすり眠る毎日を大切にしよう。
「精一杯生きる」
「力一杯生きる」
 そんなカキゾメのようなお題目よりも、
「普通に生きる」
 それが私の「一生懸命」のレベルだ。