凪の人 山野井妙子

凪の人 山野井妙子

 体力や精神の安定性や、思いやりや、こんな人もいるんだ・・・と驚きつつ読みました。

 

P13

 妙子と泰史が暮らすのは、伊豆半島にある川奈という海岸沿いの町であり、自宅は海岸線から少し離れた小室山という里山の麓だ。ふたりが一緒になって以来29年間暮らした東京・奥多摩からここ伊豆に引っ越したのは2020年4月だった。

 奥多摩で最初の14年間を暮らしたのは道所という集落であり、多摩川沿いに立つ平屋だった。土間にかまどがあり、薪でご飯を炊いていた。この借家がいよいよ古くなりまさに文字どおり傾き始めたころ、同じ奥多摩の倉戸山山麓に家を借りた。2軒目の家は高台にあり、奥多摩湖が望めた。家の裏には念願の畑を作ることもできたし、谷底にあった道所の家と比べると、倉戸山山麓の家は日当たりもよくなった。けれど、いかんせん冬の底冷えはつらかった。とくに、2002年、エベレスト(8848m)に近い位置にあるギャチュン・カン(7952m)でふたりとも重度の凍傷を負い、手足の指を切断したころからは、奥多摩の寒さが堪えるようになった。

 ・・・いくつか見て回った末に落ち着いたのがいまの家だ。「周辺に家がない静かなところ」という泰史の希望と、「もっと広い畑が欲しい。果物のなる木々があるとうれしい」という妙子の願いがかなった。

 引っ越しは、マイカーであるハイエースで5往復。・・・必要最小限のものしか所有しないふたりなので、これだけの運搬で終えることができた。・・・

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 家の前には、海で釣った魚を洗ったり、ウロコを落として内蔵を取り出す作業をする水場も作った。・・・ウロコなどが混ざった洗い水がそのまま排水溝に流れるのはよくないので、バケツで受けるようになっている。料理に使わない部位はバケツにためて、庭にやってくるカラスにあげる。

 カラスは攻撃的な印象もある鳥であるが、妙子たちの庭にやってくるカラスたちはそんなことはない。妙子や泰史が魚を処理している間、静かに待っている。バケツに入れてカラスのために庭に置くと、寄ってきて食べ始める。この冬、カラスはカメムシにやられたみかんだけをつっついて、妙子が大切にとってあるみかんには手を出さなかった。これは魚とみかんの交換を意味するのか、妙子たちの気持ちを理解しているのか、本当のところはわからないが、いまのところ、カラスと妙子たちはうまくやっている。

 庭の脇には、コンポストを置いた。妙子は台所で出た生ゴミのすべてを土に返し、畑の肥やしにする。

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 山やクライミング、釣りに出かけない日は、妙子は朝から晩まで畑仕事か家事をしている。この働き者ぶりは若いときからであり、妙子いわく、祖母の影響が大きい。・・・

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 畑仕事、海釣り、近場でのハイキングやクライミング……穏やかな一日の最後は夕食となる。畑の野菜と目の前の海で獲れた魚が食卓に並ぶ。泰史とふたりで静かに食べる日もあれば、遊びにきた友人たちとにぎやかな食卓になる日もある。

 夕食のあと、洗い物を終え、テレビを観て、一日中つけていたエプロンを外す。これが妙子の一日の終わりの合図だ。夜9時すぎには床に就く。

 1956年生まれの山野井妙子は、まもなく古希を迎える。旧姓長尾妙子の時代から、国内、ヨーロッパ、ヒマラヤ、さらにはアメリカ大陸など地球のあちらこちらの山を登ってきた。・・・山を登りながらたくさんの土地を旅してきた。あるとき、泰史が語った。「妙子は、思い出すらいらないのかもしれない」。冷たい意味ではない。いまこの瞬間に一所懸命。ただただ、それを積み重ねてきた。それは当たり前のことであり、至極まっとうでもある。しかしながら、その当たり前を積み重ねるのがどれほど尊いか。いまを生きる妙子の半生を、振り返りたい。

 

P185

 ・・・駒鳥山荘で、「・・・アルバイトに来ない?」と声をかけられた・・・

 ・・・妙子は人の2倍も3倍も働いたという。妙子の仕事は調理に配膳、部屋やトイレや風呂の掃除、接客など、宿に関わるあらゆることだった。

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 御岳山を訪れる登山者や観光客の多くは、御嶽駅からバスに乗り、さらにケーブルカーを乗り継いで山に入り、そこから歩く。ケーブルカーの山頂駅から駒鳥山荘までおよそ15分だ。

 妙子はバスもケーブルカーもほとんど使うことはなかった。駅から歩いて登っていく。・・・午前中のうちに仕事が終われば、御岳山からそのまま大岳山、鋸山、御前山と縦走し、栃寄の登山口に下りて、そこからさらに歩いて帰宅することもままあった。栃寄の登山口までコースタイムでおよそ7時間30分。そこから自宅まで通常のペースだと徒歩1時間程度。けれど妙子の速足では、登山道も車道もおよそこの半分ぐらいの時間で済む。妙子は仕事が終わった時間から日没までを計算し、日が暮れないうちに帰宅できるようだったら、山を歩いて帰った。

 

P192

 ふたりが籍を入れるのは・・・1996年。そのほうが節税になるからという理由だった。ふたりにとっては結婚という形式よりも、一緒に暮らす、人生をともにするという実態のほうがはるかに大切だったため、結婚という形にはこだわらなかった。「一緒に暮らそう」と言ったのは妙子であり、「そうしよう」と泰史が応えた。順番はそのとおりだが、ふたりは同時に同じことを考えていたのだろう。一緒になりたいと考えた理由は言語化できるのか、理由なんてあるのか。のちに尋ねたところ、妙子からは明瞭な返答はなかった。

 泰史は昆虫を例に挙げた。「たとえば虫が家の中に迷い込んで入ってきてしまうことがあるでしょう。そういうときに大きな声を上げて騒ぐような人は、俺は苦手だと思うんだよね。俺は昆虫も動物も鳥も魚も、生き物は何でも好きだから、昆虫が家の中に入ってきたら、うれしいぐらいだ。きっと妙子も同じ」。奥多摩の家にクワガタが迷い込んできて、それをうれしそうに、「妙子、妙子、クワガタだ」と泰史が言い、妙子も同じようにうれしそうに笑いながらクワガタを眺めている様子が、テレビ番組の中にあった。小さな生き物を前にして、その生命を大事に思い、喜ぶ。そんな瞬間をともに過ごせるなんて、これ以上に幸せなことなんてあるだろうか、とすら思う。

 

P236

 ・・・妙子は泰史と、泰史が所属する日本登攀クラブのメンバーである熊谷良太と3人で、甲斐駒ヶ岳の摩利支天にあるサデの大岩を目指した。・・・最初は順調に登っていたが、上部で行き詰まった。泰史がリードしているときだ。手がかりはなく。プロテクションも取りづらい。ルートの状態は極めて悪く、妙子は一言「やめて、降りたほうがいいよ」と言った。けれど、泰史はやめなかった。泰史には冷静かつ的確に判断する能力がある一方で、時には何がなんでも登ってやる、と意固地になって続ける性質だ。このときは後者だった。妙子と熊谷が止めるなか、泰史は登攀を続けた。そして……落ちた。

 泰史は、ビレイしている妙子と熊谷の位置を越えて、延ばしたロープの倍の長さを落ちた。80mほどだろうか。かなりの距離を落ちたこともあり、いったい泰史が生きているのか、ケガはしてないのかわからなかった。

 けれど、妙子はまったく慌てなかった。このときの様子は熊谷にとって印象深く、鮮明に覚えている。まもなく泰史の声が届いた。足を痛めているものの、妙子たちの位置まで登ると、本人は言っている。妙子は素早く泰史をビレイする準備をし、泰史を引き上げた。

 いったん、ふたりの元に泰史を引き上げたあとは、3人で下降をする。・・・全身打撲を負っていた泰史にとってはつらい道のりだった。妙子はそのあとを、愚痴など一言も口にせず黙々とついて下山していった。

 これは熊谷の記憶であるが、このときの熊谷は妙子について改めて知った。夫が墜落しようが、慌てることはない。ケガはしているものの本人が生きているとわかれば、壁から3人が脱出するために、やるべきことを淡々とやる。過剰に「大丈夫?大丈夫?」と本人に話しかけることもなく、いつもどおりの様子で下山する。思うことはあるのかもしれない。プロテクションが極端に少なく、状態の悪いなかを突っ込んでいったけれど、そんなことをしなければよかったと思うのかもしれない。泰史は痛いだろうなあ、大丈夫かなとも思うだろう。けれど騒ぎ立てるようなことは、このときもそれからこれ以外のときも、一切ない。静かに、やるべきことをやるだけだ。

 

P298

 2023年春、妙子は長年の登山で痛めた右膝の半月板の一部を切除する手術をした。術後はなかなか山を歩けなかったが、翌2024年はずいぶんと歩いた。・・・泰史とふたりのときもあれば、日本登攀クラブの長年の仲間である古畑隆明らが一緒のこともある。古畑が、「とても膝を痛めている人とは思えませんね。登りの体力はもちろんですが、下りが速いんです。林道になるとどんどん我々を離していきますね」と笑って言う。

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 古畑にとって印象的なのは、泰史が本気でトライをするときのビレイは、必ず妙子がやることだ。簡単なルートやムーブを確認するときはほかの人がビレイをするけれど、これはいけそうだとなると、泰史は「妙子、妙子」と呼んでビレイを頼む。長年の親しい間柄の古畑ですら、泰史の本気トライのビレイをするようになったのはここ数年だという。これについて妙子は、「一緒に暮らしていて、たくさん一緒に登っているから、間合いとかロープの出し方とかは私が慣れているんだろう」と、あっさり言う。

 ・・・古畑はなによりも妙子の人柄が好きだ。古畑が見る妙子の性格は、「シンプル」の一言に尽きる。世の中にはシンプルな生活、シンプルな考え方、シンプルな人生を目指す人は多い。けれど妙子は違う、と古畑は言う。妙子はシンプルを意識するわけでも、目指すわけでもなく、ただ素直に生きて、それが結果的にシンプルになっているのだと古畑は思っている。

 


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