適性について

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

自分の適性について、ここも共感して読みました。

P130
 NHK Eテレの「オトナへのトビラTV」という番組に出たことがある。
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 感想の内容としては、「こういう生き方もありなんじゃないの」と共感するものが半分、「こういう生き方は認められない」という批判的なものが半分という感じだった。批判の中でも多かったのが「京大を出たのにもったいない」というフレーズだ。
 もったいない、そういう意見を持つ人がいつのは分かるけど、そういうのじゃないのになあ、と思う。確かに僕は京大に入れるくらいに受験勉強はできたけれど、それはただそれだけのことで、社会の中で協調性とポジティブさを持ってさぼったり休んだりせずに生産的な活動を続ける、というようなことをする能力は僕にはなかった。お金を稼ぐのにも向いていない。僕みたいな人間が今死なずに生きていられるだけでなんとかラッキーだと思っているので、もったいないという評価はあまり適切じゃない。僕にはこれしかできなかったのだ。

 人間にはそれぞれ適性がある。ある人には当たり前にできることが他の人には全くできなかったりする。
 みんなが当たり前にできているような、毎日決まった時間に起きるとか、他人と長時間会話をするとか、大勢の人が集まっている場で適切に振る舞うとか、そういうことが自分はできないのはなぜなんだろう。努力が足りないとか、コツを知らないとかそういうことなのだろうか。十代、二十代の頃はずっとそんなことに悩んでいて試行錯誤を繰り返していた。
 結局僕が30前後でたどり着いたのは、
「人はそれぞれ性質が違うし向いている場所も違う」
「世間で一般的とされているルールや生き方は、それが特に苦痛でない多数派の人向けのルールにすぎない」
「努力が足りないのではなく適性が違うということを考えるべき」
「世間で一般的なルールに従わなくても、なんとか死なずに生きてて、たまに何か楽しいことがあればそれでいいんじゃないか」
という考えだった。そう考え始めてから生きるのがすごく楽になった。