面白い読み心地の本

異国のヴィジョン: 世界のなかの日本史へ ハーバード白熱日本史教室 (新潮新書)

「ハーバード白熱日本史教室」で有名な、北川智子さんの「異国のヴィジョン」を読みました。
著者がアムステルダム、ボン、パリ、ウィーン、ミラノと旅行しながら、思いは過去へ移ったり、現在に戻ったり、未来へ飛んだりする様子が書かれています。
著者の思考の及ぶ範囲がすごく広くて、読んでると脳が活性化する気がします(笑)
また印象に残ったところをご紹介したいと思います。

P39
 ・・・何がわたしを動かしてきたのか思いをはせる。どんな力がわたしを前に進めてきたのか。・・・
 しばらく静かに考えていると、「ヴィジョン」というミステリアスなキーワードが浮かんできた。
 実は、それは、かねてからずっと気になっていた言葉でもあった。
 ・・・バンクーバーには、前例がない社会問題に果敢に立ち向かい、革新的なアイディアを打ち出そうとする、現状打開へのがむしゃらさがあった。当時のわたしは、そんな提案の場に居合わせる度に、現状を何とか好転させようとするエネルギッシュな提案に感銘を受けていた。そして、それらの提案の全部を「ヴィジョン」だと思っていた。「ヴィジョン」とは、問題点を鋭く指摘することや、新しい考え方を提案することだろうと思い、まわりにあふれかえる議論をただ感心して眺めていたのだった。
 しかし、カナダを離れ、世界を歩くと、そんな革新的でもっともらしい提案のすべてが「ヴィジョン」ではないと気づいていった。例えば「マルチカルチュアリズム」はまぎれもなく「ヴィジョン」であるが、そんなふうに理想を実現化することが有用であると認められているアイディアが、単なるひらめきと違う点は、その根底に「時間を超えて、場所を超えて、人種を超えて共有されるべきエレメントが含まれている」という前提条件があるからなのだ。
 ・・・
 人種を超えて支持されるヴィジョンとは他に何があるだろうか……。わたしは、大学卒業後から、そんなふうに「ヴィジョン」と「理想にあふれた提案」の違いについて興味があった。ヴィジョンを持って活動してきたわけでもなく、ヴィジョンを提案してきたわけでもなく、ヴィジョンを探しながら、今、ここにいる。