シンクロと自由 つづき

シンクロと自由 (シリーズ ケアをひらく)

 印象に残った、大切だなと思ったエピソードです。

 

P213

 とある朝のこと。

「お婆さんがほぼ、一睡もされていません。なので、今日のお昼は眠たくなるかもしれません」

 ある職員があっさりと申し送った。お婆さんの睡眠状況はよく分かった。ぼくにはまだ聞きたいことがある。顔色も変えず、眠れていないお婆さんを心配してみせる彼のことが心配になってしまう。

「よく食べました」

「あまり飲めていません」

「午前2時ごろ大便が出ました」

「朝の4時に目覚めて、居間のソファーで二度寝されました」

「排尿量が少なめです。水分の摂取に気をつけてください」

 生理の状況を申し送ることはとても大切なことだ。だけど、それだけの申し送りはどこか物足りない。

「一睡もしていないって、ず~っと起きていたの?お婆さんは……」と尋ねてみる。

「いえ、寝てもらおうと思って、お布団に入ってもらうのですが、数分だったり、30分おきだったり、布団から這い出してこられました。お腹が空いているのかなぁと思って、おにぎりをつくったりしたけど、眠れませんでした」

 やはり、眠れるようにアプローチしている。しかしながら成果はなかったようだ。

「何回ぐらい這い出してこられたの?」

「そうですね、8回はゆうに超えていると思います。よく憶えていません」

 お年寄りがよく眠ることはささやかな願いである。それは「当事者にとって」ということもあるのだが、「夜勤者にとって」という意味いも含まれている。

 やおら、朝を迎えたかのように活動を始め、大きな声で歌い出したり、他のお部屋に入ろうとするお年寄りが一人いると、心中、穏やかではなくなる。

 眠らないお年寄りに触発され、ひとり、ふたりと、起き出されては、あっというまに対応に行きづまる。ゆとりを失う自分の姿が目に浮かぶからだ。

 彼もまた、同じ心境にあったはずと推察した。そこにある焦りや不安、動揺や苛立ちといった心の動きに対して、どのように対応したのだろうか。

「へえ~、8回以上も起きてきたって、大変だったね。それで、君は何回目で叩きたくなった?」とあえてぼくは聞いてみた。

 過激な質問だけど、あくまでも意図的な問いである。彼は感情表現の苦手な人なのか、それとも感情を表に出してはいけないと思い込んでいるのだろうか。探りを入れる。

「そうですね、6回目くらいでしょうか」

 彼は真面目に言った。ここは、答えずに笑うところである。

「そうか、ぼくだったら、4回目で叩きたくなるかも」。ひるまずに揺さぶりをかけた。

 彼はようやく笑った。他の職員たちもつられて笑う。

 ・・・ 

 介護従事者には職業倫理上、口に出すわけにはいかない言葉がある。そのような言葉をタブーにしてしまい、成仏させずに闇に葬ることはとても危険だと感じるときがある。「わたし」にはコントロールの効かない情感のあること、理念や倫理では乗り越えることのできない限界が生身の人間にあること、それを共に働く仲間たちと集団的に理解しておきたいと思った。

 しかしぼくが本当に知りたいことは、その先にある。

 彼はどうやって虐待やネグレクトをしないですんだのか。身体拘束や隔離といった手段もとらず、一睡もしないお婆さんに付き合ったかである。

「ところで、君はどうして、叩くことなくお婆さんに付き合えたの?」

「実は、ちょっと、自分が怖くなるところでした。このままいくとやばい感じがして、お婆さんから逃げたんです」

 折にふれて、職員たちに話していることがある。お年寄りの不眠や大声、暴力などに直面し、対応しきれないと感じたときは必ず他の職員に助けを乞うこと。夜勤に限らず、日勤でも同様である。

 さらに、応援体制が間に合わず、自分が保てないと感じた場合は「逃げていい」と伝えている。たとえ弾みであったとしても、反射的にお年寄りを押し倒したりする前に逃げてほしいと。生身の限界にある「怖さ」を意識して働いてほしいと。最終手段としての「逃げ」を長の責任において認めている。

「お婆さんが声を上げながら布団から這い出すことにイライラが爆発しそうでした。それで、ハツさんの部屋に逃げ込みました」

 ハツさんは97歳のお婆さん。小柄で白髪、普段の穏やかさとは裏腹にヘソを曲げると梃子でも動かない頑固者である。彼はその部屋に逃げ込んだのだった。

「ハツさんの部屋の入り口から、外の様子をうかがっていたら、なんとなく、視線を背中に感じました。振り向くと、ハツさんがじ~っとぼくを見つめていました」

 びっくりしただろうなぁ、ハツさん。夜更けに大きな男が入り込み、身を潜めているのだから。

「ハツさんと目が合ったので、ちょっと会釈しました。そうしたら、ハツさんが暗闇のなかでにっこりして、布団の裾をめくり上げながら『入る?』と聞いてきたんですよね。あれで、救われたんです」

 眠らずに声を上げ続けるお婆さんを叩かずに済んだのはハツさんのお陰だった。

「あのとき、ハツさんが『入る?』って声を掛けてくれて、気分が変わりました。気を取り直して、戻ることができました」

 ハツさんは深いぼけを抱えるお年寄りだ。彼にある、ただならぬ雰囲気を感じとったのだ。その行動はハツさんの抱えたぼけと関係はない。ハツさん本来の人柄で彼に手を差し伸べた。ぼけがあろうとなかろうと、人は人を助ける。彼はそのことに気がついている。ぼくにはそう思えた。

 朝の申し送りにある大切なこととは、このようなやりとりを言葉にして、仲間に語ることではなかろうか。それは、体験した「わたし」にしかできない話である。

 言葉になった実感は、仲間にある実感とふれ合う。それは、わたし個人の言葉が仲間集団に届く瞬間なのだ。実感を媒介とした申し送りが毎日繰り返されることで、職員の意識は集団化する。

 かくして彼は、崩壊しそうな「わたし」を、お年寄りに支えられる形で持ち直したのであった。

 ・・・

 朝の申し送りはひとりの夜勤者が体験した出来事を聞く会だ。それは、個人の腹に溜まりこんだ危うい肉声を集団で成仏させる時間でもあり、ささやかに再生できたことを祝福する場でもある。

 再生できなかったときは、集団で嘆き、ねぎらう。そして笑い飛ばす。

 長をはじめとする現場のリーダーは、みずから「わたし」の崩壊と再生を言葉にすることで、暗黙の了解化したタブーから現場を解放するお坊さんのようなものだ。

 

P283

 長生きしたいと思うようになりました。

 老いて衰えるということを実感したいのです。そこにある悲しみや喜びを深く味わいたいのです。体はどのように変容するのでしょうか。そのとき世界をどう感じるでしょうか。やがて、ぼくは死にます。「わたし」という執着からの解放はどのようなものでしょうか。そして体内のエネルギーを燃やし尽くして死ぬ様子を魂で感じてみたいのです。

 火葬はされたくありません。緑の深い山中で埋められたいと考えています。昆虫や微生物に身を委ねて分解されたいのです。ぼくは他者から食われます。体は内臓を介してその体のいのちとなり、大部分はうんこになって土に還ります。

 これまで、さんざんお年寄りの排泄に付き合ってきたのですから、うんこになる体験も面白いかもしれません。きっと、天と地、そして生き物たちが、ぼくの死を寿いでくれる。そんな妄想が膨らんでいます。

 ・・・

 近年、介護は職業として人気がありません。大変という印象だけが先走っています。たしかに待遇や賃金、労働環境の改善が必要です。ただ、それだけではなく介護にある深みにふれることができたなら、多くの人がもっと気楽に生きることができると思います。この本が少しでもそれに資することができたなら幸いです。

シンクロと自由

シンクロと自由 (シリーズ ケアをひらく)

 介護の様子が、こんな風に表現されたものを初めて読み、新鮮でした。

 

P54

 体にさわりながらお年寄りの営みに関わり続けると、老衰が進んでいるはずの体に思いもよらぬポテンシャルが秘められていることを知る。

 ・・・「老衰=不自由」という方程式がぼくの脳みそに刻まれていた。

 それは、お門違いだった。

 口より雄弁な目力。見えないものが見える瞳。終わることのない話。巫女のような語り。独創性あふれる作話。エネルギッシュな混乱。危機的状況にある自分への他人事感。信じる力に満ちあふれた主観。追従を許さず展開していく思考。瞬発力のある知性。体力と比例しない持続性。時空を超える跳躍力。

 これらの表現は、否定的にとらえられがちな老いの姿を肯定的にしてみせる単なる言い換えではない。老体にぼくらが持ちえない躍動がある。それは、これまでの社会生活で得た概念から解放されることで発揮されていると思えた。失うことで新たな生き方を得ているように見えた。

 不自由になる体は私に新たな自由をもたらすのである。時間の見当がつかないことで時間から解放される。空間の見当がつかなければ場に応じた振る舞いに囚われることもない。・・・子どもの顔を忘れることで親の役割を免じられる。憶えていないことで毎日が新鮮になる。怒りや憎しみが留まりづらくなり喜びが訪れやすくなる。

 それらは私の自己像が崩壊することであり、私が私に課していた規範からの解放でもある。私であると思い込んでいたことが解体されることで生まれる自由なのだ。

 では私は私を失うのだろうか。そうではないと思う。私が変容して新たな「わたし」へと移行するだけである。介護とはその過程に付き合うことではないだろうか。

 

P67

 ある日のこと、遠方から見学があった。70代を中心とする、地域活動に熱心に取り組む人たちだ。

 会長にあたる男性がおっしゃった。「ここには5年前に来たことがあります」

 ぼくは少し困った。なぜなら、開設から3年しか経っていなかったのだ。それとなく、「開所から3年なので、その時期ですかね」と呟いてみせた。

 会長は聞き逃さず「いやいや、5年前です。なあ、5年前やったもんなぁ」と隣に座る男性に同意を求める。その人も「そう、そう」とうなずく。運営の当事者であるぼくの言葉を否定できる自信はどこから来るのだろうか。

 お年寄りが思い込んでしまったことを、後から変更することは難しい。

 ・・・

 あるお婆さんはデイサービスの車をイライラして待っていた。送迎時間の1時間前から「まだ来ない」と怒る。約束の時間を繰り返し伝えるぼくの声は、お婆さんの耳の中に入っていかない。堪忍袋の緒が切れたかのように「約束を守らないのが、いちばん嫌い」と声を荒げるが、約束を守っていないのはお婆さんなのだ。

 あらためて時計を見せて諫めると「この時計は、間違った時を告げる、変な時計」と言い返した。自分の時間が世界の中心になっている感じである。これは、ぼくの母の話だ。

 

P78

 骨と皮の人がいる。蛹のように硬そうな人がいる。収縮を忘れた皮膚に脂肪をぶら下げる人がいる。瞳の奥が白濁として、どこを見ているのか分からない人がいる。絶え間なく口をモグモグさせる人がいる。聞き取りができないほどの早口で喋る人がいる。お尻を支点に、尺取虫のように移動する人がいる。目を開けたまま眠る人がいる。

 老いた体は、人それぞれに変形していた。・・・

 その容姿と振る舞いが想定を超えていた。・・・

 正直に言うと、少し怖かった。どのようにさわればよいものか戸惑った。

 ・・・

 ぼくにとって介護とは、あの老いる体にさわることから始まった。

 ・・・老いた者は、その体を他者に委ねざるを得なくなる。他者もまた、その体を引き受けざるを得ない。

 少なくとも、お年寄りたちは喜んで介護されてはいなかった。介護するぼくも喜んでしているわけでもなかった。それは仕方なく始まっていくものだった。老いた者は、自分の体を仕方なくさわらせる。委ねられた者も仕方なくさわる。

 けれども、この仕方なく始まることに救いがあると思うようになった。それは、万策尽きた後に始まる協力関係のようなものである。てらいのないふたりが仕方なく協力しあう。お互いに大きな期待を抱かずに事に当たることができた。

「仕方ない」には、受容や共感とは異なる肯定がある。たとえ手の打ちようがなくても「さよなら」することもできない仕方なさ。ふたりで、ひとつの行為をやり遂げるには「仕方なさの合意」から出発すると気楽だった。

 

P105

 あるお婆さんと一夜を過ごした。娘さんの都合で家に帰ることができず、よりあいに泊まることになったのだ。デイサービスが終わりに近づくと、お婆さんは帰宅の準備を始める。泊まるつもりはいっさいない。

 ・・・

 夜遅く、お婆さんは「娘に電話してもらえませんか」と懇願した。・・・けれど、娘さんは介護に疲れ切って母を施設に「お泊まり」させたのである。その事情を考えると、今夜ぐらいは介護を忘れゆっくりと休んでほしかった。

 ぼくは娘になり替わろうと思った。お婆さんに受話器を渡して「娘さんとつながりましたよ」と伝えた。ぼくは携帯を耳に当てお婆さんと背中合わせに座る。

「お母さん、どうしたの?」

 娘さんの声色を真似た。

「ああ、あんたね。どげ~も、こげ~も、ないとよ。帰りたいとばってんが、帰してもらえんと」

 お婆さんには、ぼくの声が直接聞こえているのだけれど、受話器から聞こえる娘の声だと勘違いしてくれていた。

「今日は、そこに泊まってほしいの」

「なんでね」

「ちょっと、疲れちゃって」

「なら、わたしが帰ってやらんといかんねぇ」

(やばい……)

 泊まってほしい。帰りたい。押し問答がしばらく続く。・・・ぼくはだんだんと焦りはじめた。「とにかく、お願いだから、そちらに泊まってくれない。私を助けると思って……」と頼んだときから、ぼくの心に変化が生じはじめた。もはや娘さんの代弁ではなく、ぼくの気持ちそのままを伝えていた。

 娘さんとぼくがシンクロした「わたし」となっていく。お婆さんが頑なに抵抗するほどに、娘さんよりも「ぼくの願い」が立ち上がる。夜勤者として「泊まってほしい」と強くお願いしていたのである。

「仕方ないねぇ」

 お婆さんは根負けしたように言った。

「ありがとう。お母さん」

 ぼくは心から喜んだ。その直後だった。お婆さんはこう言った。

「ところで、あんた誰ね」

 ぼくは目が点になった。娘ではないことに、いつの時点で気がついたのだろうか。娘を騙る不審者のために、お婆さんは「泊まり」を引き受けたのである。見え透いた嘘を許し、娘でもない見知らぬ人のためにお婆さんは一肌脱いでみせたのだった。

 

P116

 100年を生きるお婆さんのタイムスリップはすごかった。お婆さんは夜中になると2~3歳の幼児になった。

「おかあさ~ん、おかあさ~ん」と今にも泣き出しそうな甘えた声を上げる。・・・

 夜勤者は22歳の女性。彼女はお母さん的対応をとった。

「どうしたの、フミちゃん」

 お婆さんは、「ああ、お母さん来てくれた!」と大喜びし、彼女の首に抱きついた。そして、こうささやいた。

「お母さん、入れ歯がないの」

 あの小さな体に2歳と100歳が同時に現れたのである。幼児の「わたし」が暗闇で目覚めた不安と、老人の「わたし」が入れ歯を失くした不安とが同調している。こんなにダイナミックなタイムスリップは初めてだった。

雑草はなぜそこに生えているのか 弱さからの戦略

雑草はなぜそこに生えているのか ──弱さからの戦略 (ちくまプリマー新書)

 雑草ってそういう・・・と初めて知ることが多く、面白かったです。

 

P24

 雑草と呼ばれる植物には、さまざまな共通した特徴がある。その中でも、もっとも基本的な特徴は、「弱い植物である」ということだ。

 ・・・

「雑草が弱い」というのは、「競争に弱い」ということである。

 ・・・

 植物は、太陽の光と水と土さえあれば生きられると言われるが、その光と水と土を奪い合って、激しい争いが繰り広げられているのである。

 雑草と呼ばれる植物は、この競争に弱いのである。

 どこにでも生えるように見える雑草だが、じつは多くの植物が生える森の中には生えることができない。豊かな森の環境は、植物が生存するのには適した場所である。しかし同時に、そこは激しい競争の場でもある。そのため、競争に弱い雑草は深い森の中に生えることができないのである。

 雑草は弱い植物である。競争を挑んだところで、強い植物に勝つことはできない。そこで、雑草は強い植物が力を発揮することができないような場所を選んで生えているのである。

 それが、道ばたや畑のような人間がいる特殊な場所なのだ。

 

P41

 雑草とは、勝手に生えてくるものであって、わざわざ雑草の種を播いて育てる酔狂な人は少ないだろう。

 私は雑草の研究をしているので、雑草を育てる。ところが、雑草というのは、いざ育てようと思うと、なかなか簡単ではない。

 まず、種子を播いても芽が出ないのだ。

 野菜や花の種子であれば、土に播いて水を掛けてやれば、数日のうちには芽が出てくる。ところが、雑草の場合は土に播いて水を掛けてもなかなか芽が出てこない。そうこうしているうちに、播いてもいない雑草の方が芽を出してきてしまったりするから、難しい。

 ・・・

 それは、雑草が「休眠」という性質を持つからなのである。

 ・・・

 休眠は、すぐには芽を出さないという戦略である。

 ・・・

 雑草の種子が熟して地面に落ちたとしても、それが発芽に適しているタイミングとは限らない。・・・

 ・・・

 ・・・雑草の種子は春だからといって芽を出せばよいという単純なものでもない。弱く小さな雑草の芽生えにとっては、いつ芽を出すかが生死を分ける。そのため、環境を複雑に読み取って、発芽のタイミングを計るのである。・・・

 ・・・

 野菜や花の種子は、種を播けば一斉に芽が出てくる。・・・

 ・・・

 しかし、雑草の種子は、できるだけ「そろわない」ことを大切にしている。

 もし、野菜や花の種子のように一斉に出芽してきたとしたら、どうだろう。人間に草取りをされてしまえば、それで全滅してしまう。そのため、わざとそろわないようにして、出芽のタイミングをずらし、次から次へと「不斉一発生」するようになっているのである。

 

P80

 雑草は表現的可塑性が大きく、変化する植物である。そのため、人間の決めた分類を飛び越えて変化してしまうものも少なくない。

 たとえば、ヒメムカシヨモギという雑草は、道ばたや空き地、畑などあらゆる場所によく見られるキク科の雑草である。ヒメムカシヨモギは、秋に芽生える越年性の雑草である。そして、冬の間に葉を広げて栄養分を蓄えると、春から夏にかけて茎を伸ばして花を咲かせるのである。

 ところが、攪乱の大きい場所では、ゆっくりと成長して花を咲かせている余裕はない。そこで、春から夏にかけて発芽し、数週間の間に成長して花を咲かせてしまう。つまり、一年生夏雑草として、生活をしているのだ。・・・

 私たち人間は、整理しないと理解できない生物だから、自分たち自身でさえも「理系と文系」「体育会系と文化系」と区別したがる。そして、「男らしく、女らしくしなさい」だとか、「高校生だから……」と分類に呼応して特徴づけたがるのである。

 しかし、雑草の自由さを見ていれば、「こうあるべき」というのが、どんなに狭い考え方かわかるだろう。私たちが住む自然界というのは、もっともっと自由なのだ。

 

P126

 じつは、集まって咲くタンポポと、一株だけで咲いているタンポポは種類が違うのである。春先に、集まって咲いているのは、昔から日本にある日本タンポポの方である。

 一方、西洋タンポポは、集まって咲くことなく、一株だけで咲いていることも多い。じつは、西洋タンポポは花粉がつかなくても種子を作ることができる「アポミクシス」という特殊な能力を持っている。そのため、まわりに仲間がいなくても、花粉を運ぶ昆虫がいないような環境でも、種子を作ることができるのだ。

 西洋タンポポが、自然の少ない街中などに多く見られるのはそのためである。

 また、西洋タンポポは春だけではなく、一年中、花を咲かせて種子をつけることができる。こうして、どんどん増えていくのである。

 

P179

「雑草は踏まれても踏まれても▢」と言われる。この四角い空欄の中には、どんな言葉が入るだろうか。

 よく言われるのは、「踏まれても踏まれても立ち上がる」という言葉である。

 だから、「雑草のように何があっても立ち上がれ」などと言うつもりはない。なぜなら、本当は、踏まれた雑草は立ち上がらないからである。

 雑草を観察していると、雑草は踏まれても立ち上がるというのは、正しくないことがわかる。

 雑草は、踏まれたら立ち上がらない。よく踏まれるところに生えている雑草を見ると、踏まれてもダメージが小さいように、みんな地面に横たわるようにして生えている。

「踏まれたら、立ち上がらない」というのが、本当の雑草魂なのだ。

 たくましいイメージのある雑草にしては、あまりにも情けないと思うかも知れない。

 しかし、本当にそうだろうか。

 そもそも、どうして立ち上がらなければならないのだろう。

 雑草にとって、もっとも重要なことは何だろうか。それは、花を咲かせて種子を残すことにある。そうであるとすれば、踏まれても踏まれても立ち上がるというのは、かなり無駄なことである。そんな余分なことにエネルギーを使うよりも、踏まれながらどうやって花を咲かせるかということの方が大切である。・・・

 踏まれても踏まれても立ち上がるやみくもな根性論よりも、ずっとしたたかで、たくましいのである。

 雑草は踏まれたら立ち上がらない。

 しかし、「雑草は踏まれても踏まれても、必ず花を咲かせて種子を残す」。

 大切なことは見失わない生き方。これこそが本当の雑草魂なのである。

 

P198

 どうして私は雑草を研究するようになったのだろう。

 ・・・

 大学では作物学を専攻した。

 作物学を専攻した理由は、世界の食糧問題を救い、日本の水田農業を守るのだ、という作物学の講義の熱弁にほだされたからだったが、研究室では、畳表の原料となるイグサに興味を持ってしまった。・・・

 研究室でイグサの観察をしていると、鉢のすみから、イグサに似ている感じもするが、明らかにイグサとは異なる芽が出てきた。雑草である。指導教官に「これは何ですか?」と尋ねると、植物は花が咲けば、図鑑で調べることができるから、花が咲くまで置いておきなさいと言われた。

 イグサは作物だから、どういう風に育つかは教科書にも書いてある。ところが、横から出てきたこの草が、いったいいつどのような花を咲かせるのかは、まったくわからない。毎日イグサの観察をしにいくうちに、すっかりイグサの横で成長する植物のアナザーストーリーの方が気になるようになってしまった。・・・

 もし、あのとき指導教官が「これは、コウガイゼキショウだよ」とすぐに答えを教えてくれたとしたら、私は雑草研究者になるようなことはなかっただろう。・・・

 ・・・

 じつを言うと、私は大学を卒業してから、雑草学を仕事として研究したことはない。

 大学院を修了して、就職した先は東京のど真ん中の霞が関にある農林水産省だった。・・・

 農林水産省の仕事は、雑草とは何の関係もなかったけれど、勉強になることが多く、とても面白かった。ただ、一度しかない人生であれば、自分の一生のうちに研究をやってみたいという気持ちもあった。・・・

 その後、私は故郷の公務員の試験を受け直して県の職員になった。本当は県の研究機関に行きたかったけれど、そこで担当になったのが、畜産の指導員だった。指導員とは言っても、牛もまともに見たことがないくらいだったから、農家の人に教わってばかりだった。ただ、牧草地も雑草に困っていたから、雑草なら何とかしましょうと、雑草対策に取り組んだ。

 念願の県の研究機関に異動したが、雑草の研究テーマに取り組んだことはなかった。最初に担当したのはバイオテクノロジーを使った新しい品種の育成や種苗の増殖だったし・・・土壌肥料を担当する部署にもいたし、害虫を防除する研究も担当した。

 こんな感じだから、じつを言うと、まともに雑草の研究をしていた時期などほとんどない。こんなにみちくさを食っているのに、不思議なことに今、振り返れば何一つ無駄なことがないから、人生というのは面白い。

 花の育種の研究では、早く成長するという雑草のユリの特性を活かして早く咲くユリを育成したり、バイオフォトンが雑草の除草剤反応の計測に使えることを見出した。害虫退治も、餌となる雑草を退治すれば劇的に減らすことができた。

 雑草学という軸足を持っていたおかげで、どんな分野でも思い切って研究をして成果を得ることができたように思う。・・・

 もし、私が大学を出て、そのまま希望どおりに雑草の研究者になっていたとしたら、すごく視野の狭い雑草オタクになっていたことだろう。

 

僕らの哲学的対話 棋士と哲学者

僕らの哲学的対話 棋士と哲学者

 哲学に詳しくないけれど、対話だったのでなんとかついていけたような、いけてないような(苦笑)。

 

P44

戸谷 目の前の勝負に負けても、自分が何を求めているか、自分がどういう戦略をとるかによって、負けが負けではなくなるという話が先ほどありました。それはよく理解できるんですよ。しかし一方で、勝敗を決定する基準を自分で決めてしまえると、逆に重みがなくなる気もするんです。たとえば受験でも仕事でもなんでもいいんですが、負けがつらいからといって、あたかもそれが重大でないかのように思い込むと、逆に人生がむなしくなるような気がするんです。

糸谷 本当にそうですかね。

 ・・・

 基準なんていくらでも変更可能ですよ。・・・たとえば、将棋の世界でどれだけ高く評価されていたって、別のジャンルのゲームでは素人ですから。

戸谷 そんなものは重要ではない?

糸谷 というか、重要でないほうがいいと思いますね。

戸谷 でも、客観的な基準がないと、人々は不安になるんじゃないかな。自分の恣意的な考えひとつで基準を変更できてしまうと、承認が得られないと思うんです。それが揺るぎないものであると感じられない。

 先ほどの話に戻っていくと、僕のように勝敗がはっきり決まらない世界にいる人間からすると、そう思えてしまうわけです。たとえばいま、糸谷さんと対談しているけど、そのことが僕の人生においてどんな意味を持っているのか、非常にぼんやりしている。

糸谷 でも、この本が空前のベストセラーになったらどうですか?それこそ何十万部、何千万円っていう客観的な数値で測れるようになるかもしれない。あるいは、この本に出てくる失言によって、戸谷さんが永遠にパージされるかもしれない(笑)。まあ、それは冗談として、逆に世界はあいまいなものだということを受け入れていくのも必要だと思うんですよ。

戸谷 勝負の世界に生きている糸谷さんが、あいまいさを受け入れることが必要だと言って、勝負の嫌いな僕が、明確な基準がないと承認を得られないと言っている。逆転しているのが面白いですね。

糸谷 それにしてもみんな、そんなに承認されたいんですかね。他人から本当に承認されているかなんてわからないじゃないですか。表ではほめられていても、裏でけなされているかもしれないし。

 

P54

戸谷 糸谷さん自身はどちらなんですか。AIが将棋の本質を変えるとか、業界を変えるとは思わない?

糸谷 本質は変わらないんじゃないですか。人間だろうが、AIだろうが、ゲームとしての将棋はエンターテインメントとして残っていくと思います。

 ・・・

 結局、将棋はエンターテインメントとしての要素が大きいんですよ。私はよく野球を例に出すんですけど、時速三〇〇キロのピッチングマシンが投げるボールをロボットが打つみたいな試合を、われわれは観たいと思いますか。

戸谷 観たくないね。

糸谷 なぜ観たくないかというと、野球はエンターテインメントだからですよ。だから機械には代替されないと思う。代替される恐れがあるのは、より単純な作業でしょうね。たとえば電話交換手という仕事は、機械に代替されてしまいました。でも、そこには人間が労働から解放されるという側面もある。必ずしも悪いことではないとも思います。

 

P122

戸谷 ・・・僕からすると、「哲学カフェ」というのは自分の考えを相対化するいい機会なんです。

 それまで自分が自明だと思っていたことに対して、他者から反論をされる。反論に出会うことって苦痛なんです。とくに議論の練習ができていない人には。それで怒ってしまったり、イライラしてしまったりもする。だけど、対話を続けていくうちに信頼関係ができていって、この人が言うことも成り立つのかもしれないって認め合えるようになってくる。僕はそのプロセスがすごく好きなんですね。自分の考えを相対化していって、だけれども単なる相対主義には陥らずに、信頼できる人間関係をつくり上げていくことが。

糸谷 でも、それができない人もやって来るわけでしょう。

戸谷 ・・・ヘイト発言をする人はやっぱりいますよ。ハラスメント発言をする人はもっといる。「君は女の子だから」みたいなことを平気で言う男性もたまにいらっしゃいます。……糸谷さん、渋い顔してるねえ(笑)。めっちゃ嫌いでしょ、そういう人。

糸谷 キレちゃいますね、それは。

戸谷 そうなってしまうと議論を立て直すのが本当に大変で。現実社会でも起きているある種の軋轢だなあと思いながら無理やり話を進めてしまうんですが。

糸谷 相手の発言を直接、批判しないとか、何かルールはあるんですか。

戸谷 そうしたルールは設けていません。僕の考え方だけど、哲学は人に幸福を与えたり、人を気持ちよくさせたりするものとは限らないんです。むしろ人を不快にさせたり、苛立たせたりすることで豊かな対話が生まれることもあるし、違った見方ができるようになることもある。なので、挑戦的なことを誰かが言っても許すことにしています。

糸谷 物事を突き詰めて考えるということ自体、基本的には不快なことですよ。突き詰めて考えるということは、それまで自分の信じていたことが掘り崩される可能性があるわけですから。

戸谷 その通りですね。ハイデガーに戻ると、人間というのは自明な世界に生きているので、その自明性が崩されることを不安に感じるものです。

糸谷 でも、その人の自明性を殴っていかないといけないんですよ。ぶん殴って不安にさせないと、その人の世界は変わらないから。・・・

ほんのよもやま話 作家対談集

ほんのよもやま話 作家対談集 (文春e-book)

 個人的には、怖いものや残酷なものは苦手なのですが、こういう捉え方もあるんだなーというお話が興味深かったです。

 

村田沙耶香さんと穂村弘さん

P52

穂村 僕は今日、漫画の『Sink』を選びました。著者のいがらしみきおさんはもともと4コマギャグ漫画の人ですが、これは長篇ホラー。一見逆のようでどちらも日常に対する違和感から始まっています。最終的には資本主義や物質文明に対する復讐が描かれるんですが、最初はそれが明かされず、ただ不穏なことが起きていく。電柱の高いところに自転車がくくりつけられていたり、林檎をサンマが貫通していたり。それって社会的にどう捉えたらいいのかわからない現象でしょう。そういうところにウットリしてしまうんです。

村田 私も前半の、街で見かけた人の腕が妙に長いとか、男の子の手だけがものすごく大きいという描写が怖くてワクワクしました。後半、実際に世界が崩れてしまってからのほうが気持ちが安らいだというか。

穂村 社会の合意に沿った怖さって安心感がありますよね。それよりも社会的チューニングの埒外にあるもののほうがウットリできる。

村田 後半に、怪物になった男の人の「この世界で生きて行けない人間はどうすればいいんだろう」という台詞がありますよね。私も小さい頃からそう思ってきました。「この世界」ってすごく脆い言葉だと思う。それこそ宇宙人から見れば、そんな概念はまったく通用しませんよね。自分も「この世界」というものをそこまで信じていないから、この世界で当たり前と思われているものを小説の中で解体していきたいんです。

穂村 今後も自分の文体を探りつつ、それを追求していくわけですか。

村田 言葉そのものを自由に扱うこともやってみたいです。笙野頼子さんの『母の発達』が好きなんですが、あの小説は言葉で世界を表現するというより、言葉自体が小説の中で発達していく感じがあって。いつかそういうことをやりたいですね。

穂村 『殺人出産』の最後もそんな感じでしたよ。扉がバーンと蹴破られる感じ。村田さんの小説の変遷を見ると、そのうちチャクラが開いて、まったく言葉の配列が理解できない小説とかを書くような気がする。

村田 嬉しいです。いつかチャクラが開くといいなあ。

穂村 うん。でもちょっと空恐ろしい(笑)。

 

豊崎由美さんと阿部賢一さん

P81

豊崎 私が今日持ってきたのは阿部さん訳のラジスラフ・フクスの『火葬人』です。私が阿部さんのお名前を知ったのがこの本でした。1930年代末のプラハが舞台。火葬場で働くコップフルキングル氏はチベット仏教に関する書物を愛読している。基本的には善人です。でも最初からなんか怪しくもある。彼が最終的にどんなことをしでかすかは、読んでからのお楽しみなんですけれど、怖い小説です。なのに、おかしい。チェコの想像力って笑いを伴いませんか。

阿部 そこなんですよ。悲しいことも目線を変えたら笑いに転がってしまう。その目線の書き方の巧さ。チェコの人は、悲しいものを悲しく書くってことをしませんね。

豊崎 自分たちの悲劇をも客観視して笑うのは、歴史の中で身につけてきた決死の処世術の気がします。

 ・・・

豊崎 フクスの小説には捕食動物ばかりが展示されている館など薄気味悪い場所が出てきますよね。私が前にチェコに行った時に気に入ったのがクトナ・ホラにある骸骨堂で、シャンデリアといった室内装飾品まで骨で作ってあり、異様なくらい美しいんですよね。明るい不気味、っていうか。

阿部 明るいですよね。一体の骸骨は悲しいけれど、何千体になると、驚異に変わる。

豊崎 そこに行った時も『火葬人』を読んだ時も、チェコの映像作家のシュヴァンクマイエルの作品を思い浮かべました。CGを一切使わない人形アニメを撮る人ですが、「アリス」なんか、あんなに気持ち悪いアリスはいないっていう。あの感性はフクスのそれに繋がりますね。

阿部 彼らの、売れようとか読まれようとか考えず、自分が本当に「これ」と思うものを徹底してやる職人的なこだわりに敬服します。

豊崎 ボフミル・フラバルの『あまりにも騒がしい孤独』や『わたしは英国王に給仕した』でも、悲惨な状況を書いても必ずおかしみがある。『剃髪式』も、モノトーンの中にパッと鮮やかな色が浮かび上がるような印象操作が巧い。チェコ文学ってもっと愛されていいですよね。でもチェコ語は特殊で、格変化がすごく複雑なんでしょう?阿部さん、どうしてわざわざそんな難しくて需要のない言語を学んだんですか。

阿部 今思うとカフカの『城』や『変身』に衝撃を受けたんですね。カフカの描いたプラハをもっと知りたくて、チェコ語が必要でした。

豊崎 カフカも笑いですよねえ。

阿部 チェコは人口が1千万と少ないのに、世界的に読まれている作家が結構います。チェコの人はカフカ、フラバル、ミラン・クンデラを10代で読んでいるから、新たに出てくる作家たちも一筋縄ではいかない。

 

本谷有希子さんと武田砂鉄さん

P110

武田 本谷さんの小説からは、「共感」に対する強い嫌悪を感じますね。

本谷 私、昔から共感がわからないんです。小説も共感されることより「自分がこの本を読んだらどう思うか」を考えて書く。はじめて会う編集者が仕事依頼の話で「共感」という言葉を3回使ったら、その仕事は断ります。

武田 本谷さんの『静かに、ねぇ、静かに』の一話目では、旅先で互いに共感しまくり、写真を撮ってアップすることに夢中な人たちが出てきます。最近、「ポジティブならいいじゃん」って、ポジティブが暴走している気がする。彼らがまさにそう。

本谷 今回SNSを題材にしたのは、社会現象を書こうと思ったわけではなく、自分がマレーシア旅行をした時にスマホで写真を撮りまくってアルバム整理したら楽しくて。その旅行自体はつまらなかったのに、アルバムを見たらすごく面白そうで、気味悪かったんです。それがきっかけ。

武田 「スマホの写真見て、マレーシアの旅がステキに思えたなら、それでいいじゃん!」って言われた時には、なんて答えますか。

本谷 「自分が実際に感じた嫌なことのほうが、私には百倍価値があるんだ」って言うと思う。でも、今現実の友達との会話の中にもネガティブなことを入れない人が多いらしいですね。洒落が通じない人も多い。

武田 『日本の気配』にも書きましたが、コミュニケーション力が過剰に問われる社会って気持ち悪い。

本谷 わかりやすいことしか思っちゃ駄目、みたいな感じが私は気持ち悪いのかもしれない。もっと雑然としていればいいのに。

武田 「雑然」っていい言葉ですね。「多様性」という言葉を大事にしつつも、「雑然でいいでしょ」って言うと、要請している感じが薄まりそう。

本谷 ポジティブでいたい人たちの目を覚まさせたいですか。

武田 「もういいよ。疲れたでしょう。お疲れ様」と言いたいです。みんなと仲良くポジティブに高め合うのが社会の前提になると、そこに入れずに「しんどい」と思う人が絶対的に増える。そのしんどさを見つめていかなきゃ、と思います。

 ・・・

本谷 私は人間の嫌な部分や醜さから目を背けずに書かれている小説が好きです。砂鉄さんも好きじゃないかなと思ってオススメに『フラナリー・オコナー全短篇』の上巻を選びました。ここにまるごと収録された「善人はなかなかいない」という短篇集を単行本で読んで好きだったんです。嫌な人間を嫌なままとらえることで、人間の内部にあるものが見えてくる気がするし、本当のことを言われている気がして、信じられる。

武田 はじめて読みました。人間の行動の中には常に裏面があって、それを表面化させないよう、必死に抑え込みながら私たちは生きている。いや、裏面を出すのが通常なんだぞ、と教えてくれる。そのためらいのなさが気持ちよかったし、それこそ「共感」しましたよ。「共感」を使うのはまだ1回目ですね(笑)。

本谷 残酷だけど、滑稽だということもとらえているところが好きです。

ちょっと本屋に行ってくる。

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以前、続編の方を先に読んでしまったのですが、面白かったので、こちらも読みました。

 

P84

 仕事場に借りている建物の別のフロアを、今、友人の建築家にお願いして、本棚のある読書部屋にリノベしている。

 そしてそれがようやく完成に近づいている。

 嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。

 嬉しさ余ってネットでソファを買った。勢い止まらずオットマンも、さらにはクッションまで買い足した。ふかふかのソファに身を沈め、足を伸ばし、お茶でもずずっと啜りながら、好きな本を好きなときに好きなだけ読める環境をようやく手に入れる(予定だ)。

 ・・・

 現状、すでに部屋の四方の壁のうちの三面には、本棚の側板にあたる長い板が天井から床まで等間隔に固定されている。あとは金物の取り付けと棚板の設置を残すのみだ。

 もう一度書く。嬉しい。

 でもただ本棚が完成しただけではいけない。そこに本がなければ、それは本棚ではなくただの棚だ。

 自宅と実家から本を運びこむために、レンタカー屋でハイエースを予約した。読書部屋は三階なので、とりあえず一階の事務所にすべての本を集め、それから時間をかけて三階に運び込もうという計画だ。・・・

 本棚が完成したらどんなふうに本を並べようか。

 それを考えるのは楽しい。そして悩ましい。それは例えば、野球ファンが自分だけのベストナインを考えるときの悩ましさと同じだ。好きなバンドのライブの理想のセットリストを考える悩ましさと同じだ。

 自分の好きなものなんて、本人以外にとってはどうでもいい。「好き」という感情は、いつだって個人的なものだ。どうでもいいから、自分ひとりでどうにでもできる。勝手に悩み勝手に味わい勝手に感動してよい。だから楽しい。まさにマイワールド。

 で、ずっと考えているのだけれど、その並べ方の方針がまだ決まらない。ちょっと聞いてください。

 

候補① 一般的な書店を真似て並べる。

 

「普通の本屋さんならどう並べるか」と考えて並び方を決める。文芸、雑誌、実用書や専門書などに分類し、さらに細かくジャンル分けして並べる。文庫は文庫。新書は新書。マンガはマンガ。どうせなら、新刊本や新しく買った本は入り口のそばに置きたい。本屋さんだったらきっとここにこう並べるな、と想像するのは容易だ。平台まで買ってしまいそうだ。

 

候補② 好みや愛着によって一軍、二軍、三軍に分類する。

 

「好き」のレベルで本を分ける。例えば、「かなり好きな本」「まあまあ好きな本」「それ以外の本」に分類し、好きの度合いによって、目立つ場所、手を伸ばしやすい場所、湿気がなく風通しがいい場所、そういった条件のいい場所に優先的に並べる。おそらく本棚の真ん中あたりがオールスターチームのようになる。でも、これはたぶん選別にひどく時間がかかる。それに「好き」の比較も意外と難しそうだ。「この本を一軍にするなら、こっちの本も一軍に上げないとちょっと角が立ちませんか?」とか、「この本が一軍に上がれるのにこの本が二軍のままなんて失礼ですよ」といった、ちょっとよくわからない忖度が生じるかもしれない。「まじでごめん!」と三軍の本に頭を下げたり、「お前、もうちょっと頑張れよな」と二軍の本の裏表紙を叩いて𠮟咤激励したりしそうだ。なんて暇人なんだ。

 

候補③ 素直にジャンル別に並べる。

 

 書店の並べ方に近いが、それよりももっと図書館に近い感覚で、ひたすら分類で区別し整理していく。論理的秩序の下、いたって冷静に、大分別→中分別→小分別と、どんどん細かく分けていく。「芸術」→「絵画」→「西洋」→「印象派」→「モネ」みたいに。これは実用書や専門書がいちばん探しやすいやり方だ。たいして何も考えずに機械的に分類できるので作業が早く済みそうだが、愛着や好みの濃淡で差をつけられないので、ちょっとつまらない気もする。

 

候補④ ひたすら著者別に並べる。

 

 本は、「どんな本が好きか」ということよりも「誰の本が好きか」ということのほうが大事だったりする。ジャンルを無視して、徹底的に著者別あいうえお順、というのもありだ。日本人も外国人も関係ない。とにかく本を書いた人の名前で「あ」から「わ」まで並べる。でもこれをやると、たぶん見た目がごちゃごちゃになる。そして共著とか複数の作家のアンソロジーとか、どこに置くか頭を抱えることになるだろう。

 

候補⑤ 色別に並べる。

 

 いっそのこと発想を大きく変えて、本の背の色だけで分別するというのも面白い。白、黒、赤、青、とにかくカバーの色でまとまりを作る。しかし何も考えないでそれをやると、結果、レインボーな棚になって、安直な見た目にがっかりするだろう。デザイン的なセンスが問われる。この作業のためだけに配色の本を買っちゃいそうだ。そして、確実に本を探しづらい。現実的ではない。ただ、カバーを外した文庫本だけを並べる淡褐色の棚はきっと美しいと思う。

 

候補⑥ 背の順。

 

 小学校か。

 

 と、いろいろ考えてはみるものの、答えがなかなか見つからない。やっぱり本棚が完成してから、実際に本を並べてみないと決められない。

 ・・・

 読書部屋が完成した。

 いや、まだすべての棚に本を並べ終えたわけではないから完成とはいえないかもしれない。それでもひとまず本棚の工事は終わった。憧れの書庫ができあがった。

 ソファも届いた。・・・窓には新品のブラインドが下がり、エアコンも設置された。より快適な空間作りのために、音楽を聴くためのスピーカーも買った。時計も観葉植物も、インテリアのアクセントになる抽象画のポスターも、お客さま用スリッパも買った。今はひたすら、来月のクレジットカードの引き落としが怖い。

 浮かれている。これだけ浮かれていれば、本を並べるのが楽しくてしょうがない、となりそうなものだけれど、本棚の完成から二週間以上が経過しようとしているのに、まだ半分も並べ終えていない。

 本は重かった。こんなに重いとは思わなかった。

 読書部屋は三階にある。本を運ぶには、階段を上がらなければいけない。・・・

 ひとつのバッグに約十五冊、それを五袋持てば、一度の階段の上り下りで七十から八十冊くらいは運べる。おお、このやり方はいい、素晴らしい。自分、天才じゃないかと自画自賛して、何度か繰り返してみた。調子に乗っておりゃああと階段を駆け上がったりもしてみた。

 身体が痛くなった。

 千冊を超えたあたりで、腰がふらふら、膝ががくがくして、息も切れ、やる気が失せた。

 それでも、千冊近くは運び込んだ。運び込めば、当然次は「並べる」という作業が待っている。並べ方の結論は、結局こうなった。

 まずは文芸だけ、著者あいうえお順に並べる。

 ・・・

 ・・・ひたすら五十音のグループにまとめて棚に並べていく。

(「あ」―浅田次郎だけでいきなり棚板を二枚も占領してしまった)

(「え」「お」―遠藤周作円地文子に加えて大江健三郎だなんて、ここは本と棚板の隙間を眼鏡置きスペースにしたいくらいだ)

(「く」―倉本聰黒岩重吾の並びなんて渋いね)

(「た」―ん、なんで『人間失格』が四冊もあるんだ?)

(「は」―穂村弘堀江敏幸。ここだけ妙にお洒落っぽく見える)

(「ま」―松本清張の隣に町田康!絶妙に濃厚な組合せだ)

(「み」「む」―宮沢章夫向田邦子のタッグなんて今まで考えもしなかったけれど、すこぶるいいぞこれ!)

(「や」―山田詠美山崎豊子山崎ナオコーラが並ぶこのあたりはまさに山脈、いずれ山田太一山本周五郎山内マリコもここに)

(「ゆ」「よ」―湯本香樹実の『夏の庭』の隣に横溝正史の『獄門島』がくるとか、ギャップが激し過ぎて吐きそうだ)

 隣り合う著者の組み合わせや並びの妙が新鮮で、いちいち楽しい。

 ・・・

 ソファに横になってそれを眺めながら、ああ、整理整頓っていいなあ、とつくづく思った。本が探しやすいし、見つけやすい。まるで自分のための、自分好みの図書館がオープンしたようなものだ。これでもう同じ本を何冊もだぶって買ってしまう愚行は犯さないだろう。

 ・・・

 さて、これからまたゆっくりと本を運びこみ、この書庫を完成させていこうと思う。

 今、ひとつ気になっているのは日当たりだ。

 窓から遠い「あ」は薄暗く陰気で、窓に近い「わ」は日差しを浴びて背表紙が眩しく光り輝いている。なんだか不公平じゃないか。これじゃ「あ」の作家さんたちが可哀想だと不憫に思ったり、いや、でもこれ、このままだと夏の直射日光で大切な綿矢りさが日焼けしちゃうんじゃないかと心配になったり。

 どうでもいいかもしれない。でもどうでもいいものをどうでもいいと言い切れないのが、「好き」の問題なのです。

定年入門 イキイキしなくちゃダメですか

定年入門: イキイキしなくちゃダメですか (ポプラ新書 た 9-1)

 髙橋秀実さんのこちらの本も、ほんとに人生色々・・・興味深かったです。

 

P38

 定年後の再就職先として私が注目しているのはスーパーマーケットである。

 聞くところによると、常に人手不足らしく、レジ近くには「高齢者スタッフ活躍中!」「未経験の方、歓迎!」という求人広告が貼り出されている。・・・

「スーパーはいいですよ」

 そう勧めてくれたのはスーパーに勤務する笹田和義さん(47歳)だ。

―どこがいいんでしょうか?

 ・・・

「誰でもすぐに働けます。高校生からおじいちゃん、おばあちゃんまで。間口が広いというのがスーパーの特長なんです」

 ・・・

―ただ、体力が持つかどうか……。

 私は思わずつぶやいた。

「体力がなければレジ、あるいは軽いもの、生活雑貨などの担当になればいいんです。体力のある若者が飲料など重いものを扱う。適材適所。スーパーには誰でも何かしら適した仕事があるんですよ」

 励ますように解説する笹田さん。・・・聞けば、彼は42歳の時、それまで勤務していた会社を辞めてスーパーに転職したのだという。

―なぜ、転職されたんですか?

「転職というより引退したんです」

―引退?

 スポーツ選手か、と私は思った。

「自分はその仕事に向いていると思っていたんです。でも20年間勤めてみて、やっぱり自分には無理。体力の限界というんでしょうか」

―それで引退……。

「僕だけじゃないですよ。ここにはいろいろな会社を引退している人たちがいます。まだ40代ですけど『もうやり切った』『もうやることがない』とか言って」

 昨今は会社を「辞める」ではなく、「引退する」と言うらしい。・・・

「スーパーの魅力のひとつは規則的な生活です。毎日何時から何時までと決まっているので、リズミカルな毎日を送れます。健康的だし、僕なんか目覚まし時計をかけなくても起きちゃいます。同僚の60代の女性も朝8時からの勤務なのに6時頃には来て、みんなとおしゃべりしています。彼女は『社会とつながりたい』と言って働いているんです。食事もお弁当やお惣菜を割引で買えますし」

 ・・・

「スーパーは寂しくないんです」

―寂しくない?

「こちらから話しかけなくても、お客さんのほうから話しかけてくれますから。通常、自分から話しかけないと、会話にならないじゃないですか。その点、スーパーはいいですよ。毎日、お祭りみたいなものです」

 

P112

「僕が自分で耕作するために借りたのは7反(2100坪)です。借地料は1反当たり年間1万7000円。これが市民農園だと、わずか2坪で月1000円。民間の貸し出し農園だと月6000円にもなる。それらに比べると、農家と直接交渉して借りたほうが安いんですよ」

―それにしても広すぎませんか?

 この広さをひとりで耕作するのは、働き手のいない農家とあまり変わらないのではないだろうか。

「ですからNPO法人を立ち上げたんです。会員を募ってみんなで耕作する。現在会員は31名。農福連携を目指しているんです」

 農福連携とは農業と福祉の連携。定年退職の人々に限らず、引きこもり、心の病などを患う人々にも参加してもらい、社会福祉を兼ねて農業の活性化を図る。彼は有機農業で野菜を栽培している近くの専業農家で半年間(週4日)農作業を手伝い、1年がかりでNPO法人の認可を取得。着々と地歩を固めている様子なのである。

「定年退職した時は、これでもう仕事しなくていい、とよろこんだんですけどね」

 ポツリとつぶやく西田さん。

―そうだったんですか?

「だってもう会社に通わなくてもいいんですから。朝なんか家で新聞を隅から隅まで読んだりしてね。のんびり過ごせて、すごくいいなあと思ったんです、1週間くらいは」

―1週間ですか?

「それは一時のよろこびにすぎない。1週間くらい経つと、なんか悪いことをしているような気がしてくる。罪悪感のようなものに襲われたんですよ。何もしないでいることが恥ずかしいというか……」

 そういえばマンション管理人の佐久間さんも会社を辞めて1週間後には「寂しくなる」と言っていた。私などはのんびりしていると、あっという間に半年くらい経っていたりするが、彼らにとっては1週間が「のんびり」の限界なのだろうか。

 

P120

 千葉ニュータウン・・・

 ・・・で活動している地域のNPO法人「しろい環境塾」に、多くの定年退職者が集まっているらしい。自分たちの住む町をキレイにする。ニュータウンの周囲には里山が広がっており、それを保全して次世代に継承したい、というのがその趣旨だ。

 ・・・

 活動を始めたのは「白井市民大学校」の卒業生を中心とした有志たち。「クラスメート」の中から広がっていったそうなのである。

 白井市民大学校とは地元、白井市が主催する生涯学習のコース。3つの学部があり、それぞれ月2回の講義を1~2年間受けて卒業する。ちなみに3つの学部とは、

 

・健康生活学部(40歳以上)

・シニア学部(60歳以上)

・しろい発見学部(40歳以上)

 

 ・・・健康生活学部では様々な体操やパークゴルフなどを学んだり、健康のための料理教室が開かれる。シニア学部は友人や生きがいをつくるための学部で、認知症予防の講習や絵手紙の講座、JRA競馬学校の見学、裁判員裁判の体験などが実施されている。しろい発見学部は地元の歴史を学び、「魅力スポット」を歩いたり、農家を訪ねて農作業を手伝ったりする。年間の学費は3000円。いずれも充実した内容で最後には卒業式も行われて卒業証書を授与される。・・・

 ・・・

―農業以外にはどんな活動をされているんですか?

「実は今、事業部体制をとっていまして……」

―事業部体制?

 その組織図を見て私は驚いた。・・・

 ・・・

―まるで会社みたいですね。

 思わず私は指摘した。会社を定年退職した人々が、また新たな会社をつくっているように見えたのである。

「でも、ここでは利益をあげなくてもいい。それに上下関係や命令したりすることもありません」

 ・・・

「この活動をすることで一番よろこんでいるのは奥さんですよ」

 高らかにそう語ったのは、炭焼チーム担当部長の柳田さんだ。彼は周辺で伐採した竹を、ベースキャンプに設営された窯で72~90時間焼いて炭にする。それを商品として販売しているのである。

―奥様がよろこぶんですか?

「そりゃそうですよ。だって俺が家にいないんだから」

 まわりの会員たちもうなずく。

「女性たちはいくらでも行くところがあるでしょ。ジムやらカラオケやら、これをやったりあれをやったり。でも俺たちは行くとこないから」

―だからここに?

「そう」

―炭焼きは面白いんですか?

 私がたずねると彼は首を傾げ、こう続けた。

「いやこれはね、ずーっと見ていなきゃいけないんで、本当に時間がつぶせるんです。はっきり言ってここでも暮らせます」

 ベースキャンプには自分たちでつくったテーブルとイスが整然と並んでおり、食料も自給自足できるそうで、本当に暮らせそうな雰囲気。活動日は週3日とされるが、中には毎日出勤する人もいるそうだ。

 ・・・

「要するに、ここはデイサービスなんです」

―デイサービス?

「健常な男たちが通うデイサービス。ここで遊んで帰るんです」

 

P137

「いや、本当に何も変わらないんですよ」

 新田憲治さん(67歳)は爽やかに念を押した。会社を定年退職しても何も変わらないとのこと。・・・

 ・・・

「変わったといえば、朝、会社に行かない、ということくらいですね。あと、時々、曜日がわからなくなることかな」

 ・・・

「僕自身は決して『できる』人間じゃありません。ただ、『できる』人を知っているというだけでして」

―人脈ということでしょうか?

「そんな感じですかね。僕はずっとコネですから」

―コネ?

「学校もコネだし会社もコネ。全部コネなんですよ」

 ・・・聞けば、彼の父親は商社マンで、彼は小学校時代をサンフランシスコで過ごしたという。ケネディが大統領だった頃の輝かしい時代。豪邸に住み、お手伝いさんや家庭教師もついた生活で、すっかり「甘やかされた」とのこと。・・・帰国し、日本の公立中学に進学したところ「生意気だ」といじめられたため、父親のコネがある私立の中学校に転校。中高一貫校で大学も併設されていたので、そのまま大学まで進学し、卒業後も父親のコネで百貨店に入社したそうなのである。

 ・・・

 どうやら「自分からは何もしない」というスタンスのようなのである。

「もちろん左遷されたことはありますよ。やることがないような部署に飛ばされて。でもサラリーマンですから左遷ってラッキーなんです」

―ラッキーなんですか?

「そうですよ。だって働かなくていいんですから」

 さらりと答える新田さん。

―そうかもしれませんが……。

 ・・・

「僕の人生は、すべて親のおかげなんです」

 新田さんがしみじみと語った。

 ・・・

 ・・・現在、88歳になる母とふたり暮らしだという。

「年齢的には老老介護なんですが、母は僕より元気なんです。シャンソンを歌いに出かけて夜中に帰ってきたりする。だから親子ともども遊んでいます。そういう意味でも僕は本当にラッキーなんです」

 ラッキーな人生。・・・偶然に感謝できるということが、ラッキーな人のラッキーたるゆえんである。

 

P174

「我々の免許は半年に1回、試験があります。キャリアがあってもそれに合格しなければ失効してしまうので、結構な負担なんです」

 苦笑いしたのは元パイロットの柳沢新平さん(66歳)だ。・・・奥様に「もう辞めたいけどいいかな」とたずねたところ許可が出たので、63歳で航空会社を退職した。・・・

 ・・・

 ・・・彼のような旅客定期便のパイロットは定年後、貨物航空のパイロットになる、LCC(格安航空会社)の教官になる、海外の航空会社の指導官になる、あるいはテレビ等の「航空評論家」になるというのが一般的らしいのだが、彼は航空関係の仕事は「一切しない」と決めたのだという。

―それで、何をされているんですか?

「バイトです」

 高らかに答える柳沢さん。

―どちらで?

「沖縄、渡嘉敷島のレストランバーで。夜7時から午前0時まで。ウエイターをやっているんです」

 自給は400円とのこと。一軒家を借り、月に3週間島に滞在してバイトに励み、東京にある自宅で1週間過ごすというローテーション。パイロットOBは年間7往復分はタダで搭乗できるので、それをフルに利用しているのだそうだ。

「島では午前10時頃から庭で缶ビールを飲みます。それからおもむろに居酒屋を2軒ほど飲み歩いて昼寝。それで7時にレストランバーに出勤という生活です。いつも赤い顔をしているので、僕は島でも有名なんです」

 ・・・

「実は40歳の時、初めてこの島に来たんです。ちょうど機長に昇格した頃で、ウチの子供もぐれたりしていましてね。仕事も家庭も大変でかなり思い詰めていたんです。ところがこの島の人たちは、仕事もせずに昼間から飲んでいる。『なんなんだろうか』と思いましたけど、彼らを見ているうちに『もうちょっと頑張ってみるか』という気持ちになったんです。いってみれば彼らに救われたんですね。以来、20年間通い続けていまして。9年前から一軒家を借りているので、今ではここも島民と同じようになってます」

 彼はそう言って自分の頭を指差した。・・・