人気のYouTubeの書籍化、面白くて、YouTubeも観てみようと思いました。
P9
突然だが、インドはヤバイ。
いきなりどうした?と思われただろうか。けれど、一度でも訪れたことがある人はたぶん、笑ってうなずくはずだ。
僕はインドに生活の拠点を移して7年になる。いまでも自宅から一歩踏み出せば、想像もつかない「事件」ばかり目にしている。
道端で、靴の片方だけ売っているおじさん
路側帯で、うつ伏せになって昼寝をする人
軽自動車に15人くらい乗って移動する大人たち
中央分離帯で(川の字ではなく)一の字で寝ている家族
買い物をすると、お釣りがきゅうりで返ってくる店
海岸の波打ち際(満潮前)で熟睡する老人
道路の水道管が破裂して、2、3メートル噴き上がる水
その水で食器を洗うおじさん
「そんなばかな!」と思うかもしれないが、これすべて、嘘のような本当の話。日本で同じことが起これば、たぶんTwitterとかニュースで大騒ぎだろう。
・・・
・・・僕も気づけば7年も暮らしている。そう、いまや僕はインド大好き、いや、インドでなくては生きていけないほど愛してしまっているのだ。
きっかけとなったのは「屋台」。
インドへ移住し、働き始めてから1か月くらい過ぎたころ、同僚が屋台メシをごちそうしてくれた。チーズとバターがたっぷりのサンドイッチ。一口ほお張り、そのおいしさに感動してしまった。
インドの屋台メシをもっと知りたい―。そうして僕は屋台街に入り浸るようになったのだ。
思った通り、インドの屋台は面白い。まず、どの店舗も開放的で、調理の一部始終を観察できる。皆小気味よく動くが、だいたい大雑把。独創的な調理法だが、絶望的に不衛生。
日本人が初めて目にすれば、ドン引きという意味で「ヤバイ」だろう。だが僕にとっては、ツッコミどころ満載という意味で「ヤバイ」のだ。
そして、この屋台の面白さをYouTubeで発信することを思いついた。はじめての作品は、「インドのサンドイッチの作り方」というタイトル。
・・・
・・・動画の主役は、屋台メシとそこで働く店員たち。彼らの情熱的で、ときにヘンテコな姿をありのままお届けしている。
一方で、この本は僕自身のエピソードにもスポットを当てている。
動画の臨場感はそのままに、インドの人々との触れ合いによって得た、学びや成長もお届けしたかったからだ。
先にも述べたが、僕は他人より劣ると感じながら生きてきた。けれども、インドにやってきてその悩みはすっかりなくなった。彼らと僕は、よく似ているのだ。つまり、お互い程よく力が抜けている。インドという国は、僕のことを「そのままでいいよ」という大きな懐で受け止めてくれたのだ。
この気づきがあったからこそ、僕の人生は大きく好転したと確信している。
P77
余談だが、別の屋台での衝撃的な出来事がある。料理を注文して、お金を渡したのだが、おつりの準備がなく、「さてどうしようか?」と言うことになった。
店主はしばらく考えた後、「お釣りの代わりだ」と言って、キュウリを差し出してきたのだ。
呆気にとられるものの、このときは「インドだから許されること」くらいのつもりで、まあいいか、と素直に受け取った。後日知ったのだが、こういった精神性をヒンディー語で「ジュガード(ジュガール)」というそうだ。簡単にいうと、問題を創意工夫で乗り越える考え方だ。
日本の場合は、人やお金などの資源がないと「物事は進められない」という場面が多々ある。一方、インド人は違う。「困ったらジュガードを使おう」となり、いま手元にある資源が少なくても、創意工夫によってその場を解決に導く。まさにイノベーションである。・・・
P127
そういえば、この日調理してくれた店員さんを、あれから見ない。どこの店もそうなのだが、屋台の従業員はとても軽やかに転職していく。別の店のなじみの店員さんも、「何かいい仕事ない?」なんてチャットで聞いてきたりする。別に不満があるわけでもなく、単に飽きた、という感じ。店側も「そういうもん」と思っていて、とくに止めないらしい。
日本では「板につく」という言葉があるように、ひとつの役割を長く続けることでたどり着く境地もある。その一方で、彼らのように互いがストレスを抱えすぎない軽やかな考え方も一理あるように思う。
P183
こうして日々、お姉さんと交流を深めてきたが、交わすやりとりは相変わらず、のんびりとしている。
「やあ、今日のおすすめは何?」「これがいいよ」「じゃ、お願い」「あ、今日は無理」「無理なんかい」……みたいなことを、いつもジェスチャーでやりとり。
彼女はそんな風に、何かとたどたどしい。でも誇りを持って仕事をしている。堂々と助けを求め、助けられても礼も言わない。
これは日本人から見ると、少々違和感があるだろう。だがインドでは、お礼を言わないことにも意味がある。親しい関係なら「ありがとう」は不要、という考え方があるのだ。僕もよく、親しい人に礼を言うと「ありがとうなんて言うなよ!」と諭される。なんて他人行儀な、というわけだ。
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周りに助けられながら、同時に「周りを幸せにする」と言う重要な役割を果たしているお姉さん。
彼女のような人は、ほかの国によってはたいへんな生きづらさを感じるかもしれない。だけどインドには、危なっかしい人であろうと、「ほんとうに必要な人」として社会に参加できるだけの、大きくて深い懐がある。
そう考えていたとき、知らず知らずに僕自身が救われていることに気づいた。
じつは、僕は日本にいたころADHDの診断を受けている。集中力が続かず、計画を立てたり時間を守ったりするのが下手で、ずっとコンプレックスを持っていた。
でも、インドにくれば全員僕みたい……いや、僕以上だ。底なしのアバウトで、しかもそれを自分や周りもまったく気にしない。
つまり、そういう人たちが互いに助け合ったり、迷惑をかけ合ったりすることを前提にして社会を回している。それぞれが「自分にできること」を提供し、役割を果たしているのだ。
お姉さんの姿を見て、僕は学ばせてもらった。そして「このままでもいいのだ」と、勇気にもなった。だから僕も、それを皆に伝えていきたい。
彼女の屋台は、いまも日々、僕を元気にしてくれている。
