この本を読んで、一人でもラジオを聴く人が増えてくれれば・・・という思いから書かれたそうです。
10年ちょっと前のものですが、ラジオ愛が溢れてました。
P64
・・・すべてに共通している特徴は「笑いに昇華していること」だ。そして、どんなことでも笑いに変える伊集院の生き方と、それを実現させられるだけの話術が、伊集院光をラジオスターたらしめているのではないだろうか。
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・・・私は常々、抱えきれない悩みを持った人は『深夜の馬鹿力』を聴くべきだと思っている。誰もが同じように悩み、苦しみ、それでも生きていることが分かるからだ。悩み相談のようなコーナーはないので、具体的な解決法を書いてくれることはない。だが、「ままならない人生だけど、笑いにできたから差し引きゼロ」と(空元気でも)明るく語る伊集院やリスナーの声を聴けば、励まされ、明日も生きていこうと思えるのだ。
伊集院光のスタンスを端的に表現している(と思う)投稿がある。
「土下座はしているが、顔は猪木の物真似。そんな反抗」(二〇〇一年四月三〇日「だめにんげんだもの」コーナーより。ラジオネーム仙台駅西口集合からの投稿)
いくら負けようが、辛い思いをしようが心が折れなければいい。いや、例え心が折れたとしても、時間をかけて立ち直ればいいのだ。とかく、今は理不尽なことでも大声を出せば通る世の中になってしまった。そういう手合いは正面から意見しても聞く耳を持たないので、正論を語っているはずの自分が疲弊するだけの結果に終わることが多い。だったら、その場は引き下がったように見せ、『深夜の馬鹿力』に投稿したり、違うところで笑い話にした方が処世術としては賢いと、私は心から思う。
いつからか、「変わること」「自分の力以上の結果を出すこと」が強く求められ、それに成功した者が評価されるようになった。しかし、本来は「自分の力を冷静に見つめ、できることを着実に積み上げていく」ことこそが大事なのではないだろうか。もう丸二〇年、人生の半分以上を伊集院光のしゃべりを聴くことに捧げてきた私が、最終的に至った考え方である。翻るに、伊集院光がラジオでしゃべっていてくれたから、私は今日まで生きて来られたのかもしれない。だとすると、いくら感謝をしてもし足りない。私のような人間の救いとして、いつまでもラジオで、夜を主戦場にしゃべり続けてくれることを、切に切に願う。
