なんか魅力的な世界に見える・・・と思ったり、とはいえやっぱり大変そうだ・・・と思ったり、興味深く読みました。
P12
2003年5月22日、ぼくは都内の公園に小さなテントを建てた。
そこはホームレスが集まって暮らすテント村で、この公園には当時、350軒以上のテントや小屋があった。その中でもぼくのテントは南米村と呼ばれる、外国の人がたくさん住んでいるところにあった。テント村には中高年の日本人男性だけではなく、さまざまなジェンダー・ルーツ・年齢の人たちが住んでいた。それらの人たちと織りなす毎日は、ぼくにとって世界の中心にいると感じさせるものだった。
しかし、そのような「黄金時代」は長くは続かない。2004年、都内公園のホームレスのテント・小屋を「目に見える形で減らす」ために、行政が新たな施策を始めたのだ。公園の整備工事で追い出されるという噂も、まことしやかに流されていた。
2005年3月、「ホームレス文化」というブログを立ち上げる。やがてくる排除に抗するツールとして、そして、なかったことにされてしまう前に生活の痕跡を残すために―
P19
夏の数ヶ月、彼の姿がテント村から消えたことがあった。帰ってきた平本さんに聞いてみると、千葉の海に行っていたという話。しかも勝浦で朝市を手伝っていたという。ある女の人に家の修繕を頼まれて、そのまま居つくことになったそうだ。風来坊の面目躍如である。
「あんたみたいな東京のいい男がいるとこじゃないよ、なんてよ、朝市のおばちゃんから言われたよ。でも、こっちもよ、やることないし、店番とかしてな。そのうちそこを自転車で出て、ついでだから、あっちこっち行ったんだよ。ギター弾きながら、拾った服を袋にいれて適当に脇へ置いておくと、けっこう買うんだよ。おじさん、この短パンいくら、なんてな。値段はそっちでつけろ、なんて。300円とかな。一週間くらいしたら、ここで何やってんですかとか漁師が言ってきたから、移動したけどな。田舎はうるさいんだ、あれじゃ若い奴はまいっちゃうよ。で、バーベキューやっているとこ行って歌ったり、おじさんカンパなんて貰ったり。2日で3万くらいになったよ。おじさんみたいにギターを弾きたいなんていう奴がいたりな。まぁ、こっちは年季は入っているから。年金は入らないけど。まだ度数が何千円もあるSuicaくれた若い奴がいて、それで帰ってきたけど。まぁ、夏だし、いい経験だったよ」という具合。
平本さんはリヤカーに住んでいたこともあるそうだ。
「移動できるからよ、事務所が何か言ってきても大丈夫なんだよ。犬を飼っていてな、けっこう人気だったよ。店から出前とったりな。驚いていたよ。ここに住んでいるんですか、なんてな」
平本さんは近ごろ還暦を迎え、これから歳を忘れるよ、とますます元気である。
P23
ぼくのまわりには70歳を超える人が4、5人いた。みんなびっくりするくらい元気だった。ぼくがテントを建て直していた時に、杖を振り上げて「それじゃダメだ」と威厳ある声をかけてきたのがサマじぃだった。
サンタのような白髪。杖をついてどんどん歩く。もちろん、歩くには訳がある。昼はシケモクを拾う。夜2時過ぎには繁華街までマックのハンバーガーを取りに行く。時には、札を見つけることもある。それを語るサマじぃはうれしげだ。
「風でクルクルと動いていたからなんだと思ったら、4、5枚あったよ」「でも最近じゃ、ないねぇ。一円だって落ちていねぇ」
サマじぃは何ヶ月も一円もなくても堂々と生きている。
「金なんてあったって同じだよ。すぐ使っちゃうんだから」「なんでも煮ちゃうんだ。マックなんてうまくもねぇけど、生きてるんだから(栄養)足りているんだろ」
サマじぃは詩を書いていたそうだ。
「原稿で山が出来たよ。今はもう、やる気なくなったけど」
最後の最後までアパートに移らなかったが、最近、引っ越した。荷物はキャリー一つにかばん一つ。「ぼけるかもな」と言い残した。
P41
テント村の住人がなぜ強烈な個性のままでいられたのかと言えば、一般社会とちがって、ここでは自分の生活を自分でつくり、他人から管理されることが少なかったからではないだろうか。ここでは人が不完全なままでいられた。テント村ではダラけた下着に長靴を履いた隣人(それはそれで似合っていた)も、出かけるときは「こんな格好じゃ外へは行けないよ」と着替えていた。
「住むのは良くないってのは分かってるんだけどさぁ」とはよく聞いたセリフだ。でも、住んじゃってる。そこらへんの感じがぼくは割に好きだ。自分は別に正しくないよ、というのは風通しがいい。・・・
P191
どうってことない話だ。
ドカコさんが今朝あった不思議な出来事をエノアールで話しだした。ちなみにドカコさん自体、ネッカチーフを被り、手づくり人形を腰に下げた不思議な印象の人だ。
「朝の公園のおにぎり、あるでしょ」
宮下公園の脇で毎朝5時に教会の人がおにぎりを配布する。あるねぇ、と適当に相づちを打つ。
「わたし、一番最後のほうだったのよ。そしたら一人おじさんが戻ってきて、これ食べられませんって言うの」
おにぎりはパックに2個入っている。その1個をパックに入れたまま持ってきたのだという。
「神父さんが、みんな同じおにぎりですよって言ったのよ。それでも、そのおじさんは食べられないんですって言うの。で、神父さんがパックからおにぎりを取ろうとして、あっ何だ、これ!って」
ぼくは、カビが生えていたか、虫でも入っていたのだろうと思った。
「それが、おにぎりの形をした瀬戸物だったのよ。でも、どこから見てもおにぎりそのものなの。その場にいた人、全員で大笑いよ」
これには驚いた。
「一体、その瀬戸物どこから紛れ込んだの?」
「それが分からないのよ」
ドカコさんはいたずらっぽい目をして答えた。横に座って話を聞いていた宇井さんが身を乗り出した。
「私、この生活になる前に、住み込みのパチンコ屋で働いていたでしょ。で、ちょっとしたことで店から出ていくことになった人がいたのよ。朝、空になったはずのその人の部屋に行ったの。そしたら、ガランとした部屋の真ん中にあったのよ。あれがあったのよ」
「何?」とドカコさん。
「うんち」
これには笑った。宇井さんも笑いながら話す。
「あー‼と思って。どうしようって。慌てちゃって。とりあえず新聞紙をかぶせたのよ、片づけようと思って。そしたら、畳の上をツーと動いたのよ。あれー?って。よく見たら、つくりものなの」
ドカコさんはまだ笑っている。
「すごくよく出来ているのよ。でも、クルって巻いていて、あんな形はないわよね。それから、ずごく腹がたって腹がたって。あんなに慌てた自分にも腹がたって」
「でも、よく片づけようと思いましたね。ぼくだったら知らんふりする」と言うと、
「どうせ私に片づけろっていうことになるのよ。戻ってきたら怒鳴りつけてやろうって思ったわよ」
「で、その人、戻ってきたの?」
「くるわけないじゃない」
P375
ぼくがテント村に魅了されたのは、黄金時代のコミュニティが、一般社会の軛から離れ、その中で生きていける場所だったためである。貧しさゆえに身を寄せ合い、所有権秩序を侵犯することで成立したコミュニティは強力な磁場を持っていた。その磁場によって、お金のために競争させられる社会に回収されることなく、多様な個人がありのままに生きていた。人が場をつくり、場が人をつくるのだ。とはいえ、そこにも暴力や差別はあり、一般社会とはちがった形の安全の感覚が必要とされた。それでもコミュニティの中の一人として、一人が全体に影響を与えることができるのが民主主義なら、テント村には民主主義、少なくともその萌芽があった。
この本は、そのようなホームレスのコミュニティが壊されながらも、しぶとく持ちこたえ、堂々と維持されてきたことについて、ぼくから見た記録である。
