どこへ行こうか、心理療法

どこへ行こうか、心理療法: 神田橋條治対談集

 とても興味深い内容でした。

 

P20

神田橋 ・・・「レジュメでやっていくと、学会の覇者になるよ」とか言うの。「学会の覇者」というのは、まあ「机上の空論」と言っちゃあ悪いけど、似たようなもので、現場では通用しなくて理路整然としたことしか言えないようになるよ、と。

 ボクのちょっと後輩で、もう今は長老になっておられる先生が、治療がとてもうまかったんです。治療はうまいけれども、議論が全然できなくてね。「だって、そうじゃん」とか、「何となくそうなるよ」とか言って。でも、それで患者が治る。治ると、その先生は、「いや、良うなったわ、あの人」とか言っている。どう良うなったのかわからんけれども、確かに、患者は顔つきが良くなるし、生活が整ってくる。あれが、やはり根本なんだよね。

増井 いやぁ、よくわかります。

神田橋 ね。

増井 はい。基本的にそのような良くなり方が、私の場合はとても多いです。「なんとなく」とか、「おぼろげに気分が落ちついた」とか。

神田橋 そういうことなんだ。だんだんね。

 

P44

神田橋 じゃあ、少し昔話をすると、パデル先生のところに週一回通って、それで、ボクが日本に帰ってきてから師匠である西園(昌久)先生にお会いしたときに、一番最初に「自分が教育分析を受けて帰ってきたときのことを思い出した」とか言われたんですね。何かそういう雰囲気があったんでしょうね。

 パデル先生のところに行って、ちょっと先生が何か話をされると、ボクの中で何かが、ガラガラと崩れるんだな。

 ・・・

 ・・・あの頃のボクは、もう精神分析学会では大した論客だったから。

 ・・・

 自分の中で一つの精神分析の理論体系というものが完成して、そして、「完成した」ということの窮屈感があってね。・・・一種の限界状況にあった。それが、本当にわずかなことで崩れるのよね。だから、ボクの内側に、崩れることを求めている何かがあったからでしょうね。

 ・・・

 あの頃は、先生のところからの帰り道に、自分は精神分析なんかを志したのがそもそもの間違いで、全然才能もないのに、もうこれはどうしようもないんだと思ってね。はるばるロンドンまで来たのに、今まで自分の中でつくり上げてきたものが、全部ガラクタだった。四〇歳前だから今さらやり直しもきかないしねぇ、どうしようかと思った。

 ・・・

 しかし、そうやっているうちに、何か前から思っていた窮屈感とか、これ以上発展しないというような思いは全部なくなっちゃって、何か明るくなってね。

 ・・・

増井 ・・・僕はときどき自分に絶望したり、自分はいったい何をしてきたのかということを面接のときにはご破算にする。これはとっても大事なことではないかなと思っています。前田先生からは、「ご破算にする能力がある」と言われます。ご破算にすれば何も残らないのでご破算にできない人がいっぱいいるけれど、ご破算にするのはその人が成長する大切な作業であるのは間違いない、ということを言われていました。

神田橋 ご破算ができる恵みみたいなものかな。

 

P55

神田橋 ・・・中途半端によく勉強している人は、「逆転移による認識」という言葉が精神分析にあるものだから、たいてい「ああ、この自分に起こっている逆転移は、クライエントが自分の葛藤をこちらに投げ込んだのだ」と理解してみようとする。それで、それを、「あなたは、したいこととすべきことの葛藤があるということを今語っておられるような気がする」とかいうように、何かを取り上げて言う。

 これは、さっきの人の質問と繋がるけれども、西園先生が「ああ、君は僕が精神分析を受けて帰ってきたときに似ているよ」と言われたら、そのやり方です。そうではなくて、「自分の中に精神分析を受けてきた頃の体験がふっとこう思い出されたよ」と言うと、これは相手に突っ込んでいないでしょう、ね。

 ところが、「精神分析の逆転移による認識」という考えに魅了された人は、それを突っ込みに使うわけだ。そうすると、あまりに正し過ぎる乱暴な解釈になるわけです。そうではなくて、今、自分が迷っている感じをクライエントが理解しやすいような形で話すと、それを観察することによってクライエントの中に何らかのエンカウンターが起こってくる可能性があるわけです。それが、「関係を生きる」ということです。まだまだ多くのカウンセラーたちは、自分は迷える羊を「導く人」のような奇妙な心境になっていますよね。

 

P91

村山 ・・・これは大事なことですが、ロジャースから学んだということよりも、その研究所に行ってびっくりしたことです。自分はロジャリアンだと本当に考えている人がわずかしかいなかった。

神田橋 ああ、やっぱり。

村山 あとは全部、いろんなわけのわからない人。そういう人がいっぱいいました。世界中から来ていましたけれども、ロジャースはそのときすでに、自分の、ロジャリアンの研究所を作るという発想は持っていなかったんですよね。

 ジェンドリンという人がロジャースが死んだときに、アメリカ心理学会の偲ぶ会みたいな場で、最後にロジャースの語りを紹介しました。ちょっと格好良過ぎますけど、「自分は、CCTつまりクライエント・センタード・セラピー・・・とか、そういうものを作ろうと思ってやってきたのではないんだ」と。「自分がいちばん大事にしたのは、クライエントの役に立つ援助をすることだ」と。それは、「CCTとか、そんなのに付いてくるな。お前たち一人ひとりで考えろ」というロジャースのメッセージだったと思うんですよね。

 つまり、ロジャースの体系をずっと受け継いでいくという発想には、非常に否定的でした。

神田橋 ロジャース本人が?

村山 本人が。役に立つことが大事。それは、先生だってそうでしょう?つまり、臨床家のいちばん大事な点は、セオリーを守ることではない、と。つまり、実際にやってみて、それが役に立たなければ変えればいいわけですよね。

 ・・・

神田橋 ロジャースという人を実際には知らないけれども、一つだけボクが感激したのは、けっこう晩年に近くなって、娘さんに指摘されて反省するところがあるじゃない?

村山 そうそう、そうそう。

神田橋 ボクの記憶が間違っていなければね、「パパは、人々を絶対受容すると言っているのに、自分自身を受容していないじゃないか」とか、娘さんが言うんだよな。

村山 ああ、なるほどね。

神田橋 その、自分自身は受容しなくて、人を全部受容しようというのは、やはり、多少自分が上にある人間だと、だから、神から使命を与えられた人間だという潜在的な気持ちがあるからではないか、というようなことを娘に言われて、反省して、それからずいぶん楽になったというようなことを、八〇歳ぐらいかに言ってるね。・・・

 

P133

成瀬 適応上の問題があれば、ほとんど必ずと言っていいぐらい、体に不調が起こる。それで、私どもが今「動作法」でやっているのは、この不調を自分で調整できるようにすることです。不調というのは、今の緊張の程度とか動きの問題ですね。それから、体の軸についてこの頃考えているのですが、おそらくそういうものが、その不調を調整できるようになると、それにつれて「心」も変わってくる。

神田橋 そうですね。

成瀬 ということなので、その不調を調整するときに、いつも「心」と「体」との、何かいい塩梅の調整が……どう言いましょうかね、まあ、調和的に一体的活動ができるようになってくるにつれて「心」は変わってくる、と。だから、「体」が変わるというときは―もっとはっきり言えば、「体」だけで動くわけではなくて「心」が動かしているのですから―それは「動作」の変化なのですね。「動作」の仕方が変わってくるというのは、「体」も変わるけれども「心」も変わってくるのだということです。だから、治療効果があったり、援助効果が有効になったりするのだというふうに考えているんですけれども、おかしいですか?

神田橋 いえ、本当にそう思います。さっきから先生が表現するのに困っているのは、「動作」というのは、「体」でもないし「心」でもないからですよね。

成瀬 「心」でもない、そうなんですよ。

神田橋 その不可分の……。

成瀬 そうそう。

 

P157

神田橋 こんなところで言ってはいかんようなことですけれども、心理学の理論構成が

ばっちりできている先生は、体調があまり良くないね。

会場 (笑)。

成瀬 (笑)。

神田橋 体調が良くない。というのは、そんなにばっちり構築されたようなものは、論じている本人の生理との繋がりが切れて出来ているので、不健康だよなあ。

成瀬 だけど、あなたが言うような、心理学でばっちり出来上がっているような人は、見たことがないよ。ただ、信じ込んでいる人はいますよね。

神田橋 ああ、そうか。その言い方のほうが正しいな。ボクはそれほど毒舌家ではないものだから(笑)。

成瀬 うん。

神田橋 「信じ込んでいる」というのは、ほとんど自己催眠ではありませんか?

成瀬 そうですよ。