ぼくが見つめた、ふたつの指先

ぼくが見つめた、ふたつの指先 (角川文庫)

 生涯許さないという思いを持ちつつ、ここまで俯瞰することができたのは、かなりすごいことなのでは・・・と思いました。

 

P13

 ぼくの家族は、少しばかり〝ややこしい〟人たちだった。

 両親はふたりとも耳が聴こえないろう者、祖母はある宗教の熱心な信者、祖父は元ヤクザの暴れん坊、加えて、母のふたりの姉である伯母たちもそれぞれに癖が強かった。

 ・・・

 敢えてこういう言い方をするけれど、どれひとつとってもセンセーショナルなドラマや映画の設定に使えそうだ。いつだったか、ぼくの家庭の事情を知った人からは「フルコンボだね」と言われた。フルコンボって!でも、それを聞いたとき、思わず笑ってしまった。当事者のぼくでさえ笑ってしまうのだから、他者からすればさぞかし面白いものだっただろう。

 そんな家庭で育ったぼくに向けられるのは、いつだって「可哀想な子ども」というまなざしだった。

 ・・・

 そして、いつしかぼくは〝ふつう〟を擬態するようになっていた。

 家族のことを話さない、家族のことを知られないように努める。それさえ徹底すれば、ぼくもみんなと同じでいられるから。

 

P126

「ほら、お葬式がはじまるから、行こ」

 佐知子に促され、ぼくは立ち上がった。

 いよいよ、祖父の葬儀がはじまる。

 ・・・

 祖母の友人の多くは、みな、熱心な宗教信者だった。

 葬儀会場には、そんな信者たちの祈りの言葉が響く。集まってくれたのは高齢者ばかりだ。それなのに、一体どこからそんな声が出るのだろうと思うくらい、一人ひとりが大きく明瞭な声で祈りを捧げている。それらがひとつになると、まるで部屋全体が揺れるくらいの迫力だった。

 手を合わせ、祈りを捧げているふりをしながら周囲を窺ったぼくは、正直、あまりの迫力にたじろいでしまった。

 祖父を見送るために、みんなが心を込めて祈りを捧げている。

 でも、問題がひとつだけある。それは、この祈りの言葉を祖父が嫌っていたということだ。朝晩欠かさず祈りを捧げる祖母を見ては、「なにやってんだ、くだらねぇ」と吐き捨てるように言っていた姿を思い出す。

 いま、祖父がこの光景を目にしたら、なんと言うだろうか。やめろやめろ、そんなおかしな祈りを捧げられたって成仏できねぇよ!なんて騒ぎ立てていたかもしれない。

 しかし、死人に口なし。もう文句を言うことも拒否することもできないのだ。

 ・・・

 祈りを終えると、康文が立ち上がった。

「家族を代表して、孫の大が弔辞を読ませていただきます」

 弔問客たちの視線が、一斉にぼくに注がれる。その視線には「大ちゃんならさぞかし立派なことを言ってくれるんだろう」という期待が滲んでいるような気がしてならない。

 ごめんなさい。なにも考えてないんです……。

 なんて言えるわけもなく、「ちょっとだけ時間をください」と悪あがきする隙すらない。もう腹をくくるしかないのだ。

 ぼくは観念するように祖父の前に座った。

「ええと……、おじいちゃん」

 ・・・その後の言葉が続かない。

 やはり、なんて言えばいいのかわからなかった。土壇場になってもなお、祖父に向けて言いたいことなんて思い浮かばないのだ。

 別れの言葉というものは、それまでに培ってきた思い出によって紡がれるものなのだろう。だとするならば、ぼくには無理だ。祖父との良い思い出なんてさっぱり浮かんでこなかったから。

 ・・・

 そのとき、佐知子の言葉がよみがった。

―ごめんなさいって、とうとう言えなかったわ。

 本当は、この場に座るべきは佐知子だった。でも、姉妹間の複雑な関係から、それは叶わなかった。

 だったら、佐知子が言いたかったことを、ぼくが代わって言ってあげればいいじゃないか。

 ・・・

「おじいちゃん……、ごめんなさい」

 言いながら、深く頭を下げた。

 そこから先はなにも考えずとも、言葉がするすると口を衝いて出てきた。

 佐知子の思いを想像し、重ねる。

 これまで散々迷惑をかけてきたこと、孝行できなかったこと、最後まで謝れなかったこと―。

 ぼくは佐知子が言いたかったであろうことを、述べた。

 そして、それらはぼく自身が言うべきことでもあったのだ、と思い至る。

 家族なのに、最後までわかり合えなかった。わかり合おうともしなかった。

 祖父のことを嫌厭し、寄り添わなかった。いつからか目を合わせることも避け、同じ空間にいても空気のように扱った。

 恐れずに近づいていけば、もっと理解できたかもしれないのに。ぼくはそれをずっと放棄し、諦めていた。そうして、やがて、取り返しのつかないところまで来てしまったのだ。

 言葉にすることで、ぼく自身がこれまで見て見ぬふりをしてきたことに気づかされていく。

 もちろん、祖父のすべてを許せるわけではない。やっぱりわだかまりは残っているし、傷つけられた過去を帳消しになんてできない。

 それでも、ぼくと祖父との関係は、修復不可能な地点まで辿り着いていたわけではなかったんじゃないか。なにかできることはまだ残されていたんじゃないか。

 ・・・

「おじいちゃん、本当にごめんなさい。もしも生まれ変わって、また家族になることがあったら……、今度は、今度はちゃんと話したいです」

 最後の言葉を言い終え、再び頭を下げる。

 と、そこら中からすすり泣く声が聞こえた。振り返ると、みんな泣いていた。

 でも、佐知子は泣いていなかった。きっと涙では洗い流せないようなややこしい思いが絡み合っているのだろう。ぼくみたいに。

 それでも、佐知子はどこかスッキリした表情を浮かべていた。

 

P210

 家族について綴っていくなかで、・・・思い出がいくつもよみがえってきた。特に祖父との間には良い思い出なんて存在しないと思っていたので、記憶のなかに祖父の穏やかな顔が浮かび上がるたび、正直、非常に驚いた。同時に、それを忘れていた、あるいは封印していた自分に憤りも覚えた。

 どれもこれも実に些末なものかもしれない。たとえば、人によっては「そんな思い出ひとつで祖父がやってきたことを許せるわけがないだろう」なんて感じるだろう。

 繰り返すが、もちろん、許したわけじゃない。

 祖父が暴力を振るっていたことも、あるいは祖母の信仰に振り回されてしまったことも、ぼくのなかでは「生涯許さないこと」というフォルダに仕分けされている。

 ただ、以前はその「生涯許さないこと」ばかりにピントが合っていたものが、もう少し俯瞰で見られるようになったということだ。

 どうしようもない人たちだなと思っていた祖父母にも、実はチャーミングな一面があった。それに気づけたのはふたりを「おじいちゃん」「おばあちゃん」ではなく、それぞれに「ひとりの人間」として見られるようになったということかもしれない。よくよく考えてみれば当たり前のことだ。ぼくからすればふたりは最初から「おじいちゃん」と「おばあちゃん」だったけれど、それだけが彼らのラベルではない。「男」と「女」、「夫」と「妻」、「父親」と「母親」など、彼らにもさまざまな顔がある。それでいうと、祖父にはたまたま「おじいちゃん」としての顔があまり似つかわしくなかった、というだけなのかもしれない。・・・