お義母さん、ちょっと黙ってください くそばばあと私の泥仕合な日々

お義母さん、ちょっと黙ってください―くそばばあと私の泥仕合な日々―

 ここまでぶっちぎった人もいるんだなぁと・・・笑えないか、笑うしかないか・・・

 

P16

 結婚の挨拶をするために義実家を訪問したのが、私と義母との初めての出会いだった。旦那からは「オカンはほんまによく喋る」と事前に情報をもらっていたため、私は、お義母さまはお喋りな方なのだな、と心づもりして挨拶に向かった。

 ・・・

 私が想像する1000倍はよく喋るばばあだった。・・・

「ちょっと!黙って!静かに!」と義母は突然大声を出した。私がしゃべった10倍程の大きな声で私に注意してきた。

「まって、救急車の音近づいてくる、行かなあかん」

 義母は早々と立ち上がった。この頃の私は、ばばあは救急車のサイレンの音で集まってくる、そんな希少動物みたいな習性があることを知らなかったので、だれか知り合いが倒れたのかなと思った。走り出す義母を追いかけた。なにか手伝わなければと思った。

 駆け足の義母についていくと、・・・救急車は半径5m程度、たくさんのばばあに囲まれた。救急隊員よりばばあの数の方が多い。

 

知らんばばあ「どこの家の人が倒れたんや」

知らんばばあ「ここに止まったってことは佐々木さんか、知らんけど」

知らんばばあ「救急車くるってことはなんか病気の人がおったんちゃうか」

 

 えっ、全員なんも知らずに救急車の音だけで集まったん。こわっ。

 ・・・

 知らんばばあ達と義母は「何故救急車が呼ばれたのか」を討論していた。医療的知見もないズブの素人おばさんが集まって討論したとて、絶対に答えはでないのに一生懸命討論していた。こわ。

 義母は「そういえば」と討論を遮り、「この子今度うちに嫁にくるばたこちゃんやよろしくな」と私を紹介しだした。こんなところで。誰か見知らぬ人が倒れて救急車がきたこんなタイミングで。私は恥ずかしくて顔から火が出そうだったけれど、そんなことを感じていたのは私だけだった。

 ・・・

 そして結婚式の日取りに関しても結局聞くことができなかった。義母はあれだけ喋ったのに、大事な内容は微塵も聞き出せなかった。

 私は「お義父様は?」と聞いたら、義母と旦那は口をそろえて「パチンコ」と答えた。

 義母もどうしようもなかったが、義父もそうらしい。嫁ぐことに不安を覚えたが、まあそんなに関わることもないであろう、と軽く考えていた。ここから長い長い私と義実家の泥仕合がはじまる。

 

P27

「嫁ちゃん、職場にマイナンバーを提出しなあかんけどないから市役所一緒にいこ」

 義母が珍しく普通のお願いをしてきた。・・・

 ・・・

 市役所に到着し、義母が総合受付の人に意気揚々と話しかける。

「私だけマイナンバーカードの通知も来てないんですけど、どこ行ったら良いですか?」

 マイナンバーカードの通知が来てない……?国民全員に来たマイナンバーカードの通知が来ていない。やや不安を覚えながら案内してもらった窓口に向かった。

 義母は順番待ちの発券をスルーし、窓口へ直行した。

「マイナンバーカードの通知来てません!覚えやすい番号にしてください!」

 今日の市役所は長丁場になりそうな予感が脳裏をかすめた。義母は税金を納めているという自信からか、職員に威張りくさっていたし、マイナンバーというものを理解していなかった。

 職員に順番待ちの発券をして下さいと促された義母に、マイナンバーはなんたるかを説明したけれど、全く聞いていなかった。「あっちのミスやのに待たされるなんてとんでもない」と口調は苛立ちを帯びていた。とんでもないのはあんたただ1人だよ、と思ったけどやかましさが増すだけなので言わなかった。

 ようやく義母の順番がやってきた。

「職場でマイナンバーがいるって言われたんやけど私だけ通知カードが来てへんねん、それでわざわざこっちから出向いたんやで、番号は覚えやすい連番がいいわ、7の連番はまだあいてる?」

 義母は窓口で圧倒的な図々しさを放っていた。義実家には大量の書類や広告その他様々な紙類が溢れかえっているので、きっとその中に通知カードはある。それでも勝手に国の失敗と決めつけ、あまつさえ7の連番を希望する義母。

 図々しさひとつで国に対抗する義母に、職員は端的に説明してくれたが、それを聞きもせずに遮る。

「まあええわ、すぐマイナンバー教えて下さい」

 義母はマイナンバーの理解を諦め、職員にマイナンバーを教えるよう詰め寄った。住民票にマイナンバーを記載できるそうなので、住民票取得のために身分証明書を提示することになった。義母は車の免許を持っておらず、保険証だけでは年金手帳か銀行のカードや通帳などが、もう一つ必要とのことだった。

「じゃあこれでお願いします」と義母はマツキヨのポイントカードを出した。

 お願いできるわけない。

「これじゃあかん?じゃあキリン堂とスギ薬局も出すわ、車の免許もとってない私が悪いんでね」と義母は薬局のカードを3枚出した。一見投げやりで自虐的な言葉の節々に、確かな嫌味を感じた。

 窓口は混乱に包まれる。薬局のカードが何枚あろうが義母の身分は証明できない。証明できたのは、義母がやばいばばあであること、その一点のみ。

 窓口での話し合いは堂々巡りで全然終結しなかった。

 私はたくさんの人が働いている、市民の大切な窓口に、やばいばばあを連れて来たことが恥ずかしくてたまらなくなり、職員に謝り、自分の用事も済ませぬうちに、どうにかこうにか義母を義実家に連れ帰った。

 義実家のリビング、ダイニングテーブルのその下に大事な書類は置かれている。ほとんど読まないのに毎週忘れず義母が購入する週刊少年ジャンプ、料理もしないのに何故か購入するオレンジページ、その他の雑誌が山積みになったその奥に書類はある。・・・

 昼食もとらないまま私は書類を一つ一つ確認していく。8年前のヤマザキ春のパンまつりのシール台紙、・・・幸運を呼ぶという顔の切れていないペコちゃんが10人入ったミルキーの包み紙……。多種多様な紙が出てきた。・・・

 ・・・

 数時間後、義実家の山のような書類の中から通知カードと年金手帳を見つけ出し、再度市役所に向かう。義母の手続きが終わったのが午後4時30分。私の貴重な休日は義母の大暴れで終わった。

「はあほんま疲れたわ~先帰っとくで、寿司買って帰るわ」と義母は私の育成医療の手続き終了を待たずに一人で帰った。ありがとうは一言も言われなかった。

 

P102

 旦那は子どもの食事でレトルトやジャンクフードを出すことを許さない。旦那は子どもが生まれてから食事に対して異常に注意深くなり、私に自然派な食事を求めてくるようになった。・・・私はそんな旦那の戯言を無視しながら、レトルトを使用している。私のメンタルと体力を考えたら、レトルトは必須。「俺が嫁ちゃんやったら、自分のことは後回しにしてでも子どものものは手作りするけど」と言っていたときは、発言の意図が理解できず、旦那にレトルトの離乳食を出すということなのか?と混乱した。・・・

 ・・・甘い歯磨き粉は虫歯のもとになるんじゃないか、子どもの洗剤は無添加にしたら等々アドバイスしてきたので、私は連日のワンオペで疲れていることを伝えた。旦那はワンオペという言葉が大嫌いで、それを分かっていた私はわざとワンオペという単語を大声で連呼した。案の定、旦那は「ワンオペワンオペうるさい、そんなにいうなら子どもたちは実家で俺が一人で育てる!抱っこ紐のつけ方教えて!」と憤慨していた。この日の旦那は始終いきり倒していた。一人で育てると言いながら実家に帰ろうとして、抱っこ紐のつけ方すら分からないのに育児ができると思うなんてきれいな落ちまでつけて、まるで落語だった。

 きっと、旦那に悪気はない。旦那は子ども達の生活を良くしたいと思って言ってくれているのだろう。でも旦那の正論はいつも私を追い詰める。「子ども達は健康でかわいいのに嫁ちゃんはこれ以上なにを望むの⁉」と旦那に言われたので、望むことを考えてみた。

 まずは、旦那が心機一転してともに育児家事をがんばる、ということを所望する。育児はひとりでしょい込むには重すぎる。次に毎日1時間の半身浴は頻度を減らすか、育児家事ゴールデンタイムの18時~21時の間を避けてほしい。「ご飯や掃除なんて適当でいいからもっと子ども達と向き合ってあげて」と言い捨て1時間浴室に籠られたりすると、どの口が何を言うてるん?と思う。あとは、仕事感を出すために単なる友達との飲み会を「飲み会のオファー」と表現するのはやめてほしい。なんだか怒りが2割増す。その前にお弁当箱は水につけるという私のオファーを承ってほしい。

 

P133

 義母の日々の言動に辛抱たまらなくなり、デリカシーというものはないのか?と問うたことがある。義母はまったく悪びれずに「そんなもん大和川に捨てた」と言っていた。次に聞いたときは「淀川に捨てた」となぜか場所移動していた。義母はポピュラーで大きめの川にデリカシーを捨てがち。関西の川はあらゆるところに義母のデリカシーが沈んでいるにちがいない。・・・

 

P173

 大阪の商業高校を卒業した私は、技術職として大阪の中小企業に就職した。まだパワハラやモラハラなどの言葉が一般的ではないその頃、「アホ」「マヌケ」「ゆとり」と怒られることも少なくなかった。・・・

 ゆとり世代でまだ10代だった私は、怒られる度に職場に対する嫌悪感が積もり、心の中で愚痴を吐き続けた。・・・

 職場で特に嫌だったのは、直属の女性上司が私のために開催する勉強会だった。就業後に行われる勉強会では、業務は何一つとして行わず、基礎的なところから応用的な技術まで、業界で働いていくための自己研鑽ばかりだった。・・・

「今のうちに勉強してた方が良い」

 私はその言葉の意味がよく分からなかった。・・・

 ・・・

 何年か経過しアホマヌケと怒られることが減った頃、私は旦那と出会い、結婚し、しばらくして妊娠した。

 緊張しながら妊娠報告すると、上司は「分かった」とあっさり答え、その日のうちに負担の少ない仕事を私に割り振り、「しんどいときは寝といて」と大きなソファが一番近い席へ私を移動させた。

「これからは赤ちゃんとあなたが一番で仕事はその次でいい」と勉強会は卒業となった。アホマヌケな私はその時にはじめて、上司が優しいことに気づいた。上司に一円も得のないその勉強会は、誰のためでもない私のためだった。

 私の技術は、上司が長年かけて無償で築いてくれたものだ。妊婦というのは本当にしんどい。それまでの知識と経験があったのでなんとか働くことを継続できた。もしアホマヌケな新人のまま妊娠していたら到底仕事は継続できていなかった。

 なんとか妊娠期間を乗り越え、無事に出産し赤子の写真を送ると、〝おめでとう、写真保存しました〟と返信がきた。育休中は〝そろそろ赤ちゃんの写真送って下さい〟と定期的に連絡をくれた。

 育休から明けて復帰したとき、「働ける日はしっかりと働いてもらうから」と上司は笑っていた。復帰初日から時間の都合がつきやすい仕事をしっかりと私に振り、戦力として扱ってくれた。戦力となれる嬉しさと忙しさで、育休中の漠然とした不安を忘れてしまった。

 保育園に入所した子どもは、信じられないほど熱を出し、おまけに長引いた。大事な仕事の前に突然呼び出しということが何度もあった。そんな風に子どもの都合で休まなければならないとき、上司は快く有休を使わせてくれた。

 周囲に迷惑をかけながら働くということ、そのことが私の中で重荷になり、悔しさやしんどさがあふれ出して、自分は会社を辞めた方が良い人間だと思い、上司の前で泣いてしまったことがある。

「今までがんばって働いたんだから、子どもを育てるのも、働くのも、休むのも、全部あなたの権利。もっと図々しく強くなりなさい、もうママなんやから」

 上司がかけてくれたこの言葉は、私を支えてくれた。通勤電車がしんどいとき、顧客に怒られたとき、子どもの病気が分かったとき、いろんな場面で思い出し自分を奮い立たせた。

 この優しい人のおかげで、私は子どもを生み、育て、働くことができている。どれだけ感謝しても足りない。上司が与えてくれた技術と環境は、どんな出産祝いよりも私を支えてくれた。

 妊娠や子育て中の母親が、働くことを続けられるか、そうでないかは、周りの人や環境によるものが大きいように思う。妊娠中は力仕事はできず、悪阻がある人もいる。どうしたって周囲に迷惑をかけてしまう。出産してからも、子どもの病気や怪我、休園や休校、これらもどう努力しても母親の力ではどうにもできない。自分で選択できないのに、努力ではどうにもできないことが母親には多々ある。

 そんなどうにもできない部分に気づいて考慮し、私の代わりにどうにかしてくれた、そんな優しい人。私もそんな人になりたい。

 誰かのどうにもできない部分をどうにかする人になれますように。母親が働きやすい環境が増え、そして支えてくれる側に良いことがたくさん起こりますように。