昨日に続き、こちらの本も、プロの職人さんはすごいなと驚きました。
P127
武は経営者一族として、いつかはマルニ木工を背負うことが自身の定めだと疑うことなく生きてきた。そして困難にあえぐマルニ木工へ入社し、再興の活路を模索していた。そんな武の中で、スッキリしない想いがあった。
「お得意様には、『技術のマルニ』と言っていただけるし、社員もそれを誇りに思っている。けれど、僕自身それがなんなのか、何がすごいのか、明快に言い当てることができなかったんですよ。確かに工場での技術は素晴らしいし、出来上がったものを見ればその商品の良さもわかる、クラシックも誇り高い商品だと思う。でも、世間には似たようなものはたくさんあるし、その違いがぼんやりとしてわからなかったんです」
そんな武を開眼させたのは深澤の言葉だった。
「深澤さんはマルニ木工が長年をかけて築いた木の加工技術を褒めてくれた。そして、マルニ木工のジャパン(日本)さんを褒めてくださった。開発スタッフとか技術スタッフの腕や想いなどに共感してくださったんです。マルニ木工の理念を愚直に貫いたのがジャパンさんですから、それはうちの伝統への信頼でした。ネクストマルニの試作段階で、深澤さんから、『後ろ脚を2ミリ細くしてくれ』とか細かい指示が来るんです。ジャパンさんは、『2ミリ減らしたって誰も分からんわい』と言いながらも、きちんと指示通りに改良します。ところが、出来上がった2脚を並べてみると、その違いはちゃんとありました。ジャパンさんも深澤さんも、違いを確認し合いながら、すごく嬉しそうでした。その世界に僕なんかは入れないです。ただ、僕に唯一能力があるとすれば、そういう話に価値があると気づけるということ。『そんな小さなことどうでもいいじゃないか』という経営者もいると思うんですが、僕は、そういうストーリーが好きなんです。深澤さんは、デザイナーのこだわりを聞き流したりせず、細かい修正をきちんとやり切れるメーカーとして、マルニ木工を信頼してくれたんだと思います。
深澤は美大の出身だが、工業高校で設計を学んでおり、図面を描ける。プロダクトデザインを行う上でも、立体としてイメージする方法を取り入れていた。深澤が回想する。
「僕は、三次元思考だったんです。デザインを常に立体的に考えるので、数ミリ単位で大きさが違うというようなとても微妙な指示を出します。当然、エンジニアリングとしては非常に難しいことなんだろうなと想像はするけれど、『そうしてください』とお願いせずには完成しません。微細な指摘をする僕について、ジャパンさんも驚いていたようです。彼や河村さん、川上さんも、『向こうも喜んで難しいこと言ってくるな』って、楽しんでいましたけどね」
深澤と日本との間には、職人同士の阿吽の呼吸、見えない絆が太く結ばれていたという。日本はこんなことも話していた。
「僕にとっても、ネクストマルニでの深澤さんとの出会いは本当に幸運なモノでした。だから当初から、何かやってもらえたら良いなと考えていました。当時、日本の家具メーカーでは、デザイナーの名前がつくような商品はまれでしたから、その先達に、深澤さんになっていただきたかった」
P153
深澤とマルニ木工との関係は、このミーティングを機にグッと近づいた。
「ミーティングがあると、必ず食事に行ったのですが、それが僕らにとってもとても幸せな時間でした。こんなに良い時間はないなと。そこから交流が始まったという印象です」
深澤がそう話す。
武はまた新たな気づきを得ていた。
「深澤さんから『どんなにデザインが良くても、座り心地が悪いとか、強度が保てなかったら椅子として評価されることは絶対にない。木の椅子は特にそうなんだ。それを乗り越えるには、職人たちの合理的で筋の通った、理にかなった、時に頑固な素晴らしい提案が必要。それを積み重ねること、練って練っていくこと、が大切です。そうすると、まるで讃岐うどんのコシのようなものが出てくるんですよ。それでこそ、本物の家具ができる。マルニとはそんな仕事ができる』と言われて僕は、頭を金槌で殴られたようなショックを受けていました。僕はネクストマルニの時に、うちの技術者を黙らせて、『デザイナーの言う通りにやってほしい』と伝えていた。しかし、深澤さんは違っていた。木工の職人を心の底から信じていたんです。そしてそのパートナーに、自分たちを選んでくれた。衝撃と幸福感が僕の中で渦巻いていました」
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プロダクトデザイナーの仕事は多岐にわたる。キッチン用品や家具、家電、時計などから、建築物までをデザインすることもある。深澤直人もその一人として、世界を舞台に活躍してきた。
そんな深澤にとって、椅子をデザインするというのは、特別な想いがあった。
「ヨーロッパにおいて、建築家でもエンジニアでも、プロダクトデザイナーでも、椅子をつくる時は慎重にやらなきゃいけないというのが、僕の中にあったんですよ。なぜかというと、椅子をやって失敗すると、それが致命傷になるからです。失敗すればキャリアを失うぐらい重要なアイテムなんです。逆から見れば、世界的なデザイナーは、椅子を作って有名になっている歴史もある。だから、初めて木の椅子をやるってことは、自分のデザイン人生を懸けるということです。失敗したから、また次に良いのをやりますというわけにはいかない。しかも木の椅子は制約が多く、かなり難しい。そういう意味でも、誰と作るのかが重要なんです。有能な職人、技術力のあるメーカーと組んで、デザインしなくちゃいけないなと考えていたんです。そういう人たちに出会えたら、一生タッグを組んで、やり続けることになるだろう、と」
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「僕にとっては、ブランド力やネームバリューは重要じゃなかった。むしろ一緒にやって行く上で、人間的にお互いが慈しみ合えることが重要でした。そんな相性の良さをマルニ木工には感じます。しかも、皆さん勉強家だった。やり通す胆力もある。そこへの信頼は、揺るがないです」
P174
河村はマルニ木工の工場にみなぎる空気を次のように話している。
「人間はそれぞれ人格があり個性があります。マルニ木工はその個性を認める会社です。けれど工場に入れば、皆がひとつの価値観を共有し、心を重ねてモノづくりを行っている。個と集団の絶妙なバランス、それが持ち味です。分業に携わる人間は誰もがスペシャリスト、職人なんです。機械だって同じ。作業で使う道具、治具をマルニクオリティに作るのもまたマルニ木工の伝統です」
そんなスペシャリストの魂は作業の細部に宿り、機能していた。
「仕上げ作業のひとつに、はみ出したのりを拭き取るというのがあります。これはただ、のりを拭くというものではありません。拭くだけだと、のりが伸びるだけですから、丁寧に小さなサジを使い、掬い取るわけです。簡単な、誰もができる単純作業に見えるかもしれないけれど、ここにもプロの技が必要です。うちにはその作業を完璧に行えるスペシャリストの女性がいます。彼女を見ていると、本当に根性があると感じます。1脚目も100脚目も、完璧に糊を掬い取っている。だから安心して任せられるんです」
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深澤はのちのインタビューで次のように語っている。
「柳宗理さんやハンス・J・ウェグナーなど、世界的な建築家やデザイナーはみな技術力のある木工会社とともにデザイン史における名作を残してきました。そういう木工メーカーと出会えたら、自分は一生を懸けて名作に挑戦し続けるだろうと覚悟していました」
深澤にとってマルニ木工との出会いは、それほど重要な意味があった。
「木の性質を知り尽くした職人による加工技術に加えて、量産のための技術を持っているのがマルニ木工です。自分の手で木を削り加工してきた職人が、同時にコンピューターでの切削機械のプログラミングをしているんです。どういうふうに木を削ればいいのかを熟知している、高い加工技術を持つ方が、正確さと速さ、効率のための機械技術に関与しているのは、本当にすごいことです。世界にも類を見ないでしょう」
