網膜色素変性症と診断された著者の旅。
訳者あとがきに「歴史の奥深くまでもぐったかと思うと、ぱっと目の前に日常が現れる。この、客観的なまなざしと主体的なまなざしを絶えず行き来するのが本書の魅力だ」とありました。
P9
・・・本書は、視力を失っていく私自身の経験をつづっただけの報告書ではない。本書は、目が見えないというこれまでよりも広大な世界でたどった、計画的な旅の物語である。これを書くことで、網膜変性の現在の進行速度ではたどり着けていなかったであろう境地に、私はたどり着けた。視力が失われるにつれ、憶測や恐怖心を、知識を得たり直接経験したりしてやわらげようという気持ちが新たに芽生えている。この数年で、私は国内中をかけ巡り、目が見えないということと現代生活とが交差する場所を思いつくかぎりすべて調べてみた。
P48
杖の問題とは、「目が見えない(Blind)」という言葉のように、人々が視力を完全に失っていることを知らせるものとして読み取ってしまうことだ。私はジレンマに直面した。目の見えない男だと認識されようとして杖を使い詐欺をしている気分になるのか、目が見える男だと見られ、日に日に高まる、自分や他人に深刻なけがや障害を負わせるリスクを取るのか。・・・
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つい最近、ある春の日の午後、ニューヨークから家に帰るためのアムトラック〔アメリカの鉄道会社の通称〕をつかまえようとペン駅まで歩いていると、ひとりの男性がデリカテッセンの壁にもたれてこちらを見ているのに気づいた。追い越し際に、短いアイコンタクトをすると、彼の表情に敵意のようなものが見てとれた。私が目をそらすと、私が杖を使いはじめてからとても多くの見知らぬ人の顔に書いてあったことを、彼は言葉にした。「あんた、見えてんじゃねえか」。彼は、いいかげんにしろよと言うときにみんなが使う、軽蔑した声で言った。まあ、きっと誰もが私のことをそう思っているのだろう、とつねにうすうす感づいていながら、ずっと断定するのを先延ばしにしていたのだが、いやいやながらもその容疑を晴らす喜びがあった。少し感情的になって、私は答えた。「じつは、そうなんですよ!」
その後、混みあったペン駅で立ちながら、目の病気をただ克服したい、残りの視力を取り戻したいという、定期的に現れる欲求について考えていた。目が見えないことに対し、世間の人々がどう見ているのか、知らずに過ごしたかった。嘲笑、恩着せがましい態度、特権的な態度、性的とも思える目つき。懐疑、哀れみ、嫌悪、好奇。たしかに私も、目の見えない人を同じように見ていた・・・だが、そのときの自分は別人だった。当時は、自分が見えないとは真剣には思っていなかったのだ。
最近は、連帯や、コミュニティをより強く求めるようになった―晴眼の世界からさまざまなやり方で、目が見えないことに対して恐怖や不快を示され、恩着せがましい態度を取られてきた経験をしてきた人たちに会いたいと思った。国境を越え、盲人の国に入る、より意味のある一歩を踏み出す準備が整った気がした。
私がコンベンションセンターのスライド式ドアを通り抜けると、どこもかしこも目の見えない人ばかりだった。・・・
全米盲人連合(NFB)の全国集会は毎年3000人以上の参加者を集め、その参加者のほとんどは目の見えない人たちだ。・・・
晴眼者よりも目の見えない人たちのほうが多いと、空間が違って感じられた。動きや、人と人との距離という社会秩序が、大きく転換していた。目の見えないふたりが、一緒に広い玄関を歩いてきた。ふたりとも、目的の場所をわかっているようだったので、私も彼らのあとについた。すぐに、私は感激して参ってしまった。・・・
・・・私がどんなに孤独を感じていたかがわかった。目の見えないことが普通のこととされ、私たちが彼らよりも人数の多い空間にいることは、とてつもなく感動的だった。誰かと会話をするまでもなく、私は自分自身を、ささやかだが心から、目の見えないコミュニティのメンバーだと考えることができた。・・・
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メインホールにたどり着くことができた。そこは巨大で、約3分の2が人で埋まっていた。ポールからぶらさがった点字ラベルには各州の支部の場所が印づけされていて、それを使っている人を何人か見たが、ほとんどの人がやっていたのは、〝空白に進む〟というテクニックだった。目の見えない人がひとり立ち上がり、流れのなかほどで止まって、杖を垂直に、休止の体勢で抱える。・・・少しの間、じっと固まって十分に注意を払った状態で止まると、その人物は、強く大きな声で宣言する(ささやくのは無駄だ。応答する人物はその声を聞き、自分が話しかけられていると気づかなければならないからだ)。「ここはノースダコタですか⁉」ホールは人で密集していたため、このやり方がたいていはうまくいっていた。「ネブラスカだ!」と、誰かが元気よく答えてくれて、その人が見つめる先にはさっきの質問者がいた。「そのまままっすぐ行くんだ!」
私はジャーナリストのウィル・バトラーと、「インディペンデンス・マーケット」(音声式体温計からデジタル点字ノートテイカーまで、目の見えない人が晴眼者に介助されることなくひとりで仕事ができるような道具を売っていたので、そう呼ばれていた)の外で会う約束をしていた。私は数年前にオンラインで、初めてウィルの文章と出合った―彼は半分きわものとも言える音楽フェスなどのイベントの特報をオンラインマガジン『ヴァイス』に掲載していて、「目が見えないと、競馬にはまったくがっかりする」というようなキャッチフレーズを冠した記事を書いていた。・・・私は自己紹介として、自分のRPの状況について話した。法的盲で、杖を使っているが、墨字〔点字に対して、印刷された文字のこと〕はまだ読める、と。たいてい、この情報を出すと、ほぼお悔やみに近い同情した表情で反応される。だが、ウィルの返事はこうだった。「非常識に聞こえてしまうかもしれませんが、誰かから息子がRPで、とか、目が見えなくなっているんだ、とか聞かされると、『すばらしいじゃないですか!』と言いそうになるんですよ。明らかに面倒なことはいくつかあるけど、それを除けば、目が見えないことは私に知的な扉を本当にたくさん開いてくれているんですから」
P154
ゴシオーはマンハッタンにあるトライベッカで2022年に開催した個展を「重要な他者性」と名づけた。・・・
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・・・ゴシオーは私たちに彫刻にさわるよう勧めると、私たちの指を油絵の具と混ぜた蝋のところに沿わせ、その絵の具の感触で陶器のどこに色づけしたかを教えてくれた。
その部屋のツアーで最後に向かったのは、『ロンドン、真夏第1号』というタイトルの、インクとクレヨンで描かれた大きな絵の前だった。・・・私はその絵の繊細さに釘づけになった―木々の葉にかかる明るい紫の影が地面に散らばり、幸せに満ちた表情が犬たちの顔に広がっている。「喜びのイメージね」とキャロラインが言った。
・・・キャロラインの一言を聞いた私は、その絵を見て涙を流した。目が見えないことの象徴のなかから芸術家が発見した喜びに心を打たれたのだ。・・・ゴシオーの絵では、杖と盲導犬はもはやただの道具ではなかった。杖と盲導犬は、介助目的や道具として見なされることから解放され、風景のなかで喜びにひたる自由を得ていた。上に広がる空には、オレンジ色の太陽と青い三日月が一緒に連れ立っていて、昼と夜が溶けあっているかのようだった―一日の盲目の時間である。
夢を追い続けた聴覚障害と視覚障害を持つアーティスト, by www.cooper.edu | DailyGood
P314
・・・アッシュの哲学は、私を困惑させたアイデンティティの矛盾に対するひとつの道を提示している。私がずっと考えているこの問いだ―私が引き受けたこの新しいアイデンティティを、どうすれば中心的でもあり副次的なものにもできるのだろうか?私はアッシュの回答にあこがれを抱くが、言葉に表すよりも実際に行動に移すほうがはるかに難しい。アッシュの回答はこうだ―目が見えない人自身も、みな、目が見えないことを無視していいはずなのに、晴眼者の世界に偏見と差別があるために、どうしてもそのことを意識せざるを得ないのだ。・・・
