オシムの言葉

オシムの言葉 (集英社文庫)

 器が大きいとはこういうことか・・・と驚きました。読めてよかったです。

 

P43

―あなたは、ご自分が紡ぎ出す言葉が、語録と称されて注目を浴びていることをどうお考えになっているのか。

 しばしの沈黙の後、彼は言った。

「私は別にテレビやファン向けに言葉を発しているわけではない。私から言葉が自然に出てくるのだ。しかし、実は発言に気をつけていることがある。今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ。サッカーも政治も日常生活も、世の真実には辛いことが多すぎる。だから真実に近いこと、大体真実であろうと思われることを言うようにしているのだ」

―あの会見の言葉も?

 じっとこちらを見つめて口を開いた。ミステリアスな監督が、ようやく漏らした本音だった。

「言葉は極めて重要だ。そして鈍器のように危険でもある。私は記者を観察している。このメディアは正しい質問をしているのか。ジェフを応援しているのか。そうでないのか。新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある」

 

P61

「記事自体は私にとってプレッシャーでも何でもない。あいつらは書きたいことを書くだけだ。ただそれを読んだ人々が、扇動されることが怖い。

 メディアと我々の関係というのは両方のサイドがコレクト、正しいものでなければならない。監督が選手を使わないのには、必ず理由がある。その理由というのは、公言できない場合がある。それは技術的なことではなく、心理的な要素の場合だってある。

 例えばこの選手は大舞台ではその重圧に負けてしまう、だから使えない。しかし、こいつはビビリだから、と新聞に対して公言はできないだろう?

 まあ、メディアに関して言えば、日本の新聞は日本代表に関して、特に民族的な部分で誰を使えとは書かない。

 しかし、ユーゴの監督はそうはいかない」

「そんなものに耐えられないならば代表監督などにならぬほうがいい」

 

P138

「システムは関係ない。そもそもシステムというのは弱いチームが強いチームに勝つために作られる。引いてガチガチに守って、ほとんどハーフウェイラインを越えない。で、たまに偶然1点入って勝ったら、これは素晴らしいシステムだと。そんなサッカーは面白くない。

 例えば国家のシステム、ルール、制度にしても同じだ。これしちゃダメだ、あれしちゃダメだと人をがんじがらめに縛るだけだろう。システムは、もっとできるはずの選手から自由を奪う。システムが選手を作るんじゃなくて、選手がシステムを作っていくべきだと考えている。チームでこのシステムをしたいと考えて当てはめる。でもできる選手がいない。じゃあ、外から買ってくるというのは本末転倒だ。チームが一番効率よく力が発揮できるシステムを、選手が探していくべきだ」

 

P144

 ・・・オシムはヴァスティッチの努力を讃えた上で、指導について言及した。

「あいつは俺の所に8年もいた(笑)。コーチの仕方としては、良くないプレーをした時に、思い切りそれはダメだと叱った。それだけだ。イヴォは若い時期に国を出て小さなクラブを試合に出られないまま転々としていたから、一貫して教えられたものがなかった。だから徹底して何がダメかを教えて叱った。

 ただ、それより重要なのは、ミスをして叱っても使い続けるということだ。選手というのは試合に出続けていかないと成長しない。どんなに悪いプレーをした時でも、叱った上でそれでも使う。ミスをした選手を、それだけで使わなくなったら、どうなる?その選手はもうミスを恐れてリスクを冒さなくなってしまうだろう。いつまでも殻を破ることができない」

―ダメなプレーを指摘した上でのイヴォに対するモチベーションアップは、どのように施したのですか。言葉の使い方、あるいは言葉をかけるタイミングなど、ひとつのメソッドがあるように思うのですが。

「特定の法則があるわけではないから、どういう方法とは一概には言えない。常に考えているのは、選手たちの『勝ちたい』『克ちたい』という強い気持ちを目覚めさせることなんだ。なぜ、勝ちたいのか。その問いに対する答えは11人いたら11人違うかもしれない。だからこそ選手を観察する必要がある。その上で、対戦相手のことを洞察し、まず、相手が何に長けていて何に劣っているのかを考えさせる。そして自分たちが何をすべきなのか、何をしてはいけないのかを言っていく」

 

P147

 オシムはこう言って私に釘を刺した。

「私のようなケースは本当に珍しい。運が良くて、心からありがたいと思っている。町中に水も電気もなく、厳しい冬には凍えるしかなかったあの頃のサラエボで、家族は無事に生き延びた。

 人々は私の話になれば、良かったね、素晴らしいという美談にしてしまう。しかし、そんなものではない」

―監督は眼も覆いたくなるような悲惨な隣人殺しの戦争を、艱難辛苦を乗り越えた。試合中に何が起こっても動じない精神、あるいは外国での指導に必要な他文化に対する許容力の高さをそこで改めて得られたのではないか。

「確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響は受けていないと言ったほうがいいだろう」

 オシムは静かな口調で否定する。

「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」

 

P188

 オシムは日本語を解さない。そこで出てくるのが、間瀬秀一である。クロアチアリーグでプレー経験のあるジェフユナイテッド市原・千葉の通訳。・・・

 ・・・

 間瀬の背景について記す時、その結論は多様な価値観に合わせる順応性に辿りつく。彼は現役生活をすべて海外で燃焼した稀有な日本人フットボーラーだった。

 日体大を卒業後、単身海外に渡り、サッカーで生活を立ててきた。渡り歩いたのはアメリカ、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドルそしてクロアチア。・・・

「行く国、行く国、貧しい国。行く先、行く先、苦しい場所。ツテもなくて2部とか3部ばっかりで、スタジアムも小さくて環境も悪いわけですよ。住むところも食べるものも貧しいわけです。で、サッカー辞めようかなと何回も思った。でもそこのチームメイトと同じものを食べて、同じ生活をするうちに見えてくる。俺がこんなに苦しいってことは、そこの国の人、みんな、苦しいわけです。彼らに愛着が湧いて来たんです。どんな環境であろうが、そこに人が住んで生活を営んでいる。1部でも3部でもやることは結局同じサッカー。

 人生なんて、みんな、価値観、それぞれ違うわけじゃないですか。サッカーなんてどうでもいい、サッカーなんて嫌いな人だって世の中にいるわけです。でも自分はサッカーを好きで、とことん追求することができた。代表になれたわけではない。サッカーで大金を稼いだわけでもない。それでもね、確かに自分は貫いたという自負があります」

 その間瀬が再びザグレブに渡ったのが、2002年10月のことだった。現役を辞めた後、2002年W杯を日本で過ごし、セカンドキャリアについて、Jリーグの通訳を目指そうと考えたのだった。

 セルビア、クロアチア、モンテネグロ、スロベニア、マケドニア、多くの旧ユーゴ出身の選手が、Jの禄を食んでいる。再度クロアチアでセルボ・クロアチア語をブラッシュアップしようとの決意だった。

 間瀬はザグレブ大学の哲学科にあるクロアチア語の3カ月コースに入った。

 ・・・

 勉強を続けながら、ユーゴ系の選手が在籍したことのあるJリーグの各クラブにEメールで履歴書を送り続けた。

 ジェフ市原から、連絡が入った。イビツァ・オシムという監督と契約する。ついてはGMが1月の中旬にオーストリアに行くのでそこに来て欲しいという。

 ・・・

 第一印象は「でかい」だった。

 間瀬には、初対面のこの監督が何か、ただならぬ空気を発しているように感じられた。

 長身で威圧感があるが、時折、顔色ひとつ変えずにボソリと飛ばす風刺の利いたジョークは、テーブルを笑いの渦に巻き込む。

 間瀬は年代が近いということもあり、主に同席した次男のセリミルと話していた。

 会食は実は通訳としての採用テストを兼ねていた。

 オシムは間瀬が席を外した時にセリミルに顔を向けて聞いた。

「あの男、どう思う」

 10代でサラエボに帰れなくなって以来、自分と苦労を共にして来たセリミルの慧眼を信じている。

「はっきり言って、あいつはクロアチア語はそんなにうまくない。だけど、人間的には人を騙したりするような奴じゃない。通訳はだから彼でいいよ」

 オシムは頷いた。

 翌日、間瀬がザグレブに帰ると、もうスポルツキ・ノーボスチ紙が祖国最高のサッカー監督の動向を1面トップで伝えていた。

「オシムが日本に行く」

 間瀬は、ひとつの記事に目が釘付けになった。オシムがコメントを出しているのだ。

―ギリシアでは通訳に裏切られた苦い思い出がある。情報を勝手に外に流されていた。日本では絶対にそんなことがあってはならない。

「いきなり厳しい言葉を読んで、プレッシャーと同時に身が引き締まりましたね」

 ふと、この話を聞いて私は思った。オシムは採用を決めた直後、すぐに間瀬に対してのメッセージを送ったのではないか。

 元サッカー選手が、ザグレブに帰ってクロアチアのスポーツ紙に目を通さないはずがない。俺はこう思っているぞ、とメディアを通しての間接的な発言伝達。

 間瀬は世話になったザグレブ大学の女性教授に挨拶に行った。・・・

「イビツァ・オシムという人の通訳をやることになったので帰国します」と報告した。

 すると、厳格だった教授は、初めて見せる地の表情で驚愕した。まるで普通のおばさんになった。

「ええっ、あんたオシムの通訳やるの?」

「はい」

「メチャクチャ有名な監督じゃない!」

「そうなんですか」

「そうよ。ねっ、ねっ、私の言った通りでしょ。私のクラスにいて正解だったでしょ。けど、あんたがクラスで一番の出世かもしれない!」

 

P244

 彼はどんな思いでベンチに座っているのか―。すべての選手の心理状態をつぶさに観察し、分析している。実際にジェフの選手たちから話を聞くと、メディアを通して監督の考えを知る度にそこまで自分の思いを知りえていたのかと驚いた、という証言が幾つも出てくる。

「とにかく毎日選手と会っているわけだから、毎日、選手から学んでいる。毎日学んでも完全に学ぶことは絶対にありえない。ひとりひとり心理状態は違うし、環境も異なるからだ。

 実際、観客には絶対に分からないことだが、選手といっても人間だから、奥さんと喧嘩している、両親とうまくいっていない、そういう細かいプライベートの繊細なことがサッカーには影響してくる。練習場に来た時にやる気があるのか、と疑問に感じる人間もいる。毎日の中でそんなことを読み取っていく。プライベートの問題については、すべてを知ることはできないけれども、大まかなことは知っておくのも大事だ」

 ここまで言うと、最後はまた独特の言い回しで、笑いを誘った。

「だって、私の仕事はスイカを売ることではなく、そういう生きている人間と接しているわけだから(笑)」

 見ているのは、選手だけではない。

 あるスポーツ紙の番記者が、試合中のDFの攻め上がりについて質問したことがある。

「あの結城のオーバーラップは練習でやっていたんですか?」

 オシムは即答する。

「知らないはずがないだろう。君は3日前の練習で見ていただろうが!」

 番記者は驚いた。3日前、確かに練習を見てはいたが、多数いる見学サポーターに混ざって金網越しに覗いていたに過ぎない。フィールドを凝視し、こちらに背を向けていたオシムは一瞥だにしなかったはずなのに……。