雑草学の稲垣先生のエッセイ、へぇ~がたくさんありました。
ちょうど今、ほぼ日で、楽しそうな企画がアップされてました↓
稲垣栄洋先生が、ほぼ日に来た:01 雑草を前にしたら、先生も学生も関係ない。 | 道端の世界をのぞいてみませんか?ほぼ日雑草部だより | ほぼ日
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「こも」はわらで織ったむしろのことです。
祝いのときの鏡開きに使うこも樽に巻かれているのも「こも」です。こもは、かつては、船で運ぶ酒樽の破損を防ぐために巻かれました。
「こも」とは、そもそもなんでしょうか。起源をたどると、「こも」はわらで作られていたわけではないことがわかります。じつは「こも」と呼ばれる植物があったのです。
ところが、「こも」がイネのわらで作られるようになると、「こも」と呼ばれていた植物は、本当の「こも」という意味で「真こも」と呼ばれるようになりました。それが、「マコモ」です。
マコモは湿地に生えるイネ科の多年草です。・・・
神聖なものと不浄との境を示すために張る注連縄は、わらで作りますが、出雲大社ではわらではなく、マコモの葉で作ります。マコモは、古くから神の宿る植物とされてきました。神社では、マコモはさまざまな神事に用いられます。
マコモは古くから、日本人にとって重要な植物でした。『古事記』や『日本書紀』にも、その名前を見ることができます。・・・
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・・・マコモは、神の宿る植物として扱われてきました。
それでは、仏教にとってマコモは、どのような植物だったのでしょう。
お盆のお供え物を置く盆ござは、マコモを編んで作られます。お盆に祖先の霊を乗せて運ぶ精霊馬や盆舟もまた、マコモで作られます。神道と同じように、仏教においてもマコモは神聖な植物と考えられたのです。
マコモの分布は日本だけではありません。
釈迦はマコモを編んだむしろに眠り、マコモのむしろの上で病人を治療したといわれています。・・・
P130
アズキを炊き込んだ赤飯は、初節句や七五三、結婚式など人生の節目となるお祝い事で食べられますが、昔は葬式でも食べられました。これはアズキに邪気を払う力があるためと考えられています。・・・
季節の節目である春の彼岸と秋の彼岸には、アズキの餡子で作ったぼたもちやおはぎを作って食べます。
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春の彼岸に食べるのが「ぼたもち」で、秋の彼岸に食べるのが「おはぎ」です。ぼたもちと、おはぎは同じものですが、ぼたもちは「牡丹餅」に由来し、春に咲くボタンの花に似ていることからつけられた呼び名です。一方、おはぎは「お萩」で、秋の七草である萩の花に由来します。
アズキを用いた食べ物といえば、ぜんざいも有名です。「ぜんざい」の語源には、二つ説があります。
一つは、室町時代、戒律や形式にとらわれず生きた臨済宗の僧侶、一休宗純が食べたときに、「善哉」と言ったことから名づけられたとされています。「善哉」とは仏教用語で仏が弟子を褒めるときに使う言葉でもあり、サンスクリット語の素晴らしいを意味する「sadhu」の漢訳です。
もう一つは、出雲地方の神事で全国の神が集まる「神在祭」で振る舞われた「神在餅」を由来とするものです。この「神在餅」の「じんざい」が転じて「ぜんざい」になったとされています。
このように、アズキは仏教とゆかりの深い作物なのです。
P192
「雑草」という概念は、明治時代以降に持ち込まれました。江戸時代までは「雑草」ではなく、単に「草」と呼ばれていたのです。ただし、「雑草」という言葉はありました。江戸時代の文献にも「雑草」という表現が登場します。
しかし、「雑草」は、「雑木林」や「雑魚」「雑誌」と同じように、取るに足らないたくさんのものという意味で使われていました。現代のように、厄介な邪魔者という概念はありませんでした。
仏教とは異なり、キリスト教の世界では、善と悪を明確に分ける傾向があります。世の中の現象は神の恵みと悪魔の仕業に分けられますし、異端審問や魔女裁判のように善と悪を分ける裁判も行われていました。良い行いは手放しで称賛し、悪い行いには罰を与えるのです。
欧米の人々にとって、神の恵みである穀物の成長を妨げる雑草は、邪魔者でした。夜のうちに悪魔がやってきて雑草の種を播いていると考えられていたほどです。ですから、欧米では悪い草を「雑草」と呼び、役に立つ良い草を「ハーブ」と呼びます。こうして明確に善悪を分けてきたのです。
もちろん、日本でも雑草は作物の成長を妨げる邪魔者です。それなのに「雑草が厄介な邪魔者」という概念がないのは、どういうことなのでしょうか。
仏教伝来とともに、日本には陰陽五行説が持ち込まれました。
陰陽五行説とは、すべての事象はそれだけが単独で存在するのではなく、「陰」と「陽」という相反する形で存在し、それぞれが互いに影響を与えあい消長を繰り返すという思想です。そのため、古くから日本人は、物事には、良い面と悪い面の陰陽があると捉えます。
雑草にもその考えはあてはまります。
雑草は悪者ですが、その一方で、良い面もあるのです。
昔の人は田んぼの中を歩いて草を取りました。・・・大きな雑草は抜き去りましたが、小さな雑草は泥の中に埋め込んでいきました。こうすることで、田んぼの雑草は、イネの肥やしになったのです。
・・・畔や畑の雑草の中には、菜っ葉として食用にできるものや、薬草として利用できるものもありました。雑草は邪魔者でありながら、農業になくてはならないものだったのです。
雑草を利用するという考え方は、一つには日本の自然の豊かさに起因するのかも知れません。
雨が多く、気温の高い日本では、植物がよく育ちます。放っておけばすぐに雑草が生えてきます。・・・
・・・克服し、制するにはあまりに手強い存在です。そのため、自然を克服するよりも、自然の力を活用しながら、自然の中でともに生きるという考え方が発達したのかも知れません。
・・・日本語には、「雑草軍団」や「雑草魂」という良い意味を含んだ言葉もあります。無名の努力家や、苦労人たちは「雑草」と称えられます。
しかし、「雑草」がほめ言葉に使われたり、「雑草」と呼ばれて喜ぶのは、私が知る限り日本人くらいのものです。・・・
