「心のない人」は、どうやって人の心を理解しているか

「心のない人」は、どうやって人の心を理解しているか――自閉スペクトラム症者の生活史

 自閉スペクトラム症の当事者へのインタビューを元に、著者の考察も語られていて、参考になることが色々ありました。

 

P12

マコトB ・・・二〇二二年に刊行された第五版の追加修正版(DSM-5-TR)を確認すると、自閉スペクトラム症の診断基準は、こうなっている。

 

(A)「複数の状況で社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応における持続的な欠陥」があること

(B)「行動、興味、または活動の限定された反復的な様式」があること

(C)「症状は発達早期に存在していなければならない(しかし社会的要求が能力の限界を超えるまでは症状は完全に明らかにならないかもしれないし、その後の生活で学んだ対応の仕方によって隠されている場合もある)」こと

(D)「症状は、社会的、職業的、または他の重要な領域における現在の機能に臨床的に意味のある障害を引き起こしている」こと

(E)「知的発達症(知的能力障害)または全般的発達遅延ではうまく説明されない」こと

 

マコトA ふむふむ。

マコトB で、(A)の具定例の一部に、「想像遊びを他者と一緒にしたり友人を作ることの困難さ」と記されているんだ。・・・総じて考えると、「想像力の障害」は自閉スペクトラム症の中核的特性と見なされなくなっていった感じがする。

マコトA なるほどねえ。でも、「想像力の障害」説や「心の理論の欠如」説と並んで、やはり有力な言説だった「共感の困難」説というのがあるよね?

 ・・・

 それに対して二〇一〇年代から広まった有力な反論を知っているよ。じぶん自身が自閉スペクトラム症の当事者だって公表しているデイミアン・ミルトンが二〇一二年に発表した「二重共感問題」(ダブル・エンパシー・プロブレム)説。

マコトB それだよ、大事なのは!

マコトA ミルトンは、つぎのように批判したんだよね。

 

「心の理論」や「共感」は、人間的な相互作用に規範的な心理学的モデルを与えるものとして賞賛されており、これらは「非・自閉スペクトラム症的」個人が他者の精神状態や心的動機を理解する能力を意味している。だが、そういうふうな「共感」が「自閉症者」に対して適用される場合、その尺度はしばしば野蛮なほど正確性を欠いている。「共感」で「自閉症者」を測定する試みは、本人にとっては侵略的で、押しつけがましく、脅迫的だとしばしば感じられているのだ。 (Milton 2012:884)

 

マコトB ミルトンは定型発達者が「共感」という基準で自閉スペクトラム症者を定型発達者から区別し、「障害者」として位置づけてきた歴史を非難しているんだね。

マコトA うん。自閉スペクトラム症者にとっての「共感」の意味するものが、定型発達者にとってのそれとは異なっている、とミルトンは指摘した。ふたたびミルトンの論文から引用してみよう。

 

「二重共感問題」。社会的に行為する異なる性質の二者の互恵性の断絶。これは、生活世界の性状に対する認識が断絶していればしているほど、顕著になる。「定型発達者」は「社会的現実」の構成物に対する「自然な態度」が壊れていると認識しているが、「自閉症者」はそれは日常的につきまとってくる、しばしばトラウマ的な経験だと認識している。 (Milton 2012:884)

 

マコトB つまり定型発達者は、定型発達者的な共感をたいせつにし、他者にもそれを求めるわけだよね。それに対して自閉スペクトラム症者は共感には―少なくとも定型発達者的な共感には―反応せず、それを強要されつづける経験がトラウマ(心的外傷)的だと否定的に受けとめている。

マコトA 整理しておこう。ミルトンは従来信じられていたような、自閉スペクトラム症者だけが定型発達者の「共感」のネットワークに応答できない、という考え方を否定している。定型発達者も自閉スペクトラム症者への「共感」に失敗しているじゃないか、とミルトンは言いたかった。

マコトB 「二重共感問題」理論は、自閉スペクトラム症者のコミュニケーション障害と決めつけられてきたものを、定型発達者と自閉スペクトラム症者という異なる神経タイプの齟齬だと捉えなおしてみせた、と言うこともできるだろう。

 ・・・

マコトA ほかに発見したおもしろい文献はある?

マコトB キャサリン・クロンプトンたちが二〇二〇年に発表した論文がある。「二重共感問題」理論の正しさを裏づける内容だ。八人でひとつのチームを作り、合計で九チーム用意した。その九チームのうち、三チームは全員が自閉スペクトラム症、べつの三チームは全員が定型発達者、残りの三チームは自閉スペクトラム症と定型発達者の混合チームだった。で、全員で伝言ゲームをやったんだって。

マコトA 結果がどうなったか、ぼくには想像がつくよ(笑)。

マコトB ふふふ。定型発達者たちのチームと自閉スペクトラム症たちのチームの成績はいずれも高く、他方で混合チームだけが低い成績を残したんだ!

マコトA やっぱりね。

マコトB ここから、自閉スペクトラム症者と定型発達者のあいだには、共感の仕組み(あるいは想像力の仕組み、心の仕組み)の差異があることが明らかだと思う。

マコトA 自閉スペクトラム症者の共感、想像力、心のありようを、定型発達者と比較して一方的に貶めてきた歴史が反省されるべきだね。

マコトB さらにべつのタイプの研究がある。二〇一〇年代になってから、自閉スペクトラム症者には、自閉スペクトラム症の特性が備わっているにもかかわらず、ふだんの挙動からそのように見えないという「カモフラージュ」の問題が、多くの研究者の関心を引くようになったんだ。

 ・・・

 ・・・自閉スペクトラム症者が「カモフラージュ」できるのは、周囲にいる人の反応を参考にしながら、じぶんの言動を定型発達者っぽく修正することができるからだろう?それ以外には考えられない。そこには、他者の心のありようを推察し、想像力を駆使する精神活動がいきいきと刻印されている、と言うほかない。

マコトA さあ、ぼくたちの本の課題だ。この本は、自閉スペクトラム症者たちが、じぶんたちとは異質な心の動きをする者たちが圧倒的に多数を占めるというこの世の中で、いかにして人の心について学び、社会に適応してきたかをインタビューの形で示していく。

 

P200

 私は一九九五年生まれの二九歳です。・・・自閉スペクトラム症と注意欠陥・多動症の診断を受けています。・・・若干の学習障害(限局性学習症)もありそうです。文章の理解が苦手ですし、数の概念があまりわかりません。発達障害の二次障害で双極症(二型)と診断されています。いまは障害者雇用の会社員として働いています。

 ・・・

 発達障害児らしかったところと言うと、トマトしか食べなかったり、入院食はおかゆではなくご飯に変えてもらったり、ひじきやキリボシ大根など味が渋いものを、おやつは洋菓子ではなく和菓子を好んで食べていたりです。靴紐をきちんと結んでからでないと出かけようとしなかったり、ランドセルを置く場所や、道具箱のなかにあるものの位置などを整えて、「生活環境」を整えることにやたらこだわったり、打ちあげ花火の音に過敏だったというところでしょうか。親が眼を離すと、どこかに行ってしまう子。でも母が小児科のお医者さんに相談しても、「小さく生まれた子にはよくあること」というそっけない回答だったんです。

 でも、早産したときにお世話になっていたお医者さんと再会したことで、すべてが変わりました。そのお医者さんは「お母さん、発達障害って知ってますか。空気を読めない、行動が浮いているなどの特徴がある障害のことです。リナちゃんは発達障害の傾向があると思うので一回病院で検査をしてもらってください」って母親に提案してくれて

。そのお医者さんはアメリカ帰りだったので発達障害のことを知っていたそうです。それで二〇〇六年、小学六年生のときに「高機能広汎性発達障害」・・・と診断されました。母が塾の先生に診断を受けたと伝えたところ、その人は塾で働きながら筑波大学で心理学を勉強していた人だったので、発達障害児に理解がありました。それで苦手な算数の勉強を助けてくれたりしました。

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 ZARDの・・・曲を聴くようになりました。・・・ほかにも・・・嵐とかスキマスイッチ、Superfly、AKB48などの曲もよく聴きました。歌い手の気持ちにシンクロしようとしながら、「ふつうの人ってこういうふうに心が動くものなんだ」、「じぶんにもそういう気持ちがあるかもしれない」って考えながら聴いていましたね。

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 中二のときには、私の態度が悪いと学級会議で糾弾されて、心が折れてしまいました。あまりにも衝撃的すぎて、言葉が出なかった。クラスメイトが「リナさんのどこまでが障害で、どこまでが性格なのかわからない」と言うのを聞いたことを境に、その前後の記憶がなくなっています。気がついたら、じぶんの障害が学年中にアウティングされていました。あとになってから、「リナさんがなぜあそこまで言われなきゃならないの?おかしいよ」とクラスメイトのひとりが言っていたそうです。

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 大学時代は・・・読書サークルを通して、・・・友人が何人もできました。もうみんなおとなびていて、友人関係のトラブルはほとんどなかったですが、女性によく見られる特定のグループを作ること、特定のグループと一緒に行動することができなかったです。・・・

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 ・・・今は禅宗系の宗教法人の事務所で働いていますが、キャリアアップを考えて、また退職しようとしています。今度は発達障害者支援など障害者福祉に関する仕事をやりたいと思っています。できれば、じぶん自身の意志を表明できるツール、プラットフォームを作りたいと思っています。漠然としていますが、語彙、語用、文法の分析をして、自閉スペクトラム症の人に欠けやすい言葉遣いについて考察して、支援に生かしていければいいなと。意志を細かく伝えられるような、癇癪を起さなくてもすむような、安全なツール。日本語教師が活用している教材や理論、スキル、日本語教師の資格取得で学ぶ分野からもヒントを多く得たいと思っています。

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 ずっとふつうの人のようになりたいと思って流行を追いかけてきましたが、消したいと思っていたじぶんの発達障害者としての特性は消すことができませんでした。じぶんの言葉を持てないまま成長してきたという実感があります。じぶんなりの言葉を獲得していくことは必要で、それが難しいから発達障害者は二次障害にかかりやすいですよね。当事者はじぶんで紐解いていく覚悟が必要なのかなと思っています。私がなりたかった「ふつう」も、時代とともにどんどん変わっていく。発達障害当事者が意志表明できるツール、プラットフォーム作りを通して、「ふつう」ってなにかを、さらに掘りさげていきたいと思います。