寄り添ってくれる存在があるってこんなにも違うんだな・・・と感じました。
P89
「図書館にいってきたわ」誰かが・・・ウィンドウショッピングをしながらいう。
「デューイはいた?」
「もちろん」
「あなたのひざにすわった?いつも娘のひざにすわるのよ」
「実は、高い棚にある本に手を伸ばそうとしていたの。で、ぼんやりしていたせいで、本のかわりにデューイをつかんじゃったのよ。あまりびっくりしたので、本を爪先に落としちゃったわ」
「デューイはどうした?」
「笑ったわ」
「本当に?」
「いいえ、だけど絶対、笑っていたと思うの」
・・・
・・・年配の住人、母親、子どもたち・・・目的を持って図書館にくる人もいた―本を調べ、新聞を読み、雑誌をみつけるために。他の利用者は図書館を目的地とみなした。図書館で過ごす時間を楽しんだ。励まされ、力をあたえられた。毎月、そういう人たちが増えていった。デューイはもはや目新しい存在ではなかった。地域社会になくてはならない存在になった。人々は彼に会うために図書館にやってきた。
デューイはとりたてて、こびへつらう猫ではなかった。ドアからはいってくる人全員を急いで出迎えにいくわけではなかった。求められれば、正面ドアのあたりにいた。・・・
常連の利用者がやってきたときに、デューイが出迎えないと、彼らは図書館を歩き回って猫を探す。まずデューイが隅に隠れているのではないかと思って床を探す。それから書棚の上を調べる。
「あら、元気だった、デューイ?あそこにいなかったでしょ」彼らはそういって、彼をなでようとする。デューイは頭のてっぺんをなでてもらうが、あとについていこうとはしない。利用者はいつもがっかりしているようにみえる。
だが彼らがデューイのことを忘れてしまうやいなや、デューイはひざに飛びのってくる。とたんに、人々の顔には笑みが広がる。デューイが十分か十五分いっしょにすわってくれるからだけではない。特別な関心を示す相手として選んでくれたからだ。最初の一年が終わる頃には、たくさんの利用者がわたしにこういったものだ。「デューイがみんなを好きなのはわかっているけど、わたしは彼と特別な関係なの」
わたしはにっこりして、うなずいた。「そのとおりね、ジュディ」心のなかではこう思う。「あなたと図書館にやってくるすべての人たちがそうなのよ」
もちろん、ジュディ・ジョンソン(あるいはマーシー・マッケイ、もしくはパット・ジョーンズ、いや、デューイのファンの誰でも)が長い時間、館内にいたら、きっとがっかりしただろう。その会話を交わしたあと、三十分後に図書館を出ていくときに、たまたまデューイが別の人のひざにすわっているのをみて、彼女の顔から笑みが消えてしまうのをわたしは何度もみかけている。
「あら、デューイ」ジュディはいったものだ。「わたしだけなのかと思っていたわ」
ジュディはしばらくデューイをみつめているが、彼は顔をあげようとはしない。そこで彼女はにっこりする。わたしにはジュディが考えていることがわかる。「あれはたんにデューイの仕事なのよ。やっぱり彼はわたしがいちばん好きなんだわ」
それから子どもたちがいた。デューイがスペンサーに与えた影響を知りたければ、子どもたちをみればいい。図書館にはいってくるときの笑顔、彼を探し、名前を呼んでいるときの喜び、彼をみつけたときの興奮。子どもたちの後ろで、母親たちもにこにこしている。
P285
・・・彼は毎日いくつもの心を魅了した。一度に一人ずつ。誰かをのけ者にしたり、ばかにすることは決してなかった。・・・すべての人の友人だった。・・・図書館に定期的にくるすべての人が、デューイと特別な関係にあると感じていた。・・・
・・・
三十代後半の独身女性、イボンヌ・ベリーは週に三、四度図書館にやってきた。毎回、デューイは彼女をみつけだして、そのひざの上で十五分ほど過ごした。それからイボンヌをなだめすかしてトイレのドアを開けさせ、水遊びをするのだった。それが二人の儀式だった。だが、イボンヌが飼い猫を永遠に眠らせた日は、二時間以上、彼女のそばにすわっていた。デューイは何が起きたのか知らなかったが、どこかおかしいとわかったのだ。何年ものち、イボンヌはその話をわたしにしてくれたので、いまだにそれが彼女にとって大切な思い出であることがわかった。
・・・あるホームレスの男はそっとなでたので、デューイの親友の一人になった。スペンサーのような町で目立たないでいることはむずかしいが、この男はほぼ無視されていた。毎日、ヒゲもそらず、髪もとかさず、風呂にも入らずに図書館に現われた。誰ともひとことも口をきかなかった。誰のこともみなかった。ただデューイにだけ近づいていった。彼はデューイを抱きあげ、肩にのせた。デューイは男が秘密を語るあいだ、ニ十分間も喉をゴロゴロ鳴らしながら肩にのっていた。
・・・
・・・ある日、デューイが、床に置かれたベビーカーにいる小さな女の子から、ほんの一メートルほどのところにすわっているのをみかけた。・・・デューイはただ退屈そうな顔つきで宙をみつめてすわっていた。あたかも、たまたまとおりかかったんだ、といいたげに。そして、・・・ほんの少しにじりよった。「ちょっと位置を変えただけだよ、別にみるようなものはここにないよ」彼のボディランゲージはそういっていた。一分後、また同じことをした。さらにもう一度。ゆっくりと、ほんの少しずつ、にじりよっていき、とうとうベビーカーにぴったりくっついた。赤ん坊が中にいるのを確認するかのようにのぞくと、前足に頭をのせてくつろいだ。赤ん坊は小さな手を端から伸ばして、彼の耳をひっぱった。デューイは彼女がもっとつかめるように頭の位置をずらした。彼女は笑い、足をばたつかせて、デューイの耳をぎゅっと握った。デューイは満足そうな顔つきでじっとすわっていた。
P371
・・・デューイは人生と奮闘しているヴィッキーの心の支えになった。
本書の著者である彼女は、こんなふうに語っている。
・・・
「何であろうとわたしがほしいものを、彼は躊躇せず、お返しも期待せず、質問もせずに与えてくれた。それはただの愛ではなかった。それ以上のもの。尊敬だった。共感だった。しかも、それは双方向のものだった」
・・・相手が一匹の猫でも、ときにはこれほど深い絆を築くことができ、パートナーとしてお互いに愛情と尊敬を与えあい、支えあう関係が成立するのだ。
ヴィッキーは出産の際の医師の不手際により、体調をくずし、結局二十四歳の若さで卵巣と子宮を摘出されてしまう。その後、アルコール依存症の夫と二十八歳で離婚、大学に通いながらシングルマザーとして一人娘を育て、図書館に職を得た。しかしその後、わずか一年のあいだに弟が癌で亡くなり、兄が自殺するという悲劇にたてつづけに見舞われる。だがそれだけではすまず、のちに自分自身も乳癌の前癌病変を発見され、両方の乳房を失ってしまう。この喪失に関しては、さすがの彼女もショックで、本書のなかで初めて明かしたのだという。
いわば波瀾万丈の人生を送ってきたヴィッキーは、本書の最後をこうしめくくっている。人生のさまざまな不幸に出会って傷ついても、いちばん大切なのは、あなたをきつく抱きしめ、大丈夫だといってくれる人がいることだと。彼女にとってはそれがデューイだったのだ。
「つらい日も、楽しい日も、人生という本物の本のページにおける記憶にすら残らない日も、デューイはわたしを抱きしめていてくれたのだ」
本書はそういう本である。
