坂口涼太郎さんのエッセイ、面白かったです。
P111
最近、「自己肯定」という言葉に遭遇する機会が増えたなと感じるけれど、私は正直、自己の全てを肯定できなくてもいいんじゃないかなあ、とちょっと思う。ただ認めてあげたらいいんじゃないかなあ、と思う。肯定じゃなくて認識。「自己認識」すればそれで十分なのではないか。そして、それは結構すごいことなのではないかと思う。容姿とか性格とか、「自分のここはちょっときついっすわ、いけてないですわ、嫌いですわ」という部分があってもええやん。でも、意外とそこが自分を司っている大切な部分であるということも私はこの三十数年間でなんとなくわかったし、そこをおもろいとか美しいとか思ってくれる人もこの広い世界のどこかに必ず一人はいるわけで、人の美的感覚や価値観というものはほんまに人それぞれなんやなと生きていれば生きているだけ思う。
あと、ぶっちゃけ他者は自分のコンプレックス部分には興味も関心もないし、自分が気にしすぎているだけで、周りはなんとも思ってなかった、ちゃんちゃん、ということも多分にあるよね。実際、コンプレックスに対して、「ええやんそれで!」と自分が言うことも言われることも私は多い。
だから、自分に対しても、それぐらいの距離感で「ここはあんまり好きじゃないけど、まあええやん。他に私のええところはいっぱいありますよ」という風に自分が納得していれば、人から何を言われようと「ですよねー。でも、そこだけが私の全てじゃなくて、私には他に特筆すべきことがたくさんあって、私は私を愛していて、美しいと思っているんです。このコンプレックスがあることが、むしろ私なんです。だから、ありがとうございます。失礼します」という感じで、自分のことをあきらめてあきらかにしてまるごと全部愛しちゃう「らめ活」を実行したことによるばりばりの「自己認識」で受け止めて、「そうなんや」と思うことは資料にして、気にする必要のないことはナイアガラの滝ぐらいの激流に速攻で流して生きていく。
P143
みうらさんは「自分探し」ではなく「自分なくし」を提言していらっしゃり、そもそも自分があるから悩みや不満足や怒りが生まれるのだと、自分があるから面倒なことになるのだと、自分とは他人がつくるものであって、そもそも自分が自分だと決めつけているだけで、自分なんてないのだから、いまいる場所のおもろさや不思議さをそのままおもしろがり、受け入れ、相手が喜ぶことファーストで行動すれば、すべてが円滑に進んでいくのだということを説いてくださっているのだと私は感じた。
私があきらめ活動「らめ活」をしていくことを宣言したのも、みうらさんがこのご本で「あきらめる」という言葉はもともと仏教の言葉で「物事の真理を明らかにすること」だと教えてくださったことが発端であり、それまでの私は自分のことをあきらめられていなかったのだということに気づいた。自分を過信していて、驕りがあり、こんな場所では自分は活きない、自分にふさわしい場所はここではない、どうしてこんなに燃えている自分に誰も気づいてくれないのだと不満に思い、ふてくされ、もっと自分にふさわしい場所があると、いまいる場所ではない、まだ見ぬどこかを見ようとしすぎて、いまいる場所のことをないがしろにして、あらぬ理想を探し求めていた。それはまさに〝いま〟を感じることができておらず、他力本願であり、自分のことを過大評価して、慢心しているほかなくて、そのフラストレーションを発散するために自虐プレイを連日開催していたのも、まさにあきらめの悪いつまらない〝自分〟があるからで、「自分なくし」をして、あきらめてあきらかにしていれば、そんなプレイをする必要はなかった。・・・
P278
NHK『あさイチ』に初めて出演したのは連続テレビ小説『らんまん』に参加していたとき。
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TVショーモデルの私のロールモデルはやっぱり藤井隆さんであり、幼い頃から藤井さんが血肉となりダウンロードされているので、隠しきれないイズムが滲み出てしまう。
それをいち早くお見抜きになられたのは博多華丸・大吉の大吉さんで、私がエンディングで踊りはじめたときに大吉さんが「藤井くんライバルが来たよー。待ってるよー」とおっしゃられ、番組は終わったのであった。私は嬉しさとおこがましさとバレてる!という三つ巴のカンジョウを抱きながら生放送を終えて、帰路についた。
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・・・二度目の出演のとき。途中にニュースが入る休憩時間で、大吉さんがふと私に「坂口くんは藤井隆くんのことが好きなの?」と聞いてくださり、私はあこがれであり指針にしていること、藤井さんにテレビの中からどれだけ励まされたかということ、団地の入り口で親友とたむろして藤井隆さんのすごさを熱弁していたら気がつけば親友の顔が見えなくなるほど真っ暗になっていて、家に帰れば「あんたこんな時間までなにしてたん?」と言われるほどお熱だった少年Aとは私のことです。というようなご報告を、ニュースが終わり、番組が再開するぎりぎりまでしてしまい、大吉さんは「いつか会えたらいいね」と静かな微笑みを浮かべられたのだった。
そして、その日は突然やってきた。
・・・「あさイチ☆ゴールデン」という特番の生放送で、私は自宅でできるおいしいスイーツを紹介するコーナーを担当することになり、なんとその日のゲストが藤井隆さんなのであった。
一世一代とはこのことで、・・・私が今までどれだけ藤井さんに照らされてきたのかという気持ちを表現できるように、感謝をお伝えできるように、リスペクトを込められるように、手土産には一番おいしいと思うほうじ茶を買い、お花屋さんで藤井さんをイメージしたお花を選び、束ねていただき、どれだけでも書き連ねられるけれど「この子怖いな」と思われないぐらいの重すぎず軽すぎない分量のお手紙を書き、満を持してNHKに向かった。
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生放送が終わり、大吉さんがごはんに誘ってくれた。
目の前には藤井さんがいらっしゃり、隣には大吉さんがいらっしゃり、奥のテーブルには華丸さんとマネージャーさんがいらっしゃり、私はあこがれであり、大好きで尊敬する先輩方と乾杯させていただき、そして、いろんなお話をした。
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今回の藤井さんとの共演も大吉さんが以前から番組にかけ合ってくださり、藤井さんへも「坂口くんという子がいてね」とお伝えしてくださり、特番の前日には「明日は坂口くんがいるからよろしくね」と藤井さんに連絡してくださっていたらしい。私は心の底からの感謝と尊敬とその驚くほどの愛情深さ、優しさがどれだけ稀有なものか、もしかして菩薩様なのですか?すごすぎます、というようなことをお伝えしたら、大吉さんは「僕はあこがれの人に会えるまで二十年かかった。だから、坂口くんのような若い人たちにはすぐに会ってほしいし、僕がその機会をつくれるならつくりたいんだよ」と静謐で穏やかな目をしながらグラスを傾けられた。
同じ笑いの世界で芸人として生きているわけではない私にあこがれの人との架け橋をつくってくださった大吉さんの、そして、私を真正面で迎えてくださる藤井さんの、さらに、そこにお付き合いしてくださり、同じ空間で目をとろんとさせてお酒を嗜む華丸さんのすてきさに私は胸がいっぱいで、もっともっとテレビの世界が好きになった。テレビの中で闘い、生き様を懸けて、ご自分のセンスを磨きに磨き上げて人を楽しませる技と心意気を持っている先輩たちを心の底からかっこよくて尊いと思った。そして、テレビの中で最高にかっこよくて発光している人はテレビの外でもすばらしいのだということを知れた。
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そのあとのことは夢だと言われても「やっぱりそうやんな」とすんなり納得できるのだけど、たぶん、幻でなければ、カラオケに行きました。
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・・・なんと藤井さんが一切手を抜かずに全力で私たちのために「ナンダカンダ」を歌ってくださり、私は全身でその波動を浴びて刻み込み、「享受する」とはいままさにこの状態のことやと言葉の真意をお手本のように体現していた。体現して感慨に耽っていたら、なぜかそのあとにも連続で「ナンダカンダ」が予約されていて、二度目は私が全力でカラオケのテレビの中で歌い踊る藤井さんと、そのテレビの前に存在する実像の藤井さんに向かって叫ばせていただきました。そうしたら藤井さんも歌ってくださり、藤井さんと合唱する形になり、藤井さんの声と私の声は境目がなくなってスピーカーから渾然一体となって部屋と体を振動させ、音による振動なのか体から発生する震えなのかわからないけれど、テレビの前にいる藤井さんとテレビの中にいる藤井さんはシンクロしながら私に向かって、
なんだかんだ叫んだって やりたいことやるべきです
あんたなんだ次の番はやりがいあふれるレースです
と叫んでくださっていたその言葉の振動に私は奮い立ち、「まだまだおれはいけるし、いかなあかんな、全然やり足りてないな」と目を覚ました。・・・
